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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2011年6月 3日 4日 26日
●6月2日(木)
昨日、2011年6月1日、八王子オリンパスホールでのエレファントカシマシのライヴに参戦。
夫がレポを書いたので、以下に掲げる。
♪♪♯♪♪♭♪♪♯♪♪♭♪♪♯♪♪♭♪♪♯♪♪♭♪♪♯♪♪♭
雨はかすかに舞っていた程度だが、気温は冬に戻ってしまったように寒い曇天の中、横浜線で八王子へ向かう。
4月にできたばかりのオリンパスホールは、3階席まである小振りのホール。傾斜、座席ともうまく配置され、12列だったこともあって、宮本がすぐ目の前にいるように感じて恥ずかしい。
19時5分頃、客電が消えて宮本登場。挨拶もなしにいきなり1曲目、「ムーン・ライトマジック」へ。コーラスが付いていることに気づくが、初めは「コーラス・エフェクター」みたいな機械でもあるのかと思ったほど。付けていたのは、蔦谷さんではなかった。後で紹介してくれたのだけれど、メモすることができなかった。蔦谷さんの声も私は好きなのだが、今回のは、個性を殺してコーラスに徹した、素晴らしいコーラスだった。
2曲目は「おかみさん」。原発事故の後だけに生々しく感じてしまう。
3曲目は、「脱コミュニケーション」。鬼気迫る叫びの後、美しく歌い出す。
4曲目「悲しみの果て」は、どうしてもFNSのあの番組を思い出す。
宮本さん、あなたはあれで正しかったよ。震災をネタにはしゃいでいるようにしか見えないほかの連中と、お通夜に出席しているようなあなたの姿と、どっちが正しかったかは、今は誰もが分かるだろう。
5曲目「彼女は買い物の帰り道」。途中から激しいロックに。
そして変わったいい前奏から、6曲目「歩く男」。自分でコーラス・バージョンの方を歌う。あれは余りに痛いものね。
7曲目「9月の雨」。「ヨロレイン」と自分で紹介したか。
今日一番の声の伸び、艶だった。身体を二つに折って絶叫して歌う。生きること自体の苦しみを吐露しているようにも感じてしまう。
しかし次の8曲目「旅」で、宮本は力強く「生きること」を選びとる。
9曲目「いつか見た夢を」。発表当時の評判は良くなかったが、今はノリノリのロックソングへと成長している。宮本、ツアーで何があったんだ? よっぽど楽しい思いでもしたんだな。
10曲目「戦う男」。
私の待っていたエレファントカシマシが、確かに戻って来ていた。
ここではなく、もう少し後だったが、「客席と真っ直ぐに繋がれた」というようなことを言っていた。「長くやって来て良かった」とも。
自信を取り戻したんだね。良かった。
11曲目も同じ「男シリーズ」から、「珍奇男」。鋭い切れがあった。珍しく高緑さんを前に出した。
「古い曲を」と言ってから、うねるような低いベースの音。まさかと思っていると、本当に始まった12曲目「東京の空」。今まで聴いた中で一番。多分、間違いも一個所もなかったように思う。
後奏の「あー」の部分は、慟哭なしに聴くことはできなかった。
13曲目「明日への記憶」。これが実に素晴らしい。
MCでも色々言ってくれたけれど、今回は曲順しかメモしなかったので、残念ながら憶えていない。
14曲目「赤き空」。15曲目「夜の道」。
16曲目の「幸せよこの指に止まれ」は、激烈なアジテーションソングになっていて、初披露当初に現在の曲の姿を予想した人間は一人もおるまい。
17曲目の「朝」から18曲目「悪魔メフィスト」へ。
曲が大きすぎて、ちょっとまだ、まとまらないかな。
全編が叫びでした。
ここで本篇終了。
「ミヤジ! 来いよ!」
と叫んだところで、いいタイミングで出てきてくれる。
アンコール1曲目(19曲目)は「地元の旦那」。最高に盛り上がった。
そして20曲目「ひまつぶし人生」は、私たち夫婦が以前から大好きな歌。
レコード(CDだけど、記録媒体という意味ではレコードでよくないか?)よりもいいくらい。
21曲目「友達がいるのさ」は、身を震わせ、絞り出すようにして歌ってくれた。彼らが歌ってくれる限り、私も極力、コンサートにこうして出かけてこよう。
「O.K.トミ!」のかけ声から、22曲目「フライヤー」へ。
「落ち合ってるぜ!」 という感じがした。
23曲目の「ファイティングマン」では、もうこちらも全力を振り絞る。
手を振りながら帰る宮本に、思わず「ありがとう!」と叫んでしまった。
もう出てこないだろうと思っていたら、拍手は鳴り止ます、やがて本当に出て来てくれました。
再び「ありがとう!」と叫ぶと、宮本も「ちょっと照れくさいけどありがとう!」と返してくれました。
そして止めは24曲目、「ガストロンジャー」。
余韻の漂う中、トミが手を振ってくれたのが印象的でした。
恐らく、21時20分頃終了だったと思う。正味2時間15分くらいか。
どんなにくたびれても、半年に一度くらいは参戦したいものだ。
●6月3日(金)
数日前から、ウグイスに交じってホトトギスが聞こえる。渡りの途中に立ち寄っただけで、本物の夏になれば本物の山へ行ってしまうのだけれど、今だけちょっと高原気分を味わわせてもらう。
一昨日のライヴはすごかった。夢のようで、ずっと昔のことのように感じるが、ほんの2日前のことなのか。
などと疑うまでもない。左腕の筋肉痛がそれを証明している。
レポは夫が書いたので、思い出すことを順不同に綴ってみる。
美しかった。とにかく全編よく声が出ていて、美しかった。
身体を半分に折って絶叫しても、その直後に美しい声を聴かせてくれる。どういう喉をしているんだ?
「東京の空」は絶品だった。何度か聴かせてもらっているが、今回のが最高だった。なにしろ大曲だから、正直言ってへろへろのときもあった。今回は初めから終わりまで、最後の涙ものの「あー あああーあああー」に至るまで、完璧に美しかった。
聴き終わってわたしの方が疲れてしまい、次の曲が「明日への記憶」と分かった時点で床にしゃがみ込んだ。でも、あの十分余りの熱演の直後にもかかわらず、「明日への記憶」を歌う宮本の声は美しく力強い。ミヤジがこんなにがんばっているのに、聴いているだけのわたしがへたりこんでいるわけにはいかない。そう思って、慌てて立った。
みんなもがんばっていた。こんなに拳の林立するライヴは久しぶりだ。やっと本当のエレカシに返ったんだ。熱い激しいエレカシに。
「彼女は買い物の帰り道」は好きな曲ではないが、聴いていてなぜか、周儷鴻という女性のことを思った。彼女の人生は何だったのだろう。もちろん、よく知りもしない他人が、人の人生を価値づけたり判断したりできるものではない。それでも、そんなことを思ってしまった。
今に始まったことではないが、エレカシのライヴに行くと、己が現状に対して、「これではいかん!!」という思いを強く抱かされる。
日々、あれもできないこれもできないと気ばかり焦って、それを誰かのせいにしたくて、でも誰のせいにもできなくて、苛々してばかりいる。誰のせいにもできないさ。だって、自分の怠け心と能力不足とのせいだというのは、自分が一番よく知っているから。時間がない、時間がないと言いながら、時間ができれば何もせず、だらだらとしているだけ。もうちょっとだらだらしてから、アイロンかけて、その後で勉強しよう、などと思っていつまでもだらだらし、やっとアイロンをかけ始めると夫が帰ってきて、それで自分の時間は終了。また何もできなかった!と怒りたくなるが、できなかったのを夫のせいにできるか? 実のところ、夫のせいにしてきたけれど、それが不当だというのは分かっている。
じゃあどうするか。怠け心を断つか、分不相応な望みを絶つか。
そんなぐじゃぐじゃを、宮本は造作もなく踏みつぶし蹴散らしてくれる。
立て!!と、強く促してくれる。彼を見ていると、立たざるを得なくなる。
この日は演ってくれなかったけど、「努力を忘れた男の涙は汚い」からね。
●6月4日(土)
公園のアジサイが色づき始めた。公園で、ウツギの花がきれいだった。緑の力の強い季節だ。
左腕は、まだ痛い。
昨夜は仙台でのライヴの生中継を見た。前半はご飯を作りながら、後半はご飯を食べながらだから、そんなに入れ込めたわけではないけれど、それでも、よいライヴだったというのは分かった。
「星の降るような夜に」は羨ましかった。最近、聴かせてもらっていない。この曲を聴くと野音の木立が見える。
最後は「ガスト」かと思ったが、ギターを持ったので「がんばろうぜ」だと分かった。そりゃそうだ。今の仙台で、「破壊されんだよ、だめなものは全部」はない。ふさわしいのは、「さあ、がんばろうぜ」だ。
こういうところの感覚が真っ当なのは、うれしい。無茶苦茶やる人だが、こんな繊細さも併せ持っている。
余計なことは一つも言わずに「がんばろうぜ」を演奏する宮本は、最高にかっこいい。
●6月26日(日)
ちょっと前の新聞に、行き場のない子どもたちを受け入れているという、さるお寺さんが紹介されていた。ご住職は、子どもたちを守るために必要とあらば、暴力団事務所にも乗り込んでいくという。
――正しいことだと思うし、阿弥陀如来と法然さまがついているから恐くない……。
とのこと。
なるほどと思った。浄土宗が武士に歓迎されたわけだ。
死んだら阿弥陀さまが光り輝く浄土に迎え取ってくれる。お上人さまが保証しているのだから間違いない。
だから、死ぬのは恐くない。
乱世の思想だ。戦乱や饑饉や、その他もろもろの災厄で、そこら中に屍体がごろごろしていた時代だ。幸薄い生を生きてきて、そのうえ死んでからも、恵心僧都の言われるような地獄が待っているのなら。それを避けるためには人並み外れた修行を積むか、お寺や僧侶に莫大な寄進のできる金持でなければならないなら。そんなことのできない普通の人は、どうしたらよいのか。
思えば、仏教そのものが乱世の思想だ。今昔物語にあるシャカ族滅亡の話は脚色が強いが、シャカ族が族滅したこと自体は、釈尊在世中の史実だそうだ。
……わたしは時々釈尊が恐くなる。あの方は人間なのだろうか。
厭離穢土、欣求浄土とは言うけれど、望まれているのは、苦しいこの世を離れて、光り輝く阿弥陀さまの浄土で、何の心配も憂いもなく、にこにこと幸せに生きることだ。死にたいわけじゃない。ここがいやなだけで、やっぱり生きたいんだ。
けれども、釈尊はどうなのだろう。釈尊の目指された「二度と生まれてこない」というのは、ここに生まれないというだけでなく、もう二度と、どこにも生まれないということなのではないのか? そんな気がする。あの方はもう、どこにもいない。少なくとも、この銀河、この宇宙にはいない。外宇宙か、あるいはさらに向こうの、人智の及ばぬところへ行かれたのではないか。
あの方は、人間だったのだろうか。