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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2010年1月 4日 9日 29日 31日

 

1月4日(月)

 元旦に強風が吹いてめちゃくちゃ冷えたほかは、概ね穏やかないいお正月だった。

 

 2010年。ということは、朝日新聞の石川一君が、地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴いてから、まる百年になるわけだ。

 そして、いよいよ来年は辛亥百年。わたしとしては10月10日の武昌よりも8月5日のリヴァプールのほうが大事なのだけれど、まあ、どちらの土地にも行けっこないでしょうね。

 

 朝鮮との関係ということでは、NHK教育で日朝2000年史のような企画をずっとやっている。非常に興味はあるのだが、精神的スタミナが不足しているため手を出すのが億劫で、気づかないふりをしていた。けれども、この正月にまとめて再放送をしていたので、昨夜、和冦の回だけ見てみた。

 

 手元の年表を繰りながら見たのだが、予想どおりおもしろかった。

 要は、もともと交易だったということ。それが、何らかの事情で交易できなくなったときに、略奪に転じたということ。そして、高麗から朝鮮へ、元から明へと王朝が交代し、日本でも南北朝のごたごたが収束に向かい(要するに、この頃は三国ともぐちゃぐちゃだったわけだ)、朝鮮の硬軟両面の和冦対策などが実って、和冦の二字は次第に年表から消えていく。で、どうなるかというと、彼らはまた交易に戻るのだ。和冦対策の「硬」のほうはもちろん武力での攻撃だが、「軟」は懐柔策、つまり首領たちに将軍などの官職を与えている。そして交易が許可されれば、有史以前からの交易民へと戻っていくわけだ。

 

 一番ショックだったのは、空撮された対馬の姿だ。まるで連峰の頂が海から突き出しているよう。海からすぐに山になっていて、これでは耕地はほどんど得られまい。対馬が縄文時代から交易を事としていたのは知っていたが、それは位置上の利からくるものだと思っていた。もちろんそうなのだが、あれでは交易せねば暮らしが立ちにくいだろう。

 当然ながら、本当は実際に行ってみるのが一番なのだが、でもTVででも現地の姿を見ると見ないとでは、全然ちがうと思った。

 

 

 

 

1月9日(土)

 近所の公園で、白梅が開き始めていた。春だ。

 

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 昨日の渋公はすごかった。レポートではなく、要所要所での感想を。

 

「真夜中のヒーロー」がうれしかった。前奏で、まさかと思った。

今この曲を演る意味が、痛いほど分かった。

『愛と夢』の頃、辛くてならなかった。淀んでいて息苦しかった。出す曲出す曲おかしくて、ファンになりかけていた夫の友人は「ムード歌謡だろ」と言って去り、TVに出れば借りてきた猫のような生気のない顔をしているし(そうして気のない表情で歌った「TRUE LOVE」が超絶的に上手くて藤井フミヤを焦らせていたが)、シングル「愛の夢をくれ」について「何でこんなのを出すんでしょうね」と放送で言ってしまったり。なにより、あの頃の写真は顔に変な影ができていて、今だから言えるが死相が出ていた。ロッカーとしてだけでなく生物的に死んでしまうのではないかと、わたしは本気で案じていた(石くんも心配していたと後で知って、勘違いではなかったのだと改めてうそ寒い思いをした)。

そうして堕ちる所まで堕ちたと思ったところで出されたのが、「真夜中のヒーロー」だった。初めて聴いたとき、どんなにうれしかったか。明らかに『愛と夢』路線とは違う。ロックへの回帰、もっと言えば宮本自身の復生を告げるものだった。そこで解き放たれた宮本は、わたしの予想を遙かに遙かに超えるとんでもないエネルギーで飛んで行き、そして「ガストロンジャー」を生み出したのだ。

そして現在。正直な話、今の会社になってからの一連の曲群には、疑問を呈さざるを得ない。なるほどファン数は増えたが、質においては如何なものかと。注文生産のぬるい曲群に、あの頃の再現かと危惧を抱いている。経験済みだし、『昇れる太陽』には良い曲も含まれているから大丈夫だと思いたいが、不安は拭いきれないでいた。

そこにもってきての「真夜中のヒーロー」だ。つまり宮本は、わたしと現状認識を共にしている。そして、その上で、「大丈夫、過ちは再びしない」と宣言してくれたのだ。

曲が終わった時、「ありがとー!」と叫んだ。大歓声にかき消されてしまったが。

 

今回、体力上の理由から、ぬるい曲は休み時間と看做して座ることにしていた。が、結局どの曲も途中で立つことになった。

そして再認識した。要は歌う姿勢、魂だと。ぬるい間抜けな(失礼!)曲でも、宮本が魂を込めて歌えば凄みのあるかっこいいロックになると。

もともと彼は、放っとけば美しい旋律を生み出す資質に恵まれている。それを、いま流行の猫なで声でこねって歌えば、甘く耳に心地よいものになるだろう。けれども宮本は、そんな歌い方はしない。彼は力強いロック歌手だ。叫んでこそ、エレカシの曲になるのだ。

だから、カヴァーを志す諸氏には、その辺を心して歌っていただければと願っている。

 

「桜の花」。「ころがるエブリディ」を「転がり続けるー」と歌ってくれた。適当感のあるこの曲の中でも特に疑問のある箇所だっただけに、うれしかった。

 

「待つ男」99年にできたばかりのZEPPで演ったとき以来の、すさまじい「待つ男」だった。これが今回の圧巻か。思い入れたっぷりの見得を何度も切り、このまま六方でも踏むのではないかという感じ。成田屋!

ただ、この曲にキーボードは邪魔だろう。

 

帰り、地元の駅からの道々、頭上にすばるが高かった。きらり尖った冬の空気で、いよいよ冴えていた。

 

補足:客席のノりがよかった。1曲目からガンガンで、男女の怒号が飛び交い、皆がんばっていた。客席が熱いとミヤジたちもやりやすそうだ。よいライブだった。

  

 

 

 

 

1月29日(金)

 しつこいようだが、裁判員制度について。

 報道によれば、裁判員を務めた人たちの感想は、「勉強になった」「よい経験をした」など概ね良好なようだ。けれども、彼らはどんな人なのだろうか。

 裁判員を辞退できる要件は、非常に限られている。高齢、病気、前科持ち、自衛隊員、介護中などなどで、思想信条や単なる「嫌だ!」は認められていない……はずだった。

 ところが実際には裁判所は超法規的措置(!)により、辞退を広汎に認めている。そもそも、裁判所が出した通知に返送する人は4割に過ぎず(6割は無視している!)、返送した人も6割が病気等を理由に辞退(そんなに病人大国だったのか?)→40%×40%=16%→84%が拒否!

 つまり、実際に裁判員になったのは、遵法精神が強くてお上に逆らうなんて思いもよらない人か、むかーし司法試験に失敗したので人を裁けるようになって嬉しくてたまらない(新聞にあった老人の投書)という人か、「オレは人を裁いてみたい。死刑判決を出してみたい」(反対運動でビラを配っていた人が言われた言葉)という人ばかりということになる。

 なるほど、遵法精神の強い真面目な人たちなら、「勉強になった」という感想もうなずける。(ノりで裁かれても困るから「法」や「制度」に弱い「真面目な」人たちのほうがよい? それはそうだが、こういう超法規的選任は制度の趣旨に適うのか? 欲しいのは一般的な市民感覚だったはず。しかし一般的な市民感覚は、裁くことを拒否している。だったらはじめから希望者に限ればよい。そうすれば裁きたがり屋さんが集まる。プロの裁判官も裁きたがり屋さんだが、彼らは専門知識と訓練や自覚と好待遇とでタガをはめられている。怖いのはノりで裁く裁きたがり屋さんだ。マスコミの玩具とされた「大事件」や、芸能人の起こした事件だと、リンチになるぞ)

 裁判員経験者らは言う。「わかりやすく説明してくれた」「十分配慮いただきありがたかった」「言葉が詰まると助けてくれた」

 また一方ではこんな声もある。「法律ではこうなっていると専門家に言われると何も言えない」「見えない路線が予め引かれている気がした」

 つまり、予め引かれた路線にしたがって、素人をわかりやすく丁寧に導いてくださっているのか。その結果として出された量刑が、従前どおり求刑の8割……。

 だったら、裁判員なんていらない。何のための茶番だ? 「市民感覚」のお墨付きをもらって裁判官の負担を軽くするためとしか思えない。

 それとももっと大きな企みでもあるのか? 大衆操作の実験か? などと妙な勘ぐりもしたくなる。

 

 それで思い出した。

 高校時代の知人に、ローマ史に詳しい人がいた。東大へ行ったので西洋史専攻かと思っていたが、そうではなかった。ローマ史なんかは単なる趣味に過ぎず、大衆操作に興味があるので、大学では社会心理学を修めたとのことだ。

 彼はその後、TV局に就職して報道番組を作っていた(結婚式には有名アナウンサーも出席し〜もう1件結婚式があると言って中座したが〜、司会者はTVで見るレポーターだし、新郎新婦紹介ビデオは本格的だし、披露宴の模様をTV局のカメラで撮っていた。不思議な世界だと思った)。

もう十年以上音信もないので、彼が今どうしているか知らないが、大衆操作などという発想のある人が、民放とはいえ大TV局で報道に携わるというのは、怖いことだ(もっとも、彼はNHKが第一志望だったそうだが)。「大衆操作してしまう危険性」という意味でなら、むしろはっきりと認識すべきだが、「権力行使(自分たちは権力者だ!)」的な発想だとしたら、そら恐ろしい。そもそも、彼の言う「大衆」に彼自身は入っているのだろうか。大衆たるわたしの、有名私立中高出身者に対する、卑しい偏見かもしれないが。

 

 別に、史学を趣味扱いされたのが気に入らなくて、言っているんじゃないよ。

 学生時代、藤久ミネ先生の「放送論」の授業で報道による操作について聴いた。意図的な報道シャワーによって、重大なことが隠されることがあると。「聖輝の結婚(松田聖子と神田正輝との結婚)」でのマスコミの異常な騒ぎぶりは、大衆操作の実験の可能性がある(来るべき天皇の死をにらんでの?)と。

 正直言ってそのときは半信半疑だった。穿ちすぎじゃないかと思い、眉に唾をつけていた。

けれども今では、うなずく気になってきている。報道シャワーが多すぎる。朝の情報番組で、チャンネルをいくら変えても、同じ芸能ニュースや同じ「異常な犯罪」が報じられているのを見ると、そんな気がする。犯罪被害防止のための注意喚起や事件解決のためならともかく、今の推理小説まがいの犯罪報道は、おもしろがっているとしか思えず、報道する価値があるのか疑問だ。

ニュースの枠は決まっているから、下らぬ話題が大きく取り上げられると、ほかのことは報じられなくなる。報じられなければ、知る術のない一般国民にとっては、その事柄は存在しないのと同じだ。

 これは、怖いことではないのだろうか。

 

 

 

 

1月31日(日)

 久しぶりに公園へ。陽射しは暖かいが、空気は冷たい。歩いていると、陽の当たっている背中は温かで、手や顔は冷たく、不思議な感じだった。

 前に来たときほころび始めだった白梅が、ほぼ満開になっていて、芳香を放っていた。

 

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 昨日の夕刊に、古河力作が獄中で書いた文章が引かれていた。 

「僕は無政府共産主義者です。しかし、ドグマに囚われてもいない。自由を束縛されるのはいやだ。貧困、生存競争、弱肉強食の社会よりも、自由、平等、博愛、相互扶助の社会を欲す。戦争なく牢獄なく、永遠の平和、四海兄弟の実現を望む」

あまりの美しさに、泣いてしまった。こういう人を扼殺してきたのが、日本の近代だ。

 

前から思っているけれど、「無政府主義」という訳はよくない。直訳すると「無強権主義」くらいになるそうで、強権の最たるものが国家権力だから「無政府主義」にしたのだろうが、誤解を生みやすい。無政府状態、無軌道無秩序で暴力の支配する混乱状態を連想しやすい。

 

けれども、アナキズムはそんなものではない。楊篤生がクロポトキンを読んで理解した如く、「絶対自由、絶対平等」を理想とし、「四海兄弟之黄金世界」、「絶対真理、絶対自由之黄金世界」を実現せんとするものだ。

わたしはクロポトキンに学びたいので、「相互扶助主義」をとる。世界の基調は競争・生き残り戦ではなく、相互扶助の共存共栄であるべきだと思うからだ。

 

虐げられ歪められず、満たされていれば、人は本来やさしく、にこにこの存在のはず。悪意を動機として動く乳幼児はいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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