日記表紙へ

 

 

多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2010年11月 1日 23日 30日

 

11月1日(月)

 誕生日が解らないのだからしょうがない。

 

 楊篤生が生まれたのは、同治壬申十月。つまり西暦1872年11月1日から30日までのいつか。

 誕生月として祝うとしたら、陽暦で今日から30日までとするか、陰暦で考えて十月朔=11月6日から、十月晦日=12月5日までとするか。

 

 まあ、どっちでもいいのだ。彼が、あの稀有な才人が、この世にいたのは確かなのだから。

 

 

 

 

11月23日(火)

 楊篤生を読んでいると、時々妙に生々しく彼の存在が感じられて、ぎょっとすることがある。

例えば「僵石」などという語が出てきたときだ。普通の辞書には載っていない。そこで先ず諸橋をひく。積んでいる教養が、現代中国人よりも近代の漢学者の方が近いからだ。

ところが、この語は載っていなかった。となると今度は、中国で出ている巨大な漢語辞典をひくことになる。正確な書名は覚えていないけれど、全12巻くらいある優れものだ。

そして、こちらで発見する。それによると、化石の旧称で、魏源による語だとのことで、例として挙げられていたのは章太炎と魯迅……。

ここで、ぞわぞわっときた。

なるほどそれでは諸橋に出ていないわけだ。そして、現代の辞書にも無いわけだ。

その後調べてみたところ、「化石」という語は古い語ではあるが、今の意味で使われるようになったのは近代以降のようだ。日本では福沢が使っている辺りが早い例らしい。となるといわゆる近代和製漢語(全くの造語と、古典語に新たな意味を付与したものとがあるが、後者が多い。ここでももちろん後者)なのかもしれない。分からないけれど、今の中国では魏源の「僵石」は忘れられているようだ。

つまりそれは、ほんの短い期間、数十年の間だけ使われた語なのだ。そこに、彼はいた。それが実感を持って感じられて、わたしはぎょっとする。うまく説明できないが、あえて言えば、書物の中に遍在するものではなく、「特定の時空に確かに存在した生身の人間」を感じたということか。

 

もう一つ例を挙げると、インドの革命家についての記述についてだ。その人名は、もちろん音訳で漢字表記してある。さて、誰だろう。当時と表記が違うことが多いから(ヘボンかヘップバーンみたいに。ロナルド・レーガンもはじめはリーガンと記されていたように記憶している。ある日突然、、全マスコミが一斉に変わったのじゃなかったか)、『辞海』なんか見ても当てにならない(それでも一応のぞいてみたが、やはり無かった)。こういうときは、ひたすらつぶやく。何度もつぶやき、それらしい音を見当つけて、人名事典をひいてみる。

インドの革命党人で薩洼喀という人。さーわーかー。さーわーかー。事典にそれらしいものはない。それなら、「ワ」でなく「ヴァ」か? で、改めてページを繰ったところサーヴァルカルを発見。「インドの反英民族運動指導者」ということで、間違いない。

ここで、ぞわっときた。

篤生は、「インドの革命党人で、薩洼喀という人が去年、ボンベイの高等裁判所で重罪が決定した」と書いている。「去年」つまり、1910年。事典には「’10逮捕され、50年の長期刑に処せられた( 三省堂『コンサイス外国人名事典 第三版』)」とあるから、ぴったり符合する。

去年、なんだ。たぶん新聞か何かで読んだのだろうけれど、1910年が彼の「去年」で、1911年が彼の「今」なんだ。

何を当たり前のことを言っているのかと、自分でもおかしくはある。でも、わたしはここで、彼の「今」を生々しく感じて、たじろいだのだ。

 

なお、このサーヴァルカル氏は、独立後に釈放されたそうな。元の刑期よりは早いけれど、それでも獄中37年。すごい。……刑期50年て、1884年生まれなのだから76歳になってしまう。50年なんていうのは「うんと長く」という意味で、終身刑のようなものなのだろうけど。

 

 

 

 

11月30日(火)

 ここのところ、朝、金星を拝むのが楽しみになっている。大好きなヴィーナスちゃんは、いよいよ輝きを増している。12月4日が最大光輝で、−4.7等までいく。

 夜は木星ががんばっている。ヴィーナスちゃんが女王なら、こちらは王だ。ヴィーナスには及ばぬが、今夜の時点で−2.6等。恒星で一番明るいシリウスで−1.5だから、やっぱり惑星はすごい。

 でも、惑星の輝きは太陽の輝きなのだから、やっぱり恒星がえらい?

 

☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★

 ミシュレのおかげで、泥縄式にフランス大革命関連の本を読んでいる。いくつか読んで、研究史もなめて(囓るまでいかない)、G.ルフェーブルと出会った。岩波文庫に入っている『1789年』と『革命的群衆』とを3回くらい読んだ。頭が悪いので、一度や二度では分からないのだ。図書館で借りて読んでいたが、とても半月では読めないので、延長して1カ月でなんとか読了。という感じで、2冊交互に読んだのだが、途中で面倒くさくなって古書店で買ってしまった。『革命的群衆』は神保町ですぐに見つけたが、『1789年』は日本の古本屋で検索して町田の古書店で購入。ついでがあったので夫が買ってきてくれた。

 これらの本から学んだことは、いつか書くかもしれないが、一つだけ今ふれておく。

浮かんでしまったどえらい疑問。

 

 辛亥革命は革命なんだろうか? 単なる政変ではないのだろうか?

 篤生は英仏の革命と中国の易姓革命とは違うと明言している。易姓革命は単なる王朝交代だが、英仏の革命は新社会新政治をうち立てることだと。

 

 もちろん辛亥革命は王朝交代ではない。恩師小島淑男先生もおっしゃったとおり、辛亥以来中国に王朝は生まれていない。とにもかくにも、皇帝を名乗ることはできなくなっている(袁世凱が失敗したように)。

 でも、どうなんだろう。本当に底からひっくり返ったのだろうか。

 

 そんなことを思ってしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

日記表紙へ