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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2010年10月  10日 12日

 

10月6日(水)

 どこもかしこも金木犀。脳が溶ける。彼岸花は終わりが近く、紫式部は色が濃くなってきた。

 今朝は細い月がきれいだった。明日は晦日。明後日から九月になる。

 

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 日曜日、お山へお参りに行った。本当は毎年行くべきなのだが、去年は引越しだ何だで行けなかったので、2年ぶりだ。

お参りをすませ、いつものお茶屋さんで昼食。楽しみにしていた鴨南そばがないので訊くと、今年は鴨が獲れないのだそうだ。仕方なくほかのものを頼んだら、おばさんがお詫びにと小鉢いっぱいの漬物(美味!)をつけてくれた。「鴨撃ちに行っても全然だめでねえ」と笑いながら。

正直な話、わたしはここに来るまで本物の鴨南を食べたことがなかった。鶏を使った似非鴨南ばかりで。だから初めて食べたとき、こんな山の上で本物?と驚いたが、山の上だからこそ本物なのかもしれない。本当に店のおじさんが撃っているのか知らないけれど、山の幸には違いないのだろう。

食後、里へ下りるバスの時間まであちこちをうろうろして時間をつぶし、再びお茶屋さんの前を通ると、おじさんにあいさつされた。「また来年ー」と返してバス停へ向かった。

里へ下りると、この日はSLが走る日で、駅にはカメラを持った人がたくさんいた。電車の車窓から見ていると、線路沿いのあちこちで三脚を立てている。道端ならともかく、畑の上や線路脇の斜面の途中にも。驚いたのは電車のすぐ際の茂みにも人が入り込んでいたこと。死ぬ気か?

 

 

 

 

10月10日(日)

 双十節。武昌起義発生から99年。いよいよ来年で100年。イベントなんかあるのだろうな。

 

 彼の国は近ごろ何やら騒がしい。

 

 自由と民主主義。奴性の払拭。100年前にそう叫んでいた彼らは今、何を思うだろう。「人道」という語も、篤生は使っていた。

 楊コ鄰が言うには、祖国が満清の軛を脱した暁には、烈士(篤生)の英霊は怒潮となって東返すると。だから篤生は、骸はリヴァプールにあっても霊は中国にいる。コ鄰が言うのだから間違いない。

 彼の霊が与するのは、やはり民主化勢力だろう。20世紀初頭の情勢の中で富国強兵のために民主主義が必要だ〜というのが出発点だったかもしれないが、少なくとも渡英後の篤生の場合は、国権のための民権ではないのではなかろうか。英国の労働党やアナキズムへの彼の関心の寄せ方を見ると、そう思える。「論道徳」なんかを見ても、そう思う。

 であれば、専制的なものには、やはり抗するのが彼らしいだろう。 

 

 もう一回言うよ。自由、平等、博愛、民主主義、奴性の払拭、人道。

 それが真理だよ。

 

 

 

 

10月12日(火)

 中学生がホームレスの男性に熱湯をかけて大怪我をさせるという事件があった。夕刊の見出しに「東京・神田」とあるので嫌な気がし、本文を読むと「千代田区西神田2丁目の区立公園」と。いやーな感じだ。西神田は小さいので、公園なんてそんなにない。十中八九あそこだろうけれど、違っていてほしいから地図で確認しようかと思っていたら、TVのローカルニュースで映像が出た。やっぱり東新訳社の跡だ。毎年12月7日、8日にわたしがたたずむ、まさにその辺りが現場だった。

 ということは、星台先生の霊はそこにはいないんだ。湖南に帰っているのだろう。

 彼自身、健康体とは言い難かったし、経済的にも困難だった。そして父・宝卿公は、自分も苦しいのに困窮する隣人に恵んでしまうような人だった。

 星台先生の霊があそこにいたなら、そんな事件が起きるのを、絶対に許すわけがない。

 

 その中学生も、浦安からわざわざ千代田区立の中学に通っているくらいだから、色々と事情も抱えているのだろう。でも、人違いだから。君が本当に攻撃したいのは、そのおじさんじゃないから。親か教師か友だちか知らぬが、そのおじさんじゃないのは確かだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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