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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2012年1月 7日 8日 10日

 

●1月1日(日)

 中華民国建国100年。

 

 1912年1月1日、孫文が臨時大総統として、中華民国の建国を宣言した。

 

 遯初君、100年経ちました。今年は民国101年です。

 あなたの作った国も、あなたが作った党も、まだあります。あなたが構想していたとおりのものかどうかは別として。

 

 埋められてしまった遯初君に、もっとちゃんと光を当てたい。辛亥革命、中華民国、 国民党 と言えばすぐに、「宋教仁!」と誰もが答えるようになればいいと思う。

 

 

 

 

●1月7日(土)

 中華民国建国100年に関しては、少なくともわたしの普通に見聞きする範囲では、何の報道もなかったようだ。

 そんなものか。

 まあ、武昌起義と比べれば、ぱっとしないか。

 

 そんな今年は、楊篤生生誕140年、宋遯初生誕130年でもある。

 

 そして今日は、今年初のライヴ。公演自体は昨日もあったが、今回は2日目の参戦となる。

 付け焼き刃的に今更最新アルバムと最新シングルとを聴いている。ここのところいつもそうだが、気持がなかなか盛り上がらない。行けば必ず楽しくて、燃焼し尽くすのは分かっているのだけれど。

 

 待ってろ、宮本。石くん、トミ、成ちゃん。

 

 

 

 

●1月8日(日)

 2012年1月7日 渋谷公会堂

 

 17時10分くらいに始まり、終わって客電点いて時計を見たのが19時53分。途中で、こんなに長いならアンコールは1回かもしれないと思ったが、異例の3回!! 全29曲。

 

 荒々しい、激しい宮本が戻っていた。

「真冬のロマンチック」が、リズムが細かく強く激しい曲になっていた。こんな「ロマンチック」は初めてだ。「豆まき ひなまつり こうなりゃみんなで昇天さ」と拳が林立するのは、とても不思議。

 

今回の選曲は、まるでわたしのためのもののよう。

久々に聴いた「ソウル レスキュー」は、前日に家で口ずさんでいて、「こんな曲、演るわけないよね」と話していたもの。こういう偶然は珍しくないのだが、今回は特にうれしかった。わたしはこの曲を、譚瀏陽先生と楊篤生の歌だと思っている。

「忍耐を説く我らが母は 出来上がった無邪気な道徳家」と宮本は歌う。譚・楊両先生が言うように、おためごかしの偽道徳ではなく双方向で対等な「朋友」を基礎とした人間関係を築いていけたならば、どんなにいいだろうか。いや、そうしなければならないと、宮本に命じられた気がする。

 

「精神暗黒街」もうれしかった。ずいぶん久しぶりではないかと思う。聴けば聴くほど不思議な曲なのだけれども。

「未来の生命体」には狂喜!! 歌詞が1番と2番とでごっちゃになって、わたしの好きな「ビルの角」のくだりが飛んでしまったと思ったが、宮本は気づいてぐるっと回って戻ってきて、歌ってくれた。バックの演奏は大変だと思うけれど、何でもいいんだ。そんなことはどうでもいい。「その場」の勢いが命なんだ。レコードを再現して何になる? 

 

 「寒き夜」で、夫は泣いていた。

 

 「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」で、金原さん(?)がロックなステップを踏みながらヴァイオリンを弾いていたのが衝撃だった。

 

「季節外れの男」。「努力を忘れた男の涙は汚い」と言われてしまった。「言い訳するなよ おのれを愛せよ」と。

 生活に追われ、言い訳を並べて、同じことばかりを怠惰に繰り返している。そんな日常からの脱却を、宮本は強いる。また、お尻たたかれてしまった。ここのところ慣れっこになっていたが、今回はきつかった。何とかせねば。

 

「風」でも夫は泣いていました。

 

「漂う人の性」は6拍子の曲で、トミは大変だろうなと思った途端に、宮本がトミを振り返って止めたので驚いた。何が悪かったのか、わたしには分からない。あの人の繊細な感覚は凡人にはとても及ばない。「素直であるとは 戦わぬことなのか」には、いつもグッとくる。

 

「傷だらけの夜明け」。レコードでは気恥ずかしくて聴いていられないこの曲だが、今回はとても伸びやかで力強い声で歌われていて、そんなことは微塵も感じなかった。「再び山を越えよう」というくだりが、何かの宣言のように聞こえた。

 

「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」。2階席だったので全体がよく見えたのだが、すばらしい拳の林立。二千人が揃って手を拍ちながら歌っているのが、「敗北と死に至る道が生活ならばー」というのは、知らない人が見たらかなり異様な光景ではないか?

 この曲だけではなく今回は、ゲストのブラスや絃が、とてもよく調和していた。宮本の道具というか、完全に指揮下に入っているように思えた。

 

 アンコールの「パワーインザワールド」で強く思った。宮本はまた、山に登ろうとしている。ライブの前日だったかにTVで見た八ヶ岳のドキュメンタリーを思い出した。山頂付近は激しい吹雪で、ベテラン登山家は登頂を断念する。けれどもその吹雪の中からは、雲の切れた下界の里が、黄金郷のように輝いて見える。登山家は言う。「下から見れば、山の上に小さな雲がかかっているだけなんだ」。けれどその雲の中は、立っているのも困難な吹雪になっている。

黄金に輝く里山の頂で、宮本は今の成功(?)をつかみ取ったはずだった。傾向はともかく、動員が増えていること自体は否定できない。

しかし宮本は、やはり高みを目指さずにはいられないのだろう。たとえ吹雪に苦しめられようとも、「宮本芸術」の完成を、本能的に希求しないではいられないのだ。

かつての彼は、単独でそれを繰り返したが、今度はでき得る限り、「一切合切」引き連れて登るつもりらしい。

「気に入った場所は何処だ 何度も探し辿り着いた やっぱり飽き足らない やれやれ俺また探すんだ/全部使い尽くせ おのれの全部使い果たせ やっぱり飽き足らない  死ぬまで俺走るんだ」

 

アンコール2回目の「so many people」。「矛盾するようだが激烈な変化を求めるあまり死んでしまう人がいる 無駄死にさ やめたほうがいい 生きようぜー!!」そして「革命も瞬間の積み重ね」。

この歌はどうしても、わたしには辛亥革命のテーマソングにしか聞こえない。星台先生をはじめ、死んでいった志士の皆さんたちが思われてならない。

 

もうこれで終わりかと思っていたら、客電が点かなかった。

声をかける暇もなく、宮本登場。アンコール3回目。

絞り出された「待つ男」は、「ガスト」や「ファイティングマン」と違って、こちらの唱和を寄せつけない凄まじさがあった。拳ひとつ挙げられず、ただ呆然と謹聴するしかない。

これが2ndアルバムの曲なのだから、天才と形容するほかはない。しかも、ついさっき創ったように新しく感じる。

 

圧倒的な歓喜の中で4人は去って、ステージは終了した。

 

 昨年9月の野音はかつてない楽しいライブだったが、楽しすぎて寂しくなった。宮本は老いたのだろうか、老いて丸くなったのだろうか、と。

 

 でも、そんなのは杞憂だった。

 

 

 

 

●1月10日(火)

中国人は自刎する。これは文化の違いだから仕方ない。

厭世派の抜刀自刎投江自殺は、責任放棄で人道を損なう」と楊篤生も書いている(これを書いてからいくばくもしないで踏海しているけど)。

なんで日本は腹なんだ? 介錯がないと厳しいだろうに。

今井四郎兼平なんかは、太刀の先を口に含んで馬から逆さに飛び下りている。主君の木曽義仲の不様さを帳消しにするかっこよさだ。

 

 

腕が痛い。ライブの後遺症だ。ここのところのライブではなかったこと。6月のオリンパスは言いライブだったが、筋肉痛を起こすようなガンガンいくものではなかった。

痛いけどうれしい。

 

 

 

 

 

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