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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2013年1月 13日 27日

 

●1月13日(日)

 なんだかんだでばたばたしていたら、13日になってしまった。

 今更ながら、お正月を振り返ってみる。

 元日。6時過ぎに家を出て、近所のお社にあいさつの後、日比谷公園へ飛ぶ。懐かしい野音を柵越しにのぞき、小声で歌う。またここへ来ることがあるだろうか。あるともないとも確信できないのが寂しかった。

 そのまま歩いて増上寺さんへ。徳川さんのお寺ではあるが、阿弥陀さまは誰にでもお優しい。わたしたちは夫の郷里で、阿弥陀さまの前で結婚式をした。そこが全ての始まりだった。そういう意味でも、大事な仏さまだ。

 2日から5日までは、多摩の地から離れなかった。電車に乗ったのは1回だけ。散歩しながら隣の駅まで行った帰りに、1駅乗ったのみ。

 6日朝、湯島の天神様へ。ここは3が日は無理だから。着いたのは8時半くらいだったが、既に結構な人出だった。さすがに待つほどではないが。

 そこから不忍池に降り、清水観音堂へお参り。ここの観音様もお優しくて好きだ。

 湯島に戻り地下鉄に一駅乗って、新御茶で夫と別れて帰宅。あとは洗濯だ何だで普通の日曜日。

 で、7日からは社会復帰。でもまたすぐ連休では、わけがわからん。

 

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ここのところ問題になっている『南方週末』の「中国の夢、憲政の夢」なる記事。TVにちょこっと映った題字部分、孫逸仙を中心に何人もの顔があったが、孫のすぐ隣にあったのは宋遯初君の顔だった!

やっぱり遯初君なんだ!

 

今日、TVでジャーナリストを名乗るおじさんたちが、中国にはジャーナリストはいないし、今回のことも別にジャーナリスト魂によるものではなく、単に売るため、部数を稼ぐために大衆の意を汲んでいるだけだ……とのたまった。

ずいぶんばかにしている。じゃあなんで、遯初君なんだ? 以前、高名な「政治評論家」のじっさま(故人)が、「中国は有史以来一度も選挙をやったことのない国だ」と言い放ったことがある。あんたら遯初君のことなど知らないのだね。不勉強なまま、臆見を垂れ流しているのではないか? 

人が悪口を言うときは、自分のことを言っていることが多い。売るためだけにやっているのは、自分たちなんじゃないか?

 

 などと、いきなり悪口から始めてしまった……。

 

 ともあれ、今年は遯初君没後100年。もちろん他の第二革命関係者、楊コ鄰や寧仙霞なども没後100年になる。

 こんな国を造るために死んだんだっけ……とも思うけれど、なんのなんの。地下水脈は活きていそうだ。

 そうだよね、遯初君。

 

 

 

 

●1月27日(日)

 

 どこからそんな話になったのか憶えていないが、朝食後に秩父事件の話になり、食器の片付けもできぬまま、延々と論じ合ったり調べたりで、ひどく時間をとってしまった。おかげで家事の進行がおおはばに遅れた。

 変な夫婦。

 二人ともあやふやな知識と思い込みと思いつきとで、ああだこうだ繰り返したところで、埒があくわけもない。

 ただ、やはりこの事件については、いずれじっくりと見てみたいと、改めて確認した。

 一昔前は、百姓一揆なのか自由民権運動なのか、という不思議な議論があったと思うが、そんなことはどうでもいい。ただ知りたい。何があったのか。どうして秩父なのか。なぜ、あんなにもあっさりと潰されてしまったのか。どうして兵の銃を後ろに向けさせられなかったのか。そのほかに、夫は寺社勢力との関係を気にしている。

 ところで、どうしてこんなにも秩父事件が気になるのか。

わたしの父祖の地は同じ埼玉県で、秩父のような山国ではないけれども同じく養蚕で生計を立てていた。わたしの子どもの頃には既に、東京に近い地の利を活かした蔬菜中心にかわっていたが、それでも父の実家の納屋のようなところに桑の葉がひろげてあったのを見た記憶があるし、その辺り一帯の道沿いや畑の周りには桑の木が並んでいた。祖母が1890年生まれだから、84年の事件時は曾祖母はまだ娘だろうから、高祖母の代か(祖母は2代続けて母子家庭だったと聞いている)。当然、秩父の衆と同様の苦境にいたはずだし、事件のことを耳にして色々思っていたはずだ。

 そんなことで、血の中に記憶でもあるのだろうか。

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 一週間経ってしまったが、大学入試センター試験のこと。

 なんとなく新聞にある問題を眺めたら、牧野信一の小説の全文というのがあった。

 マキノ! しかも全文で、わたしの知らない作品。とあれば、読まないわけにはいかない。問題などやる気はさらさらないが、せっかくだから読ませてもらった。

 

 結果、憤りを覚えた。大学入試センターも、酷なことをする。これはあんまりだ。

 まず、こんなものを子どもに読ませて、解るわけがない。

特殊な境涯やら特殊な能力やらのせいで解ってしまうような不幸な子もいるかもしれないが、解ってしまったらそこでその子の試験は終わりだ。もうとても問題文など読めまい。次の古文やら漢文やらも手につくまい。下手すりゃ叫び声をあげて注意を受けるか、嗚咽するかしかねない。

 そんな子はごくごくまれで、あとの子は何も解らぬまま文字面だけをザーッと読み、あるはずもない「正解」を、ルールに則って選択肢から見つけ出すゲームを、訓練されたとおりに続行するだけだろう。それに何の意味があるのか。

そも、なぜ入試問題に小説なんぞが出るのか。一握りの役立たず以外のまっとうな社会人にとって必要な国語力は、取扱説明書や新聞の論説記事がきちんと読めることじゃないのか。文学作品なんて、学校から離れたところで好き勝手に読めばいい。そういうふうに読むべきだ。

 ましてやマキノなど。

 

 数日後の新聞に、今年の国語の平均点ががくっと落ちたという記事が出た。小林秀雄の文章が難しかったからではないかとのことだったが、末尾にちょこっと「知る人ぞ知る作家」としてマキノに触れていて、いろいろな文章を読み解いてほしいということではないか、と結ばれていた。

 「平均点が下がったのは、マキノを読んで固まっちゃった子もいたからじゃないの」と言うと、夫は「そんなのは全国で五人くらいだろうね」と。

 

 マキノのファンがいたのかな。どんな形ででもいいから、マキノを読んでほしかったのかな。

 でもそれは、だめだ。そんな形では出会えないし、出会ってしまえば不幸になる。

 

 

 

 

 

 

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