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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2012年3月 3日 6日 11日 15日 18日 20日 22日
●3月3日(土)
3月。
もうすぐ星台先生の誕生日だし、宋教仁事件のあった月、つまり遯初君の亡くなった月でもあるけれど。
「三月十日」と「3・11」と。
この、性質も意味も全く違う二つの事件について、並べたり比較したりすることは、不可能だし無意味だし、双方の関係者にとって失礼極まりない。
なんてことを書こうとして、実際に何行か書いてみたのだけれど、結局やめにする。
わたしのやわな精神には、あまりに荷が勝ちすぎる。
わたしにできるのは、ただ、あまりに多くの「死」に対して、泣くことだけなのか?
●3月6日(火)
陳星台先生生誕137年。
今年も東新訳社跡で生誕祭を。
といっても、一人で突っ立ってぼそぼそつぶやく、怪しい人になるだけだ。
雨上がりの西神田公園は、あまり人はいなかった。近隣の勤め人が数人と、公園の住人と思しきおじさんたちと。
ドバトが数羽、地面にべったり座り込んでいた。じんわり湿っていて、気持ち悪くはないのだろうか。
静かな公園で、先生の貴い魂を思った。彼の諸作と生き方とが、どれだけの人の心を動かし、革命にどれだけ寄与したか。
旧西小川町から、飯田橋の方へぐるっとまわり、外堀通りを帰ってきた。
この神田川を先生は「小さな川」と記していた。今はきれいに整備されているが、当時はずっと鬱蒼としていたはずだ。
それでも、同じ谷を彼も見ていたと思うと、ちょっとうれしい。
河津桜のつぼみが大分ふくらんでいた。御茶ノ水橋の下では梅が咲いている。明日は天神様へ行ってみようか。
●3月11日(日)
3・11。いつもぼけっとしているわたしでも、さすがに厳粛な気持になる。
今年は三月十日関係の報道は、やはり少なかった。それでもNHKは、ローカルながら番組を作ってくれたし、昨日はローカルニュースで繰り返し流してくれた。辛いから見なかったけれど。
ぐじゃぐじゃ書いてみたが、全部消した。
わたしの立場で書けることではない
遺族は遺族だ。1年経とうが67年経とうが、それは変わらない。変わることはない。
わたしに言えることは何もない。
●3月15日(木)
今夜、NHK『ブラタモリ』は新宿・歌舞伎町を取り上げるということで、楽しみにしている。と言うのは、わたしの高校が歌舞伎町にあったから。
正確に言えば、前身たる高等女学校があったのが、今の歌舞伎町のど真ん中にあたるということ。女学校は戦災で今の場所に移転したが、もし移転しなければ、歌舞伎町は今のような歓楽街にはならなかったはずだ。
女学校が建てられるときに無数の蛇が出てきたため、集めて弁天様の祠をつくって祀ったという。往時の女学生たちが毎日手を合わせたというその祠は、今も歌舞伎町にあると聞く。
そんな話が聞けないかと思う。その弁天様を、TV画面越しにでも拝んでみたい。
あの番組のことだから、もっと深い話も聞けるのではないかと期待している。
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御茶ノ水の谷の河津桜も、だいぶ咲いてきた。いま、三分か五分かといったところ。メジロがにぎやかだ。
春の遅い年だけれど、それでもちゃんと進んでいる。なにより、日が長くなった。もうすぐお彼岸。
宵、金星がギラギラしている。−4.3等。すぐ近くに木星(−2.1等)。今日が一番接近しているらしい。そのうち月も加わって、よりにぎやかになる。
それにしても、ヴィーナスちゃんのあのギラギラぶりはすばらしい。怖いくらいだ。
●3月18日(日)
石くんの誕生日。これでメンバー全員45歳。でも、1カ月もせずにトミとセイちゃんとは46になる。
『ブラタモリ』を見た。弁天様が出てきた。小さな祠を想像していたのだが、思いのほかちゃんとしたお社だった。
ただ、由来は意外と古そうで、わたしが聞いていたのは学校に伝わる伝説だったようだ。
女学校については触れられなかったが、角筈という地名は出てきた。そう言えば、校史か何かに「角筈校舎」とあった。
●3月20日(火)
宋教仁事件から99年。
1913年の今夜遅く、上海駅で撃たれる。
毎年おなじことを書いていて、もう今さら何も書くことはないのだけれど。
彼の評価は今どうなっているのか、学界の動向など知らないので分からないが、例えば東方書店のHPで検索をかけてみると、去年あたりぽちぽち出ている。『宋教仁集』など、わたしの持っているのは卒論のために買った物だから20年以上前の版だが(調べてみたら、81年刊)、去年のだと内容に違いがあるのだろうか。
なんでもいいけれど、彼の再評価を、真っ当な評価を、切に切に望む。
●3月22日(木)
宋遯初先生没後99年。
一昨日深夜に撃たれ、昨日まる一日苦しんで、今日未明に息を引き取った。ぎりぎりまで意識はあったようだし、何故こんなにも酷い目に遭わねばならないのか、理解できない。
善因楽果、悪因苦果であるはずなのに、現実にはなかなかそうはならない。だから納得するために、前世だの来世だのを持ち出すのだろう。果はすぐに現れる場合と、ちょっと遅れて現れたり、ずっと遅れて現れる場合があると、修証義で読んだ覚えがある。前世で積んだ業の果が今生で現れると、今生での業と比べて過分に思えたり、その逆だったりする。反対に、今生での業の果が来世へ繰り越されても、やはり今生での果は今生での業と見合わないことになる。
なんてね。この世の不条理を無理やり納得させようとしてみる。
なんにせよ、なぜ彼がそんな死に方をせねばならなかったのか、分からないし分かりたくもない。文句の一つも言いたくなる。
昨日は聖堂へお参りに行った。アンズのつぼみは、まだ固そうだった。
今日は湯島の天神様へ。梅まつりはとっくの昔に終わったが(3/8まで)、今年の梅は遅れに遅れた。おかげで今季は4回目の参拝になった。わたしの大好きな女坂の白梅は、やっと盛りになっていた。
お参り後、上から花を見ながら坂を下りる。強く香っていて、祖母の葬儀を思い出した。不忍池に鴨を見に行ってから、今度は花を見上げて坂の下を通り、男坂を上って境内に戻った。
遯初君の日記に、池上に梅を見に行ったことが書いてあった。なんのかんの言っても、伝統的な教養をきちんと積んだ、中国の文人だ。彼のこういうところも好き。
不忍池では、オナガガモ、キンクロハジロ、ユリカモメ、ヒドリガモ、バン、オオバン、ウミネコ。毛を立てて地べたに座り込むドバトたち。おじさんの手から餌をもらうスズメたち。
曇りがちながら穏やかな日だった。