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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2010年12月 3日 4日 6日 7日 8日 29日

 

12月3日(金)

 今朝の嵐には驚いた。稲光とほぼ同時の雷鳴とか。

 その後いきなり晴れたが、それでもしばらくは、照ったまま降ったりしていた。

 

 そんなわけで今朝は見られなかったが、昨日の朝は月と金星とが近づいていてきれいだった。

 明日は十月二十九日。明後日は晦日。で、楊篤生のお誕生月間が終了する。

 

 そして来週火曜日は、12月7日だ。

 

 

 

 

12月4日(土)

 今朝のヴィーナスちゃんはすばらしく美しかった。下に細い月がいて、地球照がくっきりと見えていた。

 

 高校生のとき、学校で昼間、最大光輝の金星を見せてもらったことがある。N先輩、あの時はありがとうございました。お慕いしておりました。……と言いたいところだけれど、これは本当にあったことだろうか。天文台で昼の金星を探したことは確かに憶えているが、そのときいたのは本当にN先輩だったかどうか。N先輩ならわたしは一年生だったことになるが、もっと後のような気もする。それに、そのとき金星を見つけられたかどうか。見つけたように思うが、だめだったような気もする。

ひょっとしたら全体が、捏造された記憶かもしれない。

 

 なんだか分からない。

 

 

 

 

12月6日(月)

 明日7日と明後日8日、12時15分ころより、日本国東京都千代田区西神田2丁目の区立西神田公園で、陳星台先生の慰霊祭を行います。

志ある方は、念波を送ってきてください。

 

 

 

 

12月7日(火)

○清国人同盟休校   

東京市内各学校に在学する清国留学生八千六百余名の同盟休校は大学教授連盟辞職に次ぐ教育界刻下の大問題なり右は去月二日発布の文部省令清国留学生に対する規程に不満の念を懐きたるものにして該省令は広狭何れにも解釈し得るより清国学生は該省令を余り狭義に解釈したる結果の不満と清国人の特有性なる放縦卑劣の意志より出で団結も亦頗る薄弱のものなる由なるが清国公使は事態甚容易ならずとし兎に角留学生一同の請ひを容れて之を我文部省に交渉するに至りしが有力なる某子爵は両者の中間に於て大に斡旋中にして右の結果両三日中には本問題も無事落着すべしといふ

『東京朝日新聞』明治三十八年(1905年)十二月七日 (強調は、ゆり子による)

 

 この記事を読み、星台先生は今日一日を書きものに費やした。絶命書と、父・宝卿公の伝記と。

 

 

 昼、東新訳社の跡へ。105年前の今日は天気が悪かったはずだが今日は暖かい。そのためか西神田公園には人がそちこちにいて、ちょっと具合が悪い。それでもめげずに普門品偈を唱え、先生の「大地沈淪幾百秋……」をおぼつかぬ発音で口ずさんだ。

 本当は明日は大森へ行きたいところだが、大森は遠すぎる。明日もここで偲ぶことにする。

 

 夕刻、帰りの電車が人身事故の影響で乱れて難儀した。死ぬなら方法を選べよと毒づきたくなったが、思い直して反省した。本当に事故かもしれないし、そうでなかったとしても、やはりたいへんいたましい事には違いない。

 

 明日は12月8日。

 

 

 

 

12月8日(水)

 陳星台先生没後105年。

 

 やっと冬らしく寒くなってきた。今朝は出勤時に顔が痛かった。去年は驚いた、多摩の冬。

 けれども105年前の東京は、きっともっと寒かったのだ。そんな日に先生は海に入った。ひと思いに飛び込むならまだしも、遠浅の海にずんずんと入っていくのは、どれだけの精神力が要っただろう。

 

 東新訳社の跡でささやかな慰霊祭を行い、散歩して帰った。御茶ノ水の駅前で、おばさんたちが赤紙の復刻を配り演説していた。わたしはわざわざ信号を渡って署名した。同じ紙を去年ももらった。毎年12月8日にしているそうだ。

 おばさんは演説していた。「みなさん、今日が何の日かご存じですか。今日12月8日はビートルズのジョン・レノンの命日です」と。そこから日米開戦に触れ、レノンのイマジンから核廃絶の訴えへと話を進めていた。「みんなで夢みれば、実現できます」

 

 職場に帰るべく信号を待ちながら思った。

星台先生が「獅子吼」で思い描いた近未来の中国は、実に堂々たる軍事大国だった。それはちょっと悲しい。けれどもそれは、20世紀初頭という時代の制約によるものだろう。

21世紀の今だったら、彼はどんなことを考えているだろう。今の中国は堂々たる軍事大国になっているが、彼が望んだものは他国を威圧したり脅迫したりするための軍事力だったのか? 

そして彼は、今の中国や世界の、自由・平等・博愛の有り様を、どう見るだろう。

 

 

 

 

12月29日(水)

 エレカシのエピック時代の映像集が1月1日発売なので、いつ入荷するか、先週disk unionに訊きに行き、ついでに予約してきた。

 そして昨日、勤めは一昨日で終わっていたのに、エレカシだけのために駿河台へ出かけた。

 いつものように、店の外に貼ってある頭脳警察のポスターにちょっと目をやってから中に入ると、「おれのともだち」が流れていた! 明らかにライヴのではなくレコードだし、なんで?と思いながら、おつりを待つ間、宮本と一緒に口ずさんでいた。

 店員の女の子が笑っていたのは、わたしが歌っていたからではあるまい。口の中でだけで、声は出ていなかったはず。いくら入荷日だからといえエレカシの、しかも五枚目がかかっているということ自体が異常だし(店外ではバンプか何かがかかっていた)。何が起きていたのか? 入荷日がなかなか分からなくて二度も電話くれたし、まさかわたしの噂でもしていたのか? と、妄想気味になる。

 でも、五枚目がかかっていたら、普通誰でも歌うよね。

 

 そして夜、見た。一度では無理なので半分弱だけど。

 すごかった、21歳のエレカシ。知らないわけではなかったが、予想の上を行っていた。

 なるほどエピックの人たちが、「君は天才なんだから」と言って、プロデューサーもつけずに一枚目から好きに創らせたというのも、納得できた。これは天才だ。異常者すれすれだ。なんとかこの才能を矯めずに、ということだったのだろう。

 実際、これはすごい。あの没入度。見ていて恐くなるほどだ。

 

 それにしても、とんがっていたね。

 88年3月じゃ、わたしが大学を出たときで、最も音楽から遠ざかっていた時期だ。モノラルのテレコを抱えて、ハコと森田童子ばかり歌っていた頃か。

 あの当時では、出会うことはなかっただろう。なんだ、このガラの悪い不良どもは、で終わっていただろう。

 今なら分かるけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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