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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2012年10月 2日 4日 8日 10日 13日 15日 29日

 

●10月2日(火)

今朝、PCをつけた夫が奇妙な声で叫んだので、電車が止まったのかと飛んで行ったら、エレカシ活動休止のニュース。

野音が吹っ飛んだ。

 

ついに来たか。と、最初に思った。トミの二度の大病は、代わりに病んでくれたようなところがあったが、とうとう本人にも来たか。

 

ショックだし心配だが、不謹慎ながらどこかで“よかった”という思いもある。不祥だからはっきりと言挙げするのは控えるが、彼の「神」だった人と同じ道をいつかたどるのではないかと案じていたから。

急性感音難聴を発症し、外リンパ瘻の疑いということで、命にはかかわらない。ただ、長引くかもしれない。

 

休みは必要だった。休んでほしかった。今の会社になってから、粗製濫造、詞も曲も使いまわしが多かった。それでも『悪魔のささやき』のような佳品も創ってくれたが、最新アルバムは聴けたものじゃない。リリースが多すぎる。もっとじっくり創ってほしい。本当は小さなハコで小まめにライブをやって、そこで練ってからレコーディングするのが理想なのだが、それは無理なのだろうな。ならばせめて、ゆっくり創ってほしい。毎年アルバムを出す必要があるのか? 山下達郎なんて平気で8年ぶり!などといっている。そんな余裕も自信もないのだろう。会社も本人も。まめに出さねば忘れられるとでも思っているのか。そんなことないのに。宮本の右往左往、迷走ぶりにも、我慢してついてくる固定のファンがいるんだよ。数はどれくらいか見当つかないけど。

 

要するにストレス性ではないのか? 新曲のジャケ写が出たが、また死相が出始めている。前回のツアー、荒れたらしいし(それにしても、このジャケットは悪趣味だ。紙衣か? 意味わかっているのか?)。

 

やりたくないことをやるのはやめようよ。もっと大事に生きようよ。「声がまだ出るうちに」と「ラストゲーム」で歌っているけれど、本当の話、いつまで歌えるか分からないんだ。

 

待っているからさ。また熱いライブをやろうよ。お約束なんか一つもない、ガンガン燃えるライブをね。

だからゆっくり休んでください。

 

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今朝、金木犀の香に気づいた。彼岸花はだいぶ咲きそろってきた。けれども、小石川後楽園辺りでは、昨日はツクツク、今日はアブラゼミを聞いた。今ごろ鳴いて、お嫁さんは見つかるのだろうか。

実は小石川後楽園には入ったことがない。外側ぐるりが遊歩道のようになっていて自由に歩けるので、そこだけ楽しませてもらっている。石垣の上に彼岸花。

先月の18日に歩いたとき、隣の日中友好会館の留学生寮脇に警官が立っていた。今までそんなことはなかったので、九・一八で警戒しているのだと分かった。胸が痛んだが、右翼の宣伝車の気配はなく、警官も所在なげだった。夫が麻布の中国大使館近くに行ったそうだが、こちらも特に気づいたことはなかったと言う。杞憂でよかったね、と思ったのだけれど、昨日あたりの報道では、騒いでいる所もあるらしい。そんなことをして何になるのか。意思表示のつもりなのだろうけれど。

 

 

 

 

●10月4日(木)

 海外旅行なんて、体力的にも金銭的にも無理だけれど、もし「どこでもドア」があったら、どこへ行く?

 などと時々自問して遊んでいた。答えは迷う。青春を過ごした長沙か、晩年(!)を過ごしたアバディーンか、お墓のあるリヴァプールか。

 いずれにせよ、篤生関連だ。

 

 行けっこないから、メディアを通じてでも見聞したいのだけれど、それも滅多にできない。リヴァプールはともかく、他の2市は全然。何年か前、旅行社の広告でアバディーンに行くツアーを見たときは、つい大声をあげてしまい、夫に怒られた。

 それが、ここにきて、立て続けに目にすることになった。

 長沙は反日暴動。

 アバディーンは、珍しい波の花ということで、朝夕のニュースのびっくり映像みたいなコーナーで。

 

 これは、彼が呼んでいるのか。ここのところ、日本中世にはまって出られなくなっているので、そろそろ帰ってこいと?

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宮本の病気、噂に拠れば、ある程度までは恢復するが、完治は難しいとか。

 この件では、わたしより夫がダメージが大きいようだ。ミヤジへの愛は、わたしよりも彼のほうがずっと深いから。

 ともあれ、信じて待つしかない。

 

 今日、ファンクラブの更新をしてきた。何回目の更新だろう。会員番号が若いので、手放したくない。

 次のライブがいつになろうとも、必ず参戦する。焦らずゆっくり休んでほしい。1年、2年、空いてもかまわない。待っているからね。

 

 

 

●10月8日(月)

 一昨日6日土曜日、お山へお参りに行った。年に一度、お札を受けに必ず行く。

 今年は三連休の初日ということで登山者が多く、バスはいっぱいになってしまった。発車したと思ったらすぐ停まり、「お立ちの方は後ろのバスに移ってください」とのこと。山に入るとヘアピンカーブの連続だから、大荷物で立っているのは危険ということだろう。皆さん移り、遠足みたいに2台連ねて出発した。

 小さいリュックの人もいなくはないが、ほとんどの人が巨大荷物だ。泊まりがけで縦走でもしていくのだろうか。一方わたしたちは、夫は街歩き用のデイパックにわたしは単なるトートバッグで、なんだか場違いみたいだ。神社行きのバスなのだから、純粋な参拝者が気後れする必要はないとは思うけれど、どうしても浮いている感じはした。

 浮いているといえば、「山ガール」だ。本物を見たのは初めてで、本当にいるのかと感心した。巨大荷物ではないから日帰りだろうけれど、それにしては大きな荷物で、キュロットスカートに足元はスニーカーだった。あんなタイツで大丈夫なのだろうか。虫に刺されたり、ひっかいて怪我したりしないのだろうか。スズメバチの季節だし蛇だって出るしと、よそごとながら心配になるが、連れの男の子は平気な様子。夫は、「おれだったら、あの格好見たら、絶対に予定を変える」と、ぶつぶつ言っていた。彼らは、お山への登山道の入り口のあるバス停で降り、登山道の案内板を見ていた。歩いて登ると3時間のはず。がんばってね。

 

 終点でバスを降りると、皆さんはトイレへ行ったりストレッチしたりして、登山の準備。それを後目に、わたしたちはお参りに。

 バスは登山者ばかりだったが、マイカーで来ているのは家族連れなどの参拝者ばかり。ここからは信仰の世界だ。かーんと澄んだ気の中で、厳粛ながら気持ちのよい時を過ごすことができた。ありがたいこと。

 また来年、必ず参ります。

 

 

 

 

●10月10日(水)

話が変わった。野音に行くことになった。

と言っても、コンサートがあるわけではない。宮本たっての望みで、挨拶と、たぶんアコギで数曲、といったところか。チケットは予定どおり払い戻すということだから、お金をとれるようなものではないというのだろう。

やはり野音は特別なのだ。1990年からずっと、メジャーの契約のない時期も含めて毎年続けてきた野音だ。いつも特別メニューで、総ざらえでレアな曲を演ってくれる、コアなファンのためのお祭りだ。宮本もそう思って大切にしてくれているのだと、改めて確認できてうれしい。

 

もっとも、こちらは今年は外聴きだ。そんな具合では、あまり聞こえないだろう。それでも宮本が来る以上、わたしたちも行かねばならない。それが心意気というものだ。

 

数年前の雨の野音。ファンクラブ先行で落選したが、奇跡的に一般発売で立ち見がとれた。あのとき、雨にもかかわらず外聴き衆が多数いた。それを見て、ちょっと羨ましく思った。

だから行くさ。幸い天気もよさそうだ。外から声援を送ってやろうじゃないか。

 

待ってろ、宮本!

 

 

 

 

●10月13日(土)

 楊コ鄰先生、没後99年。1913年10月10日。行年四十四。

 

 彼については、分かっていることが少ない。自身の文章は、楊昌済先生の日記に引かれた手紙のほんの数行しか見たことがない。

 関係していた団体名を見ると、楊度と行を共にしていたようだ。

楊度については、楊篤生が遺書の中でも悪し様に書いていた(章行厳を難ずる際に、彼が楊度と梁啓超との間を徘徊していた……とか)。

 一方、篤生は儷鴻夫人の真の病名をコ鄰からの手紙で知っているから、兄弟間の連絡はマメにとっていたようだ。

 

 何だか分からないけれど、要するに立憲派として主に北京で活動していて、篤生の死後は革命派に転じ? その後は黄興さんの篤い信頼を得て、その秘書を務めたり湖南省で要職に就いたりし、最期は袁世凱の手の者によって銃殺、と。

 

 何度も書いているけれど、昌済先生がコ鄰救出に奔走していたためか、昌済も一緒に殺されたという噂が流れ、デマだから安心しろという旨の手紙を黄興さんが章行厳に書いている。

 

 たぶん、コ鄰と毓麟と二人がかりで家から資金を持ちだしていたはずで、家政をみていた末弟・殿麟は大変だっただろうと思う。お母さんは10年に六十歳のお祝いをしているから、13年には六十三歳で長沙で健在。周囲は息子たちの死を伏せようとしたと思うが、いつまでも隠し通せたとは思えない(割とマメに手紙を書いていたようだから)し、どうなったのでしょうね。

 

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 明日は野音。

 我らは外聴き。

 立ち見でさえ、話は全く聞こえなかったのだから、まして外聴きでは聞こえるはずがない。曲も、今回はアコギで音量も抑えたものになるだろうから、ほとんど聞こえないかもしれない。

それは分かっているさ。珍しく自分の文章を発表したりしてファンには礼を尽くしているのに、わざわざ来て歌いたいと言うんだ。休んでりゃいいのに、ばかな人だ。

だからこちらも、ばかを承知で行くんだ。

野音だもの。年に一度のお祭りだもの。

 

 

 

 

●10月15日(月)

 あっ、元ちゃんの誕生日だ。45歳か。熱い45歳。善哉善哉。

 

 

 昨日の野音。97年から連続して参戦してきたが、初の外聴きだ。

 

 夫とは麻布の図書館で待ち合わせ、開演時刻ぎりぎりに日比谷へ移動。

 野音の周りはたいへんな人で、驚いた。外聴きの人はいつもいるけれど、こんなにたくさんの人は記録的だ。図書館で会えなかったら現地集合ということにしていたが、これでは困難だっただろう。

 

 ライブについては、あまり書きたくない。予想に反して曲はよく聞こえたし、12曲1時間というのも意外だった。30分くらいだろうと思っていたから。

 と、いうことだけ。

 ともかく休んでほしい。ぼろぼろじゃないか、色々な意味で。

休めよ。1年でも2年でも。

待っているからさ。

 

 なお、図書館では『湖湘文化大辞典』なる本で少々遊んだ。楊篤生はもちろん、コ麟も出ていた。皇族内閣と預備立憲とで反清に転じたと書いてあった。

 

 

 

 

●10月21日(日)

 一昨日、今季初の結露。これからだんだん下がり、零下7度まで行く。7度というのは百葉箱の話だから、ここは10度くらいになるのだろうな。

 でも今日は暑かった。散歩を兼ねて隣の駅まで歩いたら、お店で大汗になってしまった。

 

 昨日の新聞に澤村藤十郎が出ていた。

 歌舞伎座にはたぶん結婚してから行っていないけれど、毎月の新聞広告はたいてい見ている。で、藤十郎さんの名を見ないなあと思っていたら、扇雀が坂田藤十郎を襲名して、藤十郎=坂田藤十郎になってしまった。紀伊國屋の藤十郎さんは身体を壊したという噂は耳にしていたので、もう辞めてしまったのかと思った。

 

 昔むかし、大学に入った頃に周囲の影響で歌舞伎に興味を持ち、歌舞伎座に行くようになった。母が好きなので、「今月行きたい」と言えば「一等、買ってらっしゃい」とお金をくれたから、母のお供という形で一銭も使わずに行っていた。自分のお金で行ったのは、友だちと行ったときで、これは分相応に幕見だった。あとは結婚直後に夫と国立劇場に行ったくらいだ。

通常はプレイガイドを使ったが、一度、発売初日に勘九郎(現・勘三郎)が来るというので、歌舞伎座までチケットを買いに行ったことがある。一等の列に並んでいるのはおばさんばかりで、若い人はみな三等の列にいるので、後ろめたい気がしたのを覚えている。

 その頃好きだったのが、藤十郎さんだった。きれいな女形だった。それから、紀伊國屋さんの家の芸について調べて、図書館で「神霊矢口渡」なんか読んだりした。

 

 記事によると、98年に脳出血で倒れ、医師には引退を勧められたものの、再起を目指してリハビリに励んできたとか。未だに右手足に後遺症があり、万全ではないが、朗読などで活動は始めているそうだ。来年できる新しい歌舞伎座に向けて、「回復は歌舞伎の舞台まで7合目。残り3合が遠いが、諦めるわけにはいかない。新しい歌舞伎座で、まだまだ演じたい役があるんです」とのこと(『朝日新聞』「ひと」欄)。

なんか切ない。かなわないかもしれないけど、またあのきれいな姿が見たい。

 

 

 

 

●10月29日(月)

 先月、多摩動物公園でユキヒョウが死んだ。子育て中のお母さんで、子どもと一緒だと、子らにばかり食べさせて自分は食べないので、ご飯のときは別室に分けていた。この日は別室に分かれて、仕切りの扉を閉めているときに子どもが鳴いたため、突進したところに降りてきた扉にはさまれて、頭蓋骨骨折。

 このことを泣きながら夫に話すと、夫は「君が泣かなくていいんだよ。辛いのは飼育員さんなんだからね」と慰めてくれた。

 それはそうだ。きっと飼育係さんは、頭の中で何度も何度もその場面を再生し、あのときこうしていれば、このときこうしていなければ、と、数限りなく繰り返しただろう。何度も何度も、気が違いたくなるくらい、繰り返しただろう。

 動物園にはもう20年くらい行っていないし、ユキヒョウも図鑑やTVでしか見たことない、わたしなんかが泣くことではない。と言いながら、今もこれを書きながらぼろぼろ泣いているのだけれど。

 わたしはヒョウには弱いんだ。子どものとき新聞でヒョウの記事を読んだから。飼育係日誌みたいな連載記事だったと思うが、ヒョウの回だけよく覚えている。

 子育て放棄された赤ちゃんヒョウを若い飼育係さんが育てていたのだけれど、この赤ちゃんが排便ができず、仕方なしに毎日浣腸をしていた。するとそれを知ったベテランの職員さんが、「なんだ、そんなことしてるのか。こうするんだ」と、指の腹で赤ちゃんのお腹をくるっとなでると、ちゅるちゅると便が出たと。ヒョウのお母さんは、赤ちゃんのお腹を舐めることで、排便を促しているのだと。文字通り舐めて可愛がって、それによって元気に育つんだと。獅子は千尋の谷に……なんてとんでもない。

 母との身体接触がおよそないまま育ったわたしは、この話がとてもショックで、以来ヒョウのお母さんはわたしにとって、母性の象徴みたいになっている。育児放棄から始まっている逸話なので、変と言えば変なのだが、それはともかく、あらまほしき母親像をわたしはヒョウやオオカミから得ている。

 

 勤め先で大きな失敗をした。文字通り右と左とを間違えるような、考えられない凡ミスで、けれど結果として顧客に大損害を与えてしまった。ボスが自分のチェックミスとしてかぶってくれそうだが、わたしのミスであるのはどうしようもない事実だ。本当に考えられないミスなのだけれど、どうしてそんなことになったのか、発覚は今だが起きたのは一昨年のことなので、振り返って検証のしようもない。

 

 なんてことをぐじゃぐじゃ考えていたら、千葉テレビの情報番組でパンダだかヒヨコだかに、「反省は必要だけど後悔はしなくていいよ〜」というようなことを言われてしまった。こんな安手の「格言」に学ぶのもナンだけれど、うなずかされてしまった。そうだよね。それが真っ当な人間のとるべき道だよね。

 どうしても、まともに反省するよりも、何の益もない後悔に沈みがちだ。でもそれではいけない。きちんと反省して、同じ過ちを繰り返さないようにせねばならない。

 

 難しいけどね。顔子は人間じゃないと思うもの。「過ちをふたたびせず」なんて、凡人には無理だ。ついでながら、同じ条の「怒りを遷さず」も至難。できることではない。

それが難しいことだから、孔子もそうおっしゃって惜しんだのだ。

 

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 ともあれ明日はシングルが手に入る。野音で聴いた感じでは、よかったように思う。でも、どうしても、「ズレている証〜」と歌いたくなる。忘れていた「秋」も歌いたくなる。

 「涙を流す男」も、よさそうだった。楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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