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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2011年5月 15日 28日
●5月15日(日)
「元気は出るまで出すな」
特に何があったというわけではないのだけれど、何となく調子が出ない日々を送っている。
生ゴミを捨てるのに使う古新聞を見ると、「世界が違ってしまった」という感じが募る。
3月11日の夕刊、一面トップは、首相が外国籍の人から献金を受けていた! なんて、どうでもいい揚げ足取り記事。社会面には、今時の中高生はヤフー知恵袋で宿題を片づけいる! などという呑気な記事がでかでかと。
……わたしがこの新聞を手にしたときには、既に世界は違ってしまっていた。
生きている間に、「震災」と言われるほどのものが、2回もあるとは思わなかった。静岡県生まれの夫から、東海地震の恐怖は聞かされていたけれど、どこかよそ事だったし。
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「元気は出るまで出すな」と倉橋ヨエコが歌っている。
初めて聴いたとき、驚いた。正直な話、この人のことは名まえを見かけたことがあるくらいで、全く知らなかった。数年前、牧野元のライブの対バン(バンドじゃなくても、こういうのだろうか。妙だけど、ほかの言い方知らないから仕方ないか)として、何の先入見もないまま対した。そして、その歌の力と、声の圧力に、圧倒された。
そのとき最も心に残ったのが、「元気は出るまで出すな」という句だった。
その後、雑誌で、彼女が活動をやめたと知り、残念に思った。
そのまま忘れていたのだが、数日前に不意に思い出した。「元気は出るまで出すな」。
ライブで聴いただけだから、曲名も知らない。でも、この句だけで調べてみたら、ネット上で聴くことができた。それは、わたしの記憶にあるものとはずいぶん違っていた。やはりライブとレコードとでは、どうしても「力」が違う。それはほとんど物理的な、質量をもった物体のような「もの」で、会場で暴力的に投げつけられる。必ずしも全てのミュージシャンがその力をもっているわけではないようで、眠くなるようなライブも経験したことがある。彼女にはその力があった。もちろんエレカシにもカスタにもあるけれど。
それはライブだけのもので、どんなに丁寧にきちんと作ったレコードでも、やはり盛れないようだ。
とはいえ、それは仕方のないことなので、この曲がいい曲だというのはかわりない。
「元気は出るまで出すな」。「元気はそろそろ出るよ」
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●5月28日(土)
学生のとき、近所で反原発関係の集まりがあるというので出かけてみたことがある。区の施設を借りての、学習会のような小さな集会だった。
内容は、核燃料を輸送する車を追跡するという活動の報告。なにしろ20年以上も前の話だから、記憶違いがあるかもしれないが、確か、東京湾から新潟まで、陸路を普通に一般道や高速道路を通って運んでいるという話だった。
驚きました。
集まりの性質上、報告者をはじめ参会者の大部分が同じ区民だったのだと思う。もちろんわたしもそうで、だから話に出てくる具体的な通りの名まえがあまりに身近。わたしの生家のすぐ近く、そこを渡らねばどこへも行けなかった幹線道路を、そんな物騒な「もの」を積んだ車が通っているというのは、たいへんな驚きだった。「私の家のすぐ近くを通って行くんです」と、報告者の女性も言っていたように記憶している。
彼女たちはもちろん、テロリストでも何でもなく、ただ、何が行われているかを知るために、後をついて走っているだけだったと思う。
そんな「もの」が、夜間にこっそりと運ばれているなんて。もちろん、お茶壺道中みたいに賑々しくやれば、余計に危険なのだろうけど。
頼むから、事故を起こさないでくれ、居眠り運転のトラックに追突されたりしないでくれ、と祈るばかりだ。
今もそうなんだろうか。そんなふうに運んでいるんだろうか。
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先月だったか、新聞にソウルフラワーユニオンの中川敬のコメントが載っていた。反原発は自分たちにとっては当たり前のことだったので、若い人たちに伝えるのを怠っていたと反省している……という意味のことを言っていた。
この人に言われては。やはり、ちゃんと行動し続けている人は、言うことが違うと思う。
実際、反原発というのは、わたしの周辺でも当たり前のことになっていて、ことさらに言うまでもないという感じになっていた。
でもそれだけで、何かしていたわけではない。なーんにも、していない。
中川はチェルノブイリ25周年のライブを企画していたという。そういう人に、怠っていたなんて言われると、申し訳ない。
もちろんわたしなんかに何ができるわけでもないが、集会やら署名だのの頭数を増やすくらいはできるのに。