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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2013年6月 9日 29日 30日

 

●6月9日(日)

 ロックの日。

 なのだけれども、心身ともに不調この上ない。

 昨日はやみくもに公園の中を歩きまわった。公園といっても丘陵のかけらを保存したものなので、山歩きの気分になれる。

ホトトギスが鳴いていた。濃い緑の気を少しもらえた。

 池にカルガモのひよこが7羽。さすがにかわいい。

鴨なのに渡りをしないカルガモを、常々おもしろくなく思っていた。毎年律儀に渡ってきてくれる鴨さんたちと違って、いつもいる彼等はありがたみがないから。

けれども、かわいらしい雛が見られるのは留鳥だからだ。これはこれでありがたいと思うことにした。 

 

歩くのは好きだが、今日は暑すぎた。最低限の外出にとどめざるを得なかった。

 

せめて朝寝がしたい。3時に時計見て、3時半に時計見て、4時から輾転反側。それでいて日中はずっと眠いのだから。

 

 

 

 

●6月29日(土)

 日本近代史の本を読むときは、この頃の中国はどうなっていたか、彼らは何をしていたか、を常に念頭におきたいと思っている。実際にはほとんど忘れているけれども。

 例えば日清戦争。篤生はまだ生員(秀才)で、長沙の校経書院にいて、「江防海防策」なる文をものして当局を痛烈に非難し、山長(院長)に激賞されている。数えで二十三か四のときだ。

 十歳下の遯初君は、同じく日清戦争に感じて、武術の練習に励んだとか。年齢が年齢だ。何かしたい、せずにいられぬ気持ちだけが強くて、そういう形で表現したのだろうけれど、それはよく解るのだけれど、でもやっぱり言いたくなる。かわいい!!

 星台先生は二十から二十一。まだあのお父さんと故郷にいて、貧しいながらも温かな日を送っていただろう(お兄さんは?)。彼の世界が動き出すのは、この少し後、父に従って県城に出てからのことだ。

 

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 間が悪くて図書館へ行けず、朝の電車で読む本がなくなってしまったため、きのう臨時に『杜詩』を持って行った。「同谷歌」が読みたかったから。

 篤生は1910年の夏休みに、昌済先生とともにスコットランドを旅行している。そのときに見た景色のことを、杜工部の同谷歌にある幽谷の晩秋の情景みたいだと書いている。

 スコットランドくんだりまで行って杜工部などと言っている、このトンチキさが愛おしくてならない。

 何度か読んでいる詩だが、篤生のことを念頭において改めて読み直してみると、ちょっと違う感じがした。

 直接には一の「天寒日暮山谷裏」あたりと二くらいまでが、彼が目を留めたスコットランドの貧しい農民の様と通じるものがあるのだろう。けれど、勘繰ってしまうと、三の「有弟有弟在遠方」なんかも感じるところがあったのではないか。彼のお兄さんはたぶん北京にいて、文通はあるようだが、渡英前もそんなに会ってはいないだろう。末弟・殿麟は故郷・高橋で家を守っている。渡英前に上海に呼んで何日かともに暮らしているし、家のことがあるからまめに連絡をとっているだろうけれど、縁は薄いと言わざるを得まい。

 

 杜甫という人も、あれだけ優れているのにひどく難儀な生を送った人だが、篤生も難儀な人だ。

 

 なんにせよ、スコットランドで杜甫を思っているこの御仁が、やっぱりたまらなく愛おしい。

 

 

 

 

●6月30日(日)

 朝は寒かったから油断したが、日中は暑くてきびしかった。

 

 エレファントカシマシと距離を置こうと決めてから半年以上経った。会社はあの手この手でファンをつなぎ止めようとしている。

 そんな手にはのらないと思うが、先日出たファーストの特別版は買ってしまった。もちろん、88年の渋公が目当てだ。

 

 やっぱりかっこいいよ。当時の宮本は22歳の学生。小生意気でいやらしい、タチの悪い子どもだ。

 でも、文句なく天才なんだ。エピックの人が「宮本君は天才だから」と、プロデューサーもつけずに、好きにさせたというのもよく解る。

 

 この一連の掘り起こし作業で、宮本も自分がオオカミだったことを思い出してほしい。

 

 宮本、まだ復帰は早い。どうかゆっくり休んでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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