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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2014年10月 4日 7日 10日 13日 29日

 

●10月4日(土)

 昨日、ツクツクを聞いた。もう死に絶えたと思っていたが、気温が上がれば生き残りが鳴くのか。けれどもさすがに一匹だけ。今ごろ鳴いても、お嫁さんは見つからないだろうに。

 

 

 

 

 

●10月7日(火)

 放っておくと、時はどんどん過ぎる。ちょっと恐い。

 

 今年の暦はちょっと変だ。中秋がやけに早いなと思ったら、陽暦9月24日に月暦季秋九月になってしまった。で、今日は九月十四日。

 改めて暦を見直して、合点がいった。今年は閏九月がある。……そんなこと、カレンダーを買った時点で調べておくべきだったのだが。

 月暦は、閏月がちょこちょこ入るのが、ややこしいと思われたのだろうか。わたしはそれも「味」と思うので好きだけれど。

 

 篤生踏海の日を一部の文献で7月としているのも、おそらくこのためだ。閏六月十一日は西暦では8月5日。これが六月十一日だと7月6日になる。

 正しいのは閏六月のほうだ。昌済先生が間違えるわけはないので。

 

 ともあれ、明日、月暦九月十五日には皆既月蝕がある。『天文年鑑』によれば、欠け始めは18時14分、皆既食の始めは19時24分、皆既食の終わりが20時24分、食の終わりは21時34分とのこと。

 天気は晴れのち曇りで、ちょうど食の始まる頃から曇りって、殺生な。

 雲間からでもいいや、ということで、愛用のニコンちゃん(双眼鏡)を用意しておこう。

 

 

 

 

 

●10月10日(金)

 双十節。辛亥革命勃発103年。

 

 香港の情勢はさすがに気になる。遯初君、どう思います?

 ジャン・ジャックに言わせれば、代議制は違う!ということになるのだろうけれど、それでも、ないよりはましなのだ。

 (「イギリス人は自由だと自ら考えているが、それは大間違いである。イギリスの人民は議会の構成員を選挙する間だけ自由であるにすぎず、選挙が終われば奴隷になりさがり、何物でもなくなるのだ。イギリス人民が自由を持つこの短い期間に、この自由をどう行使するかを見ると、自由を失うのも当然だと思われる」ルソー『社会契約論』「第十五章代議士または代表者について」より。角川文庫版を使用。恐いことを言っています。「イギリス」に別の国を代入してみましょう。)

 

 月蝕はだめだった。もちろん3時間ずっと空を見ていたわけではないけれど、たぶんだめだっただろう。月影を拝めたのは、ほんの数瞬(一瞬×数回)。形なんて分かりゃしない。

 まあ、月蝕はちょくちょくあるものだから、次に期待しよう。

 

 

 

 

 

●10月13日(月)

 楊徳麟先生、没後101年。行年四十四。

 銃殺です。斬首でないだけ、まだましか?

 篤生とは、政治的な立場は異にしていたようだけれど、仲のよい兄弟だったのだと思う。

 

 今日の午後は、英国工党と格闘して過ごした。雨音を聞きながら。

 そして、これを書いている今、雨音は強くなっている。台風の影響で多摩北部・南部に大雨洪水警報が出ているのだ。

 

101年前のこの日、長沙は大雨だった。

 

 なんとなく、彼らの魂に少しだけ触れることができた気がする。

 

 

 

 

 

●10月29日(水)

 今朝はきれいに晴れて、ヒアデスもプレアデスもくっきり見えた。にぎやかな季節になった。

 ひときわ元気なのは木星。

 ……季節の話題のつもりが、木星さんのせいで訳わからなくなってしまった……。

 

 先日、久しぶりに不忍池へ行ったら、オナガガモが来ていた。電車から見る市ヶ谷のお濠にはまだ来ていないので、驚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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