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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2009年4月 12日 19日 20日 21日

 

4月5日(日)

 宋遯初君生誕127年。

 

千歳村は桜がほぼ満開。辛夷や木蓮や、椿もまだがんばっていて、美しい季節だ。

桃源県出身の遯初君のためには、桃の話をすべきだろうか。

この辺りでは桃はあまり見ないが、夫がひと頃よく湯治に訪れた甲州では、いま咲き始めらしい。ずっと前に松本方面へ旅行するのに甲州を通過したとき、車窓から一面の桃花を見たのを憶えている。桃はきれいだ。

 

遯初君というと、どうしても若い印象がある。享年三十二。満年齢でも星台先生と同じ30歳なのに、そんな気がしてしまうのは、ひとえに日記のためだ。24、5歳の彼の姿はあまりに愛おしい。真面目な若い人の日記は好もしい。

 

遯初くーん、元気かい?

 

 

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夜、日本の台湾統治についてのNHKの番組を見た。ショックだった。朝鮮では失敗したが台湾統治はうまくいっていた……なんて、誰が言った? そんなふうに思い込まされていた自分が悔しい。再放送してくれたら、録画して保存したいくらいだ。

 

NHK、がんばっている。右傾化著しい今日この頃、よくこんな番組を作ってくれる。がんばれ、がんばれ。

 

 

 

4月12日(日)

 昨日の武道館はすごかった。

 正直な話、武道館は嫌いだった。よい思い出が全くない。ダフ屋や多いし、客層は悪い(バブリーに膨らんだミーハーが多い)し、会場は目的外使用だから具合悪い(競技場であるアリーナに椅子を並べても、つまりは巨大平土間だから、ステージを高くしたところで見やすいわけがない)し。派手なだけで空々しい、冷めたいライブの記憶しかない。

 加えて、今のエレファントカシマシの状態が芳しいとは思えなかった。

 今のレコード会社に移籍してからの曲群が好きになれず、ファンサイトに集う新しいファン達のミーハーっぷりも気持ち悪く、また「あの頃」(ポニキャニ時代にセールス重視で混迷を深め、ロッカーとしても生物としても死に瀕した頃。あの頃の宮本の写真には死相が出ていたが、後で聞いたところではそれはわたしの勝手な思い込みではなく、実際に石くんも心配するほど危なかったらしい)の二の舞かと案じていた。もう四十も過ぎたのだから、いい加減学習すればいいのにと。

 

 ということで、気乗りせぬまま出かけた。早く着きすぎ、開場はしていたが入る気もせずに、辺りをうろついた。ごったがえす武道館前には、記念撮影する人たちが幾人もいて、強烈な違和感を覚えた。何のアイドルのコンサートだ? 偏屈で危険なロックのライヴじゃないのか?

 少し離れた芝生の前のベンチにかけて、しばしぼうっとしていた。既に葉桜になっているが、それでも相当数の花見客がいて、傾きかけた陽の中で帰り支度をしている。お父さんと遊ぶ小さな男の子がかわいい。正面に若葉をまとった大きな欅があり、「いい欅だねえ」とながめながら、ずっとここにいてもいいなと思った。

 けれども、もちろんそうもいかず、10分ほどで立ち上がって武道館へ戻った。

 

 そして一歩アリーナに入ったら、状況は一変した。あれほど億劫がっていた夫の目付きが変わり、「奴が来る」と。来るのは当然で、来なかったら暴動ものなのだが、そういう次元の話ではない。ミヤジの殺気を感じると、この人はこうなる。そういうときのライヴは、決まって壮絶なものになる。これは期待できる。

 

 18時10分。時計を見て、「10分」と言った途端に客電が落ちた。同時に跳ねるように立ち上がり、そのあとは……。

 

 アンコールが終わり、一旦点いた客電が消えたため、もう一回あるのかと拍手を続け、「みやもとー」と叫んだら、再び客電が点いて音楽が流れ始めた。「仕方ないよ。もう遅くなってるんだよ」と夫。なるほど時計は20時48分。これでは諦めるよりない。体力も限界だ。でも、なぜ一度客電落としたのだろう。後で誰かが言っていたが、もう一回あるはずのアンコールが、時間の関係でやめになったのではないかと。なるほどと思うが、そのときは訳が分からず、昂ぶったままひょんと切られた気持ちがうまくまとめられず、ぼんやりしてしまった。

 そのままぞろぞろと外に出て、かねて決めていたとおり、混雑する九段下は避けて飯田橋まで歩く。その間も夢の中。武道館から帰って来られない状態のまま、あまり喋らずに歩いた。記憶を定着させるべく話し合ったのは、電車に乗ってからだ。セットリストを確認し、どんな演奏だったか、どんな話をしていたか、などなどを思い出し思い出しした。

 計26曲。すごかった。

 

 結論として、宮本は大丈夫だ。我々心配する古いファンに対し、そういうメッセージをくれた。そう受け取って間違いないと思う。彼がいま危ない橋を渡っているのは確かだが、CMや映画用に注文生産もし、「売れる」曲を書きもするが、それでもあの頃とは違うと。魂を売ることなく、上手に我意を通していける。決して殺されはしねえと。

 

 みんなもがんばった。初ライヴ、初エレカシの人が少なくなかったはずだが、あの頃のように「お客さん」として「珍獣を見に来た」のとは違い、みなが一緒にロックのコンサートをつくっていく参加者だった。一万人の歓声と拍手は思いの外の迫力で、初めて武道館という会場の大きさを実感したような気がする。

 

 よかった。床が悪いのか腰が痛いし、ステージが高いからか首も痛いし、ふくらはぎもいつものように筋肉痛だし、声も割れている。それでも幸せだ。

 

 あー、それにしても、宮本に発破かけられた。どやしつけられた。何やってんだと。言い訳並べて怠けている場合かと。

 がんばらねば。当面の相手は井上清大先生の兆民論。本当は兆民先生御自身と対峙せねばならないのだけれど、なにぶん非力なもので、まずは土佐民権の末裔?である井上先生から。

 

 

 

4月19日(日)

 昨日ラジオの生放送で、DJの非礼な発言に宮本が怒った件で、ネット上がかまびすしい。

 

 喧嘩両成敗を名目に、被害者の反撃を難じてはいけないと思う。双方がやり合っているのなら両成敗でもよいが、でないと単に加害者を利するだけだ。

 害されて怒るのは真っ当なことだ。正当な怒りまで封じてはいけない。事態を悪化させるかもしれないし、何よりそれは人間の自然に反することで、人間をねじまげる。抑圧された怒りは、どこでどんなかたちで噴出するか知れない。

 

 孔子以上に聖人かもしれない顔子だって、「怒りを遷さず」であって、正当な怒りまでないわけではないだろう。

 

 孔子自身は、けっこう喜怒哀楽が豊かだし。

 

 

 

4月20日(月)

宮本の問題は、だいぶ下火になったようだが、まだ鎮火には至っていないようだ。暇人がそんなに多いのだろうか。

かく言うわたしも、議論(?)の資とすべく「事実」を提供するという形で加担してしまった以上、成り行きは見届けたい。

 

それにしても、みんな宮本に何を求めているのだろう。

あれは元々赤羽の不良上がりのロッカーだ。昔っから、DJを凍りつかせるなど珍しくもない。相手が女だから強く出たなどと言う人もいるが、男だったら殴っていてもおかしくない。わなわなしながらもよく我慢して、どうにか話し続けていた宮本はえらいとすら思う。

第一、ロッカーに円満な人格を求めるのがどうかしている。ましてや、自ら人類史に対峙していると自覚し、世界や社会やに対する違和感を唱え続けている宮本だ。圭角ありまくりで当然、というより、そうでなければおかしい。

 

などと、気がついてみれば全面的な宮本擁護になっているが、仕方ない。ミヤジ好きだもの。

こんなふうに、なんとしてでも守りたいものがあるというのも、一部の人のやっかみと苛立ちとを招くのだろうか。

 

 不思議なのは、騒いでいる人の中には、ラジオを聞いていたわけでも公開放送を見に行っていたわけでもなければ、宮本とDJとのどちらかのファンでもないどころか、どちらのこともロクに知らない人が、少なくないらしいということだ。

 そういう人たちが、なぜわざわざ騒いでくれるのか。わずかな材料を基に、どちらが悪いと裁いてくれるのか。ファンのサイトをわざわざ探して、怒りをぶつけてくるのか。彼らは何に対して怒っているのか。宮本か、彼を擁護するファン=彼らの用語によれば「信者」か(もっとも、熱心なファンでも必ずしも宮本擁護ではないというところが、エレカシのすごいところなのだが)、それとも「信者」の「信仰」か。その暗い情熱の所以が分からない。

よほど暇なのか……と思ったら、今朝の新聞の書籍広告に『ウェブはバカと暇人のもの』というのがあったので笑ってしまった。

 

 それはさておき、彼らはなぜ裁きたがるのか。

 こういう人たちは、裁判員の「赤紙」が来たら嬉々として出かけるのだろうか。そして、与えられたわずかな材料から、知りもしない人たちを、「人生経験と良識と市民感覚」という名の臆見によって、裁いてくれるのだろうか。

 

 

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東新訳社跡の公園にあるシャクナゲを、勝手に星台先生に擬して、日頃話しかけている。その先生が、先週から見事な花をつけてくれている。今ほぼ満開。ごく濃い深紅で、むしろ黒に近いような深い深い色だ。

無口で優しく物静かでありながら、とんでもない激情を有していた先生に、どこか通じる気がする。

 

 

 

4月21日(火)

 例の問題、今夜双方が謝罪文を発表したので、これで終わるだろう。よかった。

 こんなつまらぬことで、自分がこんなに乱されるとは思わなかった。

 それにしても、ネット社会とは恐いものだと思い知った。騒いだ人の大半は、関係ない人だ。騒ぐために騒ぎ、裁くために裁いている。引っ掻き回すのが目的で、刺激的なことばを選んでいるわけだ。

 

 なぜ裁きたがるの? と問うと夫は、「政治が悪いからだ」と即答した。「職場や学校や家庭やで理不尽に裁かれているから、こういう機会を見つけると裁きたがる。そんな息苦しい世の中になっているのは、政治が悪いからだ」

 ああ、この人は儒者だ。どこまでも儒者だ。

 

 

 

 もういいのだけれど、でも、これだけ言いたい。

 DJ氏のブログを荒らしているのは、その大半は、エレカシファンじゃないぞ! 単なる荒らしだ!!

 

 

 

 

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