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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2011年9月 10日 13日 16日 18日 23日
●9月10日(土)
ずっとずっと先だと思っていたのに、あと1カ月になってしまった。武昌起義100年。
さすがに世界史上の大事件、アジア初の共和国を建てた革命ということで、種々の催しも行われているようだけれど、わたしはこの粟散辺土の島国から動けないし、10月10日は休日だから、たぶん多摩から出ることすらしないだろう。
それでももちろん、感慨はある。
昨日は久し振りに図書館に行けたので、楊篤生と遊んできた。彼の最晩年の文章を読んでいる。いつから始めたか忘れたくらい、ずっと前から読んでいるが、一向に進まない。言い訳を並べさせてもらえば、まず図書館になかなか行けない。家でやればと思うが、その時間もなかなかとれない。それに、家には辞書がない。普通の現代中国語の辞書と普通の漢和辞典と『字通』とだけでは、とても追っつかない。やはり諸橋と、巨大な中国語辞典(12巻くらいあるの)とがなければ、解決できないことが多い。だいたい、彼の文章は難しすぎる。書架の間を駆け巡って、やっと出典が『孟子』と分かり、別の階の書架から『孟子』を持ってきて、該当の章を端からページ繰って……。それで分かればめでたいが、いくつも辞書を繰って、結局わからないことが多すぎる。先生、もうちょっとばかでも分かるようには、書けないものでした? などと訴えても、普通に分かりやすく口語で書いたつもりだけど……と戸惑われるだけだろうな。要求水準が違いすぎる。彼は一級の読書人だし、読者として想定されていたのも真っ当な知識人だっただろうから。
自分の怠惰と無知と無能とを棚に上げての愚痴はさておき。
昨日はそういうわけで彼と遊べて、久し振りにあの瞬間があった。
かっこいい! やっぱりこの人はかっこいい。本当のことをバシッと言い放つ。そういうときこの人は、本当にかっこいい!
例えば、楊昌済先生が日記に書き残しているこの逸話。
英国人と「意志の自由」を巡って議論したとき、「意志の自由」を否定する英人に「じゃあ、何が君を造ったんだ?」と問われて、篤生は「私が私を造った」と言い放ったという。
常に神の意志なんざと対峙しなければならないキリスト教徒は気の毒だが、「吾為造吾」というのは仏徒としては全く正しい。縁起説だし、善因楽果・悪因苦果、自業自得です。
英人は呆気にとられて黙ってしまったとかで、折伏はできなかったかもしれないけれど、かっこいいよね。
かっこいいです。
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久し振りにカワセミを見た。冬は毎週のように会えたのに、夏の間は全く見なかったので、そういうものかと思いたかったが、夫は時々見たと言う。それでおもしろくなく思っていたのだけれど、今日、不意に目の前に現れた。水面から飛び立ったところで、石の上にちょっととまり、すぐに去って行った。ほんの数十秒の出会いだが、うれしかった。
やはりカワセミはスターです。何度見ても新鮮にうれしい。
また会えないかと流れを見ながら歩いていたら、水面の上に枝をさしのべたムラサキシキブが色づき始めているのに気がついた。
秋だ。
●9月13日(火)
元気は出るまで出すな(倉橋ヨエコ)
ぐだぐだしながら言い訳並べているより、ヨエコさんみたいに言い切ってしまったほうがいいかな。
でも、彼女は続けて、こうも歌う。
元気はそろそろ出るよ
そうだ。今度の土曜は野音だ。宮本たちを応援しに行かねばならない。1年をこのために生きているのかもしれないと、時々思うことすらある野音。それだけに、一昨年ファンクラブでチケット落選したときは、事態が一瞬理解できなかったし、飲み込めてからは恐怖さえ覚えた。奇跡的に一般発売で取れたからよかったようなものの、取れなかったら、本気で外聴きするつもりだった。あの雨の中で。
今年は天気もよさそうだ。毎年、週間予報の端にあらわれた日から一喜一憂して迎えるけれど、台風でも来ない限り中止にはならないし、かなりの豪雨も何回か経験済みで、それはそれで極限状況からくる異常な盛り上がりというのもあったりして、なかなか乙なもの。一昨年など、寒くて大変だったが、ライヴの出来は過去最高だった。
今年は月がない。出るのが20時4分だから、上ってくるところがぎりぎり見えるかどうか。
なんでもいいや。ともかく、体調を整えて臨まねば。
●9月16日(金)
「ああ労働の日々!
ダテや酔狂じゃねえ、生きるのさ!」
(「達者であれよ」エレファントカシマシ)
いくら野音でも、こんな妙な曲は演らないだろう。
●9月18日(日)
下肢が痛い。
昨夜はふくらはぎが痛み、時々膝がかくっと抜けた。今日はそれに加えて向こう脛が痛む。気づかず呑気に近所へ買い物に出掛けたら、帰りのだらだら下り坂がひどくきつかった。
今はまだ大丈夫だが、そのうち腕も痛むのだろうか。
ぜーんぶ、昨夜の後遺症。あの幸せな2時間半の!
劈頭、成ちゃんのベースで「歴史」と分かって狂喜してから、最後にトミがいつものように手を振ってくれて、石くんの姿が消えるまで、幸せな時間だった。
正直言って「すごいライブ」ではなかったが、「楽しいライブ」だった。こんなに楽しかったことがあるだろうかというくらい、楽しかった。
老いたのかな。彼らもわたしも。
今回は4人で始まり、途中でサポート2人入っても、古い曲のときは2人とも消えていた。それでいいと思う。4人でなきゃいけないということはない。6人の曲も、4人の曲もいい。蔦谷、ミッキー両氏に感謝!
まさかと思った3回目のアンコールに出てきてくれた宮本は、へたばってへろへろになっていた。それでもきちっと「今宵の月」を歌ってくれた。
後でロッキング・オンのサイトで終演後の写真を見たけれど、4人とも憔悴しきってぼろぼろになっていた。今回、チケット入手がかなり困難になっていたようなので、来年は以前のように2DAYSにしてくれればと思ったが、あの姿を見てはそんなこと言えない。
野音は普通のライブと違うから、消耗も激しいのだろう。
わたしも疲れた。
時を感じる。
「いいこと言ってるので笑ってしまった」と言って始めた「太陽の季節」。6枚目だから発表時には26歳だった。「嫌な奴」だった当時のままに歌ってくれたが、若かった当時に難じた対象である連中の側に、今はいる。「おめえは若い まだ若すぎる 経験だこの世は」って、すごく嫌ったらしく歌うけれど、今は痛い。
いつもそうなのだけれど、宮本を応援するつもりで行くのに、結局わたしのほうがお尻を叩かれて帰ってくる。
宮本を見ていると、言い訳を並べて怠惰に過ごす自分が、たまらなく恥ずかしくなる。
「涙のテロリスト改メ笑顔の未来へ」は、いつものように故意に曲解して聴いた。笑顔の未来を見ることなく消えたテロリストたちを思った。
おやまあ、今日は九一八ではないか。ごめんなさい、忘れていました。
●9月23日(金)
野音の後遺症は思いのほか長く続いた。ライブは17日だったのに、22日の時点ではまだひどく痛んでいた。歳か。
さすがにお彼岸で、めっきり寒くなった。もともとこの地は「東京」と違い、滅多に熱帯夜にはならないのだが、ここのところは朝は20度を切る。
彼岸花がだいぶ咲いてきた。でもツクツクはまだ鳴いている。
最近読んでおもしろかった本をあげてみる。いずれも母校の図書館で借りたもので、既に手許にはない。
黒田日出男『龍の棲む日本』岩波新書
村井章介『中世倭人伝』岩波新書
榎本渉『僧侶と海商たちの東シナ海』講談社選書メチエ
思いっきり日本中世だ。
もともと、保元・平治あたりから鎌倉初期というのは好きなところだ。
『平家物語』に、わたしの父祖の地を名字とする武士が出てくる。今の市でも、市になる前の郡や村の名でもなく、本当に小さな字(あざ)の名なので、親しみが強い。
ただ、その武士の物語の中での役柄は、決してよくはない。甥のとった首(手柄)を横取りしたものの、甥の機転によりばれてしまうというもの。残念ながらかっこわるい。
坂東武者というと、素朴で勇壮でかっこいい印象があったが、色々見ていくと、そんなによいものではないことが分かる。
なにしろ「一所懸命」の人たちだから、土地を守るため、土地を拡げるためには、何でもする。当然、計算高くてこすい。勝ち馬に乗るのは当たり前。対立する両勢力を天秤に掛け、状況によって乗り換えるのも平気。場合によっては保険をかけるため一族を分けて両方についたりもする。負けた側についていたことを理由に、土地を取りあげられては大変だから。
集合生命体なので、たとえ自分が死んでもその死が手柄として認められれば、一族の利となる。だから、命知らずの勇猛さを発揮できる。
こんな連中を敵に回したら厄介だ。