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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2013年7月 7日 9日 14日 21日 27日
●7月7日(日)
1937年7月7日は盧溝橋事件……という鬱陶しい話は措いておいて。
昨日、元ちゃんのライブに行ってきた。
下北沢の町ぐるみの音楽イベントの一環として行われたフリーライブだ。
北口を出たところに異様な風体のおじさんがいて、奇妙な「パフォーマンス」をしていた。さすが下北。
すさまじく暑い日。ここのところ週間予報に雨の印がないので、嫌な予感がしていたが、やはり梅雨明け宣言が出てしまった。いきなりのこの暑さ、まだ体が慣れていないのでこたえる。
会場は、今月取り壊される小田急の旧駅舎とのことで、どこのことかと思ったら、いつも使っていた改札だった。そこに幕を張ってステージを設えていた。
もちろん冷房も何もないので暑いと警告され、覚悟していたが、わたしは背後から扇風機の風の直撃を受けていたので、思いのほか楽だった。
整理券は11番と12番とだったから座る権利はあったのだけれど、始まる前に席を譲ってしまった。立っていないと窮屈だから。
この日の牧野元はすごかった。この人、歳とともに衰えるどころか、ますますパワーアップしていく。同世代が苦しんでいるとき、彼は陽の当たらない場所でどんどん大きくなっていく。45歳なのにどこまで成長するのだろう。
歌い終わった後、彼は「下北は意志を持った町だ」と言っていた。変わりゆくのは外の町とおなじなのだけど、こうありたいという一つの意志を持って、そこからずれないで変わっていく……というようなことを言っていたと思う。そして「自分もそうありたい」と。
今回、ライブ前に時間があったので、いつも歩かないところをぐるぐる歩いてみたが、無印もユニクロもマックも、訳の分からぬ雑貨屋やら服屋やら食べ物屋やらの中に違和感なく交ざってしまっていた。色々な格好をした人が、思い思いの方向に歩いてごった返していて、相変わらずのおもしろい町だと改めて感じた。
芝居の町であり、音楽の町であり、訳の分からぬ人たちが集まる不思議な町であり、なおかつ住宅街でもある。異なったものが混在しながら、全体で一つの生き物のようにどんどん更新し増殖していく。きれいなものも汚いものも、大きなものも小さなものも。
トモフスキー氏たちが世田谷区の再開発計画に反対していたのは、きっとこういう多様性を踏みつぶされたくなかったからだろう。そう言えば、コンビニは一軒しか見かけなかった。わたしの今住んでいる町は、何故だか知らないがファミマばかり四軒もある。そんな判でおしたような町に下北がなってしまったら、確かに悲しい気がする。物事や人が変わっていくのは仕方がないけれど、つまらない姿に規格化されるのではなくて、その人らしい「自然さ」に到達したいものだと思う。
そうした元ちゃんの決意表明として、「変わりゆく今よ」を受け取った。
続く「君とボク」では、甘い歌詞のはずなのに「俺は負けねえぞ!」という雄叫びのように聞こえてならなかった。たくましくなったね、元ちゃんは。
夏なんです
夏の記憶
P.S.
変わりゆく今よ
君とボク
幸せな30分間だった。元ちゃん、ありがとう!
●7月9日(火)
暑い。
でもまだ蝉が鳴かないだけましだと思おうとしていたけれど、今日アブラゼミが鳴き出してしまった。
例年どおり、玄関に毎朝アオカナブンが訪ねてくるし、小さなカミキリもやって来た。
腹を括ろう。元ちゃんも歌っていた。夏なーんです〜♪
●7月14日(日)
楊篤生の「英国工党」を何とかしたいと思いたってから、何年経つのか分からないが、依然として進まない。図書館になかなか行けないし、行っても2時間が限度だから。ずっと、1度行けるか行けないかだったから……などとぶつぶつ言ってみても、所詮は言い訳にすぎない。本当にやる気があるのだったら、何としてでも時間を捻出しただろうから。
その証拠に、ここのところ頻度が上がっている。相変わらず遅々として進まないが、それでも行けば必ず「おおっ!」という瞬間もあり、そういうときには彼の存在を実感できてうれしい。
だけど、難しいよ。わたしの無知無能がいけないのだけれど、それにしたって、難しい。どこで文が切れるのか分からないことが多いし。なんか変だと思って凡例を見たら、句読点は編者が打ったものだとか。康南海の「礼運注」のときにも痛切に思ったが、声を大にして言いたい。句読点は偉大な発明だ!! 『アルジャーノンに花束を』にチャーリー・ゴードンが句読点を知る場面があったが、今になって分かる、チャーリーの感動が。
篤生先生、句読点は打ってほしかったな。当時は日本でも句読点は使っていたし、先生は英語を読んでいたのだから、句読点の意味はよく知っていただろうに。
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おもては明るいが、遠雷が聞こえる。今日は陽射しが少ない分、気温はややましのようだが、湿度が高いため空気が重い。夕立が来てくれれば、楽になるだろうか。
音ばかりでなく、雨よ来い!
●7月21日(日)
ふくらはぎに筋肉痛。久しぶりだ。
原因は昨夜のカスタネッツのライブ。エレカシならともかく、カスタでこんなになるのは珍しい。それだけ良いライブだったということ。
対バンはフリサトという若いバンド。若い頃の元ちゃんを、健全に元気よくしたみたいで、珍しく歌詞も聴き取れるし、好感が持てた。でも途中から野暮なことを思ってしまった。君の歌うすばらしい世界を招来するために、君は何をしているのかな。もちろん、思い描くのは大事なことで、その思い描いた世界を皆に共有してもらうのも大切なことだ。万事はそこから始まる。でもその先は? 思い描くだけでなく本当に実現するためには、どうしたらいいのかな。そんなことを本気で具体的に考えている人たちもいるんだよ。
などと言ってはいけない。わたしだって何もしていないし、ロクに考えてもいない。
ただ、篤生の「英国工党」にあまりにたくさん「黄金世界」という文言が出てくるから、その黄金世界を本気で造ろうとしていたクロポトキン翁のことを思ってしまっただけだ。
カスタは最高だった。元ちゃんの歌の力が高まっている。今さら? と思うが事実だ。
よく知っている曲ばかりなのに、違って聞こえた。詞のイメージ喚起力が、大変なものになっている。
「オーバーオール」とか「バックパッカー」、「ねないねないねない」など、夫に言わせると「ぱっとしない曲」が、妙に具体的に、まるで映像が見えるように、はっきり伝わってくる。
胡乱な力を身につけつつあるね、元ちゃん。末恐ろしい45歳だ。
●7月27日(土)
野音のチケット当選した。去年は外聴きだったから、素直にうれしい。
今回やっと転売防止に本腰を入れてくれて、身分証明書が要ることになった。これはありがたい。全面的に賛成。身分証確認はランダムに行うということで、3000人全員は無理ということだろうけれど、本当は全部やってほしいところだ。
ともあれ、楽しみ。