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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2009年5月 3日 16日 29日

 

5月2日(土)

 陰暦四月八日。灌仏会。

 愛用のお月様カレンダーによれば、陰暦四月八日は種まき田植え等、農業で重要な日だとかで、だからやはり花まつりは陰暦ですべきだと。今年は八十八夜でもある。これ以降は遅霜がないということで、やはり農事上の重要な日。

 

 伝統行事を安易に陽暦に移すと、不都合なこともあるようで。

 子どものときプラネタリウムで聞いたのは、七夕のこと。あれは彦星さんが七日の月を船にして天の川を渡るのだから、陰暦でないと困るのだそうだ。なるほど、船にするなら半月が一番よいだろう。細いとカヌーみたいで心もとないし、ふくらんでいるのも妙だし、満月や新月となったら、どうしたらよいのやら。

 けれどもわたしには、月を船と見立てるという発想がそれまでなかったので、本当かしらと、ちょっと思っていた。

 しかし最近になって万葉集を読んでみたら、月を船と見立てる歌がいくつかあった。

  天の海に月の船浮け桂楫(かじ)かけてこぐ見ゆ月人壮子(おとこ)

 お月様は船にもなるのか、月齢によっては。

 

 

 

 

5月3日(日)

 清志郎の訃。正直言って、わたしは疎い。ロックに目覚めたのは30歳で、それまではフォークの人だったから。

 いま思うと、高校の文化祭で「有志団体」が演っていたのが「雨あがりの夜空に」だった。本物より先に、高校生のコピーを聞いてしまったわけだ。

 

 コピーといえば、アマチュア時代(といっても、この人たちは高校生のときからオリジナルをやっていて、21歳でデビューしているわけだけど)にエレカシは、「RCのコピーバンド日本一」を自称していたという。

 元ちゃんも相当なもので、フォークの人だった彼がロックを知ったのがRCだったと。「一緒に住みたい」とか「生まれ変わるのなら清志郎がいい」とか、危ない発言をしていた。

 

 「神」、だったんだよね。

 

 頭脳警察ファンの夫はRCをぬるい歌謡曲バンドだと思っていたそうな。今は認めているけれど。

 

 

 

 

5月16日(土)

 先月末に新譜が出て以来、頭の中のかなりの部分がエレカシに占領されている。一遍に何曲も受容したから、それぞれの断片が頭の中で繰り返し鳴っている。歌詞を憶えていないから、なかなか終わってくれないのだ。

 よいアルバムだといってよいと思う。今の会社に移ってからの路線が納得できなかったが、武道館でのミヤジを見、その後の不愉快な事件もあって、彼が死んでいないことが分かり、これならと期待していたが。

 つまるところ、「捨て曲を選ってシングルにしてみました」というところか。本当にやりたいものは、そのほかにある。「Sky is blue」「おかみさん」「ジョニーの彷徨」といった「変な曲」が、かっこいいのなんの。

 そうさ、昔も今も未来も、おかみさんは南向きに布団を干すのさ。

 

 来週はライブに参戦。気懸かりなことがあるが、言挙げすると本当になりそうなので、やめておく。

 

 

 

 

5月29日(金)

 先週だったか、散歩中に不思議なことがあった。

 いつものとおり気象庁前から江戸城のお濠端を歩いたのだが、歩き始めて間もなく、丸紅の前辺りで立ち止まった。喧噪の中に異質な音があるのに気づいたのだ。聞こえていたものが、頭の中で意味を結んだという感じだった。

 ホトトギス? あのとぼけた声は、確かにそうだ。心して聞くと、間違いなくテッペンカケタカと。江戸城址の奥には深山幽谷のような所があるそうだし、そうでなくとも、高校生のときに家で、渡りの途中らしいカッコウの声を聞いたことがある。こんな千代田区の真ん中でも、ホトトギスくらいいてもいいだろう。

もう一声聞いて確かめたいと思い、たたずんだまま待ったが、鳴いてくれない。お濠の向こうの緑をにらんで待つが、だめ。

と、右手から水面を何かがやってくるのが見えた。水面を来るものといえば、亀の鼻先か巨大鯉の背びれと決まっているのだが、いま来るのはそんなものではない。無限のS字くねくね。となれば、あれしかない。

驚いて見ていると、蛇は右に曲がってお濠の向こう岸へ向かって去っていった。なおも見送っていると、さざ波に紛れて次第に見えにくくなったが、それでも見続けていた。あの蛇がどういうつもりなのか、向こう側に着いても石垣しかないが、まさか登るつもりなのか、そんなことが気になっていた。

そろそろ向こう岸に着くだろうころ、その辺りで大きな水しぶきが上がった。巨大鯉が跳ねたらしい。

そしてそれっきり。もとより蛇の姿は遠くて見えなくなっていたが、まさかね。

 

 

 

 

 

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