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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2010年9月 9日 16日 19日 22日 

 

9月4日(土)

 言いたくないけど、暑い。

 それでもここは、「東京」よりはいくらかましなようで、熱帯夜はあまりなかった。最高気温は「東京」と同じか、むしろ高いようだけれども。

 一、二週間前から、朝5時におもてへ出ると、空気が秋になっている。寒いくらいの日も多い。「秋だねえ」なんて喜んでいると団地群からお日様が出てくる。その日輪は、赤くなくなった途端に凶暴化する。7時にはもう、サッシが熱くなっている。「散歩は朝の涼しい時間に」などと思ったら、5時に出て6時過ぎには帰らないと。

 もう9月だ。誰か太平洋高気圧さんに何とか言ってください。

 

 それでも9月だ。夕方、影が長くなるのが早くなった。5時にもなれば、日射はまだきついものの、日陰を選んで歩きやすくなる。風の強い土地なので、陽射しがなければだいぶ楽だ。吹いているのが熱風だったりもするけれども。

 昨日の夕方には、きれいないわし雲を見た。

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楊篤生が読めない。難しすぎる。訳はとっくに放棄して、意味がとれればいいや、というつもりで、ともかく読む。「大意がとれればいいや」ではなく、「意味がとれれば」で。つまり、他者にも分かる日本語にするのは諦めるが、大雑把にはならぬように、一文一文できるだけ丁寧に読むこと。健康を損ねて苦しい状況下で、彼が一文字一文字書いた文章だ。おろそかにはしたくない。

 

万世一系だの、欽定憲法だの、ちゃんちゃらおかしいでたらめさ。

と、そんなことも言ってくれる。日本のにの字もないけれど、誰が見ても明々白々。

 

 

 

 

9月9日(木)

今日は民国99年9月9日ということで、台湾ではおめでたい駅名に今日の日付を印字した切符が人気だとか。九は久と同音なので縁起がよいから。

 なるほど、12年が元年なのだから、今年は99年なのか。そして来年は民国100年。辛亥100年。

 たった100年なのか、もう100年なのか、よく分からない。左伝だの論語だのをいじくっていると、時間の感覚がおかしくなる。2500年前のものが残っているのだから、今から2500年だって、あっという間に経ってしまうのではないかとも思う。

 だけれども、紀元前500年から400年までの変化と、紀元後1911年から2011年までの変化とは、全然違うよ! と言いたくなる。言いたくなるけれど、本当だろうか。前400年の人は、100年前と「今」とを比べて、変わったなあと思っただろうし、紀元4500年の人から見れば1911年と2011年とにどれだけの違いがあるのか。研究者ならともかく、一般の人なら1世紀くらい平気で混同できる。実際、釈尊の生きた時代は説によって100年違う。藤原道長が何世紀に死んだか、ぱっと言えますか?

 

 話が逸れた。

 100年経とうとする今、どうなんでしょう。星台先生の思い描いた軍事大国というのは、あるいは叶ったのかもしれませんが、その根底というか前提となるはずだった共和政のほうは、どんなものか。

 そして楊昌済先生。あなたが見込み、お嬢さんを託した(?)毛潤之君は、確かにただ者ではありませんでした。が、彼の作った国を見て、あなたは何とおっしゃるでしょうか。

 10年の夏休み、篤生とともにスコットランドを旅行しましたね。そのときの文章で篤生は、英国の貧富の差について書き留めている。篤生が気づいてあなたが気づかぬはずはない。当然、二人でそんなことを話し合ってもいるでしょう。今は国富の増大が課題でも、増大した富を一部の人しか享受できないのなら、それは民主主義としてどうなんだ? というような話も出たのではないでしょうか。篤生は英国に学ぶつもりで留学し、彼我の差に打ちのめされてもいるが、それでも英国を崇拝したりはしていません。

 いま読んでいる本に、こんな一節がありました。「まさに弱者と貧者とを保護することによってこそ、人間の法律はその知恵を最高度に高めることになるのだ」と。1788年、フランス大革命の前年に書かれたものです。「強者の権利」なんてないと、ジャン・ジャックは言いましたね。強者はやろうと思えば何でもできる。それに対して弱者の側から異議を申し立てて強者に枠をはめるのが「権利」であるから、「強者の権利」なんてものは言語矛盾です。

 そういうことも、先生方はよく理解していたはずです。民主主義って何なのか、突き詰めて考えていたでしょう。

 

 で、どうなんでしょう。

 ……なんて、ひとの国のことをいっていられる立場ではないか。

 

 この日記が支離滅裂なのは今に始まったことではないが、それにしても今日はひどい。でも、練り直し書き直す能力も根性もないので、ごめんなさい。

 

 

だけど、紀元4500年なんて、来るんでしょうか。

 

 

 

 

9月16日(木)

毎年書いている気がするが、やっぱりこの日付は素通りできない、9月16日。

 1923年のこの日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の3人が虐殺された。「むね坊」は6歳。大杉の妹あやめさんの子で、夫妻と一緒に歩いていたので大杉の子と間違えられたらしいが、なんでそんな小さな子まで殺さねばならないのか。もちろん、大杉や野枝さんは殺してもいいというわけではないけれど、酷すぎる。父親が建てた墓碑には、「犬共ニ虐殺サル」と彫ってあるそうだ。このお父さんが米国移民で宗一くんが米国市民権を持っていたために、当然ながら外交問題となり、慌てた日本政府はそれなりの処置をしなければならなかったわけだが、でなければ亀戸事件みたいに不問に付されていたかもしれない。それにしたって、甘粕はその後満洲国で「大活躍」しているし、わけが分からん。

 甘粕事件、亀戸事件だけでなく、ほかの「主義者」も危なかった。石川三四郎は警察に「保護」されていたところを、旅行先の北海道から駆け付けた徳川義親によって辛くも救出された。この徳川義親というのは尾張徳川家の当主で、石川との関係はなかなかおもしろいのだけれど、今は措いておく。

 「震災後の混乱」というと甘粕事件、亀戸事件、朝鮮人虐殺と、3件並べられがちだが、前2者と朝鮮人虐殺事件とを一緒にしてはいけないと、姜徳相先生に強く戒められた。事の性質が根本的に違うからと。全くおっしゃるとおりです。

 

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 ひでりの後は冷たい豪雨。極端から極端へ。程というものを知らないのか。

 ここ数年、夏と冬との繰り返しで、春と秋とが弱い気がする。「優しい日本の四季」はどこへ行ったの。これでは身体がついていけません。

 

 

 

 

9月19日(日)

 昨日は九・一八。柳条湖事件の日。

 九・一六、九・一八と鬱陶しい日付が並ぶと、日本の近代って何なんだと思わざるを得ない。

 別に「反日的」とかではなく、事実なのだから仕方ない。それに、近代がロクでもないのは、日本に限ったことではないし。

 アヘン戦争なんて、世界史上最も恥知らずな戦争の一つだと思う。篤生が英国礼讃にならないのも当然か。英国の人たちはあの戦争のことを、どんなふうに思っているのだろう。

 

 とはいえ近代は、人権意識、自由・平等・博愛が根づき花開いてきた時でもある。奴性の強いこの国には、苦々しい妄言だと思っている人も多いようだけれど。

 

 

 

 

9月22日(水)

きのう新曲を入手した。正直言って、忘れていた。たまたま久しぶりに神田神社と聖堂とにお参りに行き、帰りにdisk unionの前を通って思い出したので、お参りに行かなければ買えなかった。将門公、孔子様、ありがとうございます。

 

 忘れていたのは、気がなかったから。気がなかったのは、楽しみじゃなかったから。楽しみじゃなかったのは、よい曲と思えなかったから。

 

 宮本はきれいな曲を書く力をもっている。放っておくと、時々とんでもなく美しい旋律を生み出す。あの、初心者泣かせの難解な大曲「遁生」にしてからが、途中に宝玉のように美しいメロディーがはさまっている。そしてまた、きれいな声と頭抜けた歌唱力とももっている。だからレコード会社の人が、なんでこんなにきれいな曲ときれいな声とがあるのに、あんなにいびつな曲をがなるように歌うんだ? と考えて、きれいな曲をきれいに歌えばもっと売れるだろう! と企むのも無理はない。でも、それやっちゃだめなんだ。やればできる。その線でアルバム2枚くらい創ってしまえるけれど、でもだめなんだ。それやると、宮本は死んでしまう。ロッカーとしてだけでなく、生物として危なくなる。顔に変な影ができる。もう大丈夫だと思うから言挙げするが、あれは死相だ。

 エピック時代の宮本はすごかった。本人は技術的に徒手空拳で苦しくもあったようだが、その才を愛し信じるスタッフに囲まれ、天与の才を好きなように開花させることができた。けれども全然売れずに、アルバム7枚出したところで契約を切られた(売れないまま7枚も出させてくれたっていうのはすごい。普通、ぎりぎり3枚が限度だ)。

で、ポニキャニで売れ線の曲を書いてそれなりに売れた。でもだんだんおかしくなって、苦しくなって、東芝EMIに移って生き返った。『DEAD OR ALIVE』『俺の道』の2枚は、宮本が切り拓いた散文ロックの傑作だ。到達点と言ってもいい。

でも、売れなかった。それをわたしは知らなかったので、契約を切られたと知って驚いた。ライブの動員は増えているように感じていたから。契約を切られたのは東芝がEMIを手放したからだが、EMIに残った人たちもあるなか、エレカシは整理の対象になってしまったわけだ。

で、今のユニバ。あからさまな売れ線狙い。お題をもらっての注文生産ばかり。桜の歌が売れるからって、昔っから桜嫌いを公言しているのに桜の歌を歌ったり(歌詞の中で言い訳してる!)、カヴァー流行りだからってユーミンの曲を歌ったり、CMタイアップで露骨にも商品名を曲名にしたり。それでも二度目だから、今度は死に瀕するところまではいかないだろうと思いたかった。実際、アルバムには「Sky is blue」「おかみさん」「ジョニーの彷徨」なんかを忍び込ませることに成功しているし、大丈夫だと思いたかった。でもでも、なかなか脱け出せないのでだんだん不安になってきたところに、今度の新曲だ。

なんだよ、これ。ダサいにも程がある。いたずらに仰々しい上に、この古臭い弦は何だ? 曲自体はそれなりにかっこいいのに、前半と後半とが全く別の曲。こういうのは宮本は時々やるが(「孤独な旅人」とか「sweet memory」など)、それにしても極端だ。

と、思っていた。一昨日までは。

 

ごめん、宮本! おみそれしました。わたしが間違っていました。

 

まず「歩く男」。これは野音で聴いたときから気に入っていた。ちょっと変わった懐かしいような旋律で、よく聴くとアレンジも「アラビア」入っていたりするけど、それもよい。歩くリズムで考えた。そうだよ、歩かなきゃだめなんだ。車じゃだめなんだ(車で妄想するのは危険です)。

その最後のほう。――今がすべてなのさ 今が光なのさ と街が囁くけど…… こんなのは俺じゃない 俺を見てくれよ――

泣けたよ。不憫で。かわいそうで。そんな叫びを抱いて、ずっと我慢してきたのか。

ユニバさん、お願いだからこの不世出のロッカーを矯めないでくれ。凡百のポップシンガーと同じ枠にはめないでくれ。死んじゃうから。本当に死んじゃうから。

 

そして問題の「明日への記憶」。おまけについていた宮本のアコギ弾き語り版に驚嘆した。生々しい宮本の歌だ。煙草の煙のこもる薄暗い部屋で寝っ転がる宮本の、気だるいような、鬱陶しい、でもこのままじゃ終わらねえぞ!という、月並みな言い方だが体臭まで感じるような、それでいて恐ろしくかっこいい。これだと、後半も全く違和感なく完全に一つの曲だ。おそらくこれが原型に近いのだろう。ミヤジが一人で弾き語りで創り、それをバンドに持ち帰ってバンドサウンドに仕上げる、というのがやり方の一つとしてあるそうだから。

こんなかっこいい曲がなんであんなにダサダサになるのか? と言ったらつまり、アレンジが悪いんだ。

蔦谷さん、やめようよ。彼が善人で、エレカシが好きで、エレカシのために気も力も尽くしてくれているのは分かるけど、でももういいよ。あなたの役目は終わったよ。

やっぱり四人でやろうよ。ミヤジだっていつも言ってるじゃない、エレファントカシマシは四人でエレファントカシマシだって。

 

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予報によれば暑いのは今日まで。月曜日に散歩に出た時、まだツクツク法師はがんばっていたが、それでもウシガエルの声はなく、彼岸花も咲き染めて初めていた。お彼岸です。

 今日は葉月の十五日。今はまだ月夜だが、明日は朝から雨だそうだ。先ほど夫が稲光を見たとか。

 

 

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しつこいようだけど、やっぱりもう一言。

 

こんなの俺じゃねえ、俺を見てくれ……

本当に、彼をちゃんと見てほしい。会社の人だけでなく、新しいファンの人たちも。彼は王子様なんかじゃない。赤羽の不良上がりの44歳のおじさんだ。ガラが悪くて荒々しく俗物で弱腰で、でもこの上なく繊細で高貴で高潔な、高きを見つめて求道する敬愛すべき魂だ。

 

ともあれ、新アルバムが決定したとのこと。うれしいような、恐いような。

またぬるいもの持って来たら、暴れちゃうよ!!

 

 

 

 

9月23日(木)

 恐いくらいの豪雨。駅前のスーパーまで買い物に行ってきたら、おもしろいことになった。ジーパンは膝から下が絞れるくらいに濡れ、靴に至っては! この近所用の靴はスポンジのように水を吸うのを忘れていた。たっぽんたっぽんで、靴下が足に貼りついて、なかなか脱げなかった。

 秋霖ですと言われれば仕方ないが、でも秋霖て、こんな風に雷を伴った豪雨になるものだったっけ? 

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*

 統治機構が創設されるのは「統治される者の利益のためにであって統治する者の利益のためではない」(中略)このことの結果として、およそ権力というものは、政治的結合をした人々から発しその人々のコントロールのもとに置かれる、ということになるのであって、さもなくば、人々の諸権利は基本的な保証を奪われることになるであろう。以上のごときが、第三条で宣言されている国民主権の意味である。いわく、「およそ主権というものの根源は、本質的に国民のうちに存する。いかなる団体も、いかなる個人も、明瞭に国民から発していないような権力を行使することはできない。」したがって、「法律は一般意志の表現である。すべての市民は、その身みずから、またはその代表者を通じて、法律の作成に参画する権利を有する」(第六条)。また、すべての市民は、同様なしかたで租税の決定に参画し(第十四条)、およそ官公吏たる者は、その公務の執行について責任を有する(第十五条)。なお、統治機構の組織については、人権宣言の定める規定は、ただ、「諸権力」――すなわち立法権・執行権・司法権――が分立していなければならないということだけである(第十六条)。

 

 G・ルフェーブル『1789年――フランス革命序論』高橋・柴田・遅塚訳、岩波文庫、294ページ、人権宣言に関する記述。

 

社会契約ですね。

統治機構が創設されるのは、統治される者の利益のためにであって、統治する者の利益のためではない!

 

 

 

 

 

 

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