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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2009年6月 7日 12日 23日

 

6月2日(火)

 「四海兄弟之黄金世界」

 「絶対真理、絶対自由之黄金世界」

 

 アナキストの目指す世界を、楊篤生はこう表現した。

 彼はアナキズムを「愚也」と結論づけたけれど、こんな美しい言葉で理解してくれたのは、うれしいことだ。

 

 孔子が亡くなったのが前479年。釈尊はその約100年後。

 それから2500年近く経っても、黄金世界からはほど遠い。

 四海兄弟の黄金世界は、いつか実現するのだろうか。誰も誰かの頭を踏んづけない相互扶助の世界は。

 

 遠い未来かも知れないけれど、みながそれを望めば、きっと実現する。そう信じている。

 

 

 

6月7日(日)

 続き 黄金世界を実現することについて。

 

孔子は卑賤の出であった(子罕篇)が、政治によって成そうとした。

でも釈尊は、本来政治に携わるべき王子の身でありながら、政治を捨てた。釈尊が何を見ていたのか、何をあきらめていたのか、わたしには分からない。

 

「あきらめる」という言葉が、ここのところ気になっている。本来は真理を表す「諦」という字に、昔の日本人は「あきらめる」という語を当てた。真理とはあきらめることか。「あきらめる」という語は元々は「明らかにする」という意味だと聞いたことがある。そうだとすると、はじめは直訳だったのか。それがどこかの時点で、現在のような「断念」のような意味になったのか。現代中国語の「諦」は「つまびらかにする」というくらいの意味だから、日本で変じたのだろうか。

 

 

 

6月12日(金)

 あら、忘れてた。宮本の誕生日だ。いくつになったんだ? 丙午だから、43か。

 

 お月様の映像をいろいろ見せてくれたかぐやちゃんが、役目を終えてお払い箱になったとか。

 そのまま月に放りっぱなしで、誰も取りに行かないのか。「じゃあちょっと行ってくる」とは言えない距離だから仕方ないけれど、ちょっと釈然としない。もっとも、アポロだって本当に行ったのかどうか、疑う人もいるくらいだから、お月様は遠い遠い。

 かぐやちゃんに続いて出かけていった嫦娥さんはどうしているのだろう。

 

 そう言えば、ボイジャーなんていうのもいた。あの人たちは今、どこまで行っているのだろう。まだ元気なのだろうか。

 今ちょちょっと調べてみたら、1号、2号とも健在だそうな。まだまだ当分、働き続けるらしい。

 とんでもなく遠くまで行っているようで、なんだかいじらしい。

 

 

 

6月23日(火

閏五月一日。

こういうのがあるから陰暦は不便だとされ、それと引き換えになる便利さを生きる人が少なくなった以上、すたれてしまうのは無理もないと思う。

実際、ややこしい。

楊篤生の命日は8月5日なのだが、一部に7月説がある。この混乱の原因が、たぶん閏月だ。

1911年8月5日は、陰暦では閏六月十一日。これが六月十一日だとすると、陽暦に直すと7月6日になる。

けれども、楊昌済先生は閏六月十一日と書いているし、リヴァプールの墓所にある碑にも8月5日とあるそうだから、こちらが正しい。

 

1911年8月5日は土曜日だった。つまり金曜の晩にアバディーンを発ったことになる。

彼がどういうつもりでアバディーンを発ち、何を考えながら夜汽車に揺られていたのか、まったくわからない。帰りたくて、とりあえず港町へ行ってみたけれど、祖国は遠すぎた。とはいえ、なけなしの貯金を持って出ているわけだし、帰るといってもそう簡単に帰れないことは、わざわざリヴァプールまで行かなくても分かっていただろうし。せめて満人を一人でも二人でも殺してからと思ったけれど、英語がまずくて銃が手に入らなかったというのも、本当かどうか。確かにリヴァプールには古い中華街があるから、満人もいたかもしれないけれど、あまりに発想がとんでいる。もっとも、まともに思考できる頭ではなかったのかもしれないが。

 

 

先日、久しぶりに内山書店をのぞいたら、『宋教仁集』の新しいのが出ていたので驚いた。去年出たもの。わたしが持っているものに、いくつか足したものらしい。

どうせ読めないから、買わなかった。それでも、今ごろこんな本が出るのはうれしい。東方でも、民初の議会制民主主義についての本を見たし、何かそういう波が来ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

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