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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2009年3月 6日 7日 20日 21日 22日

 

3月4日(水)

 ライブ、行きたいよー!!

 

 

 

3月6日(金)

 陳星台先生、生誕134年。

 豪雨の中を東新訳社跡へ行き、一人で生誕祭を行ってきた。

 お経の本を濡らしてはいけないので、諳んじているものを、となると、ばかの一つ覚えの普門品偈しかない。いいかげん、御心経くらい覚えればいいのに。

 まず、金光遊戯観音を名乗った先生のために、観音様のお経をゆっくりと歌うように唱えた。次いで先生の「大地沈淪幾百秋……」を、原語と日本語読み下しとで誦した。

 そして、この稀有な魂、貴くゆかしい魂がこの世に生まれてくれたことを感謝した。

 

 そんなことをするのには、雨のほうがお弁当を食べに来る人がいなくてよいだろうと思ったが、意外と人がいる。通過するだけの人もいるが、あっちに一人、こっちに一人と、たたずむ人がいる。

 どうやらタバコを吸っているらしい。千代田区は路上で喫煙すると二千円の罰金なので、児童公園で吸う人が多い。道路じゃないからいいだろうと。さすがに区役所に苦情の投書があるなどして問題化したと聞くが、まだ条例が改正されていないのか、知らないのか無視しているのか、ともかく未だに公園は喫煙場所になっているようだ。こんな雨の日にまで来るとは呆れた。

 

 どしゃ降りで風も強い中、ばかみたいに歌いながら歩いた。防水のはずの運動靴は、左右とも水が入って靴下がびしょ濡れ。前から来た自転車を避けようと傘の向きを変えた瞬間に風にあおられ、傘がおちょこになった。すぐに閉じてさし直したが、骨が二本折れていた。手でうにっと曲げると何とか形になったので、そのまま歩いた。

 寒い日だった。

 

 

 

3月7日(土)

 カスタネッツのライブ、行けなかった。ずっと欠席続きで、1年9カ月ぶりだったのに。

 1月25日にも行きたかったが、インフルエンザが治りかけの夫をおいては行けなかった。今日は、わたし自身の身体がどうにもならず断念。

 いずれもチケットは買ってあったので無駄になってしまったが、当日券で客を詰め込めるだけ詰め込むだろうから、支援のための献金のようなつもりでいる。四十過ぎての、バイトしながらのインディーバンドというのも、厳しいだろうから。

 それでも5月にはミニアルバムを出すそうだし、続けていく気は満々なのだろう。

応援しなくちゃ。

ライブに行けないとCDやグッズ類は通販になるが、これもメンバーが手ずから袋詰めして宛名書きして発送していると思うと、愛しさも増すというもの。1月25日に買うはずで、あとで買ったCD類の入っていたエクスパックの封筒を、保存しようかと一瞬だけ思った。誰の筆跡か分からないから結局捨てたけど。

 

 

 

3月20日(金)

宋教仁事件から96年。

1913年3月20日の夜遅く、上海駅で彼は撃たれた。

この事件がなければ、歴史は全く違っていただろうと思う。少なくとも中国は、今とは違う姿になっていたはずだ。

けれども、幾人もの友人知人が忠告し警告を発していたにもかかわらず、彼は汽車を選んだわけで、となればそれはもう、どうしようもない、避けようのない必然だったのだと思うよりほかない。おそらく、よしんば3月20日を免れたところで、北京へ行ってから、あるいはその後のいつでも、彼の命は危険にさらされ続けたはず。

そうは思っても、それでもやっぱり言いたくなる。「なんで? ばかだよ。無警戒に過ぎるよ。どうしてよ?!」

袁世凱を評して「一代の姦雄だね」と言っていたのは、遯初君自身だ。そういう奴だということは、分かりきっていたはず。

「革命家が暗殺するならともかく、革命家が暗殺されるなんてあるか」と笑っていたというけれど、あなたは既に政治家だった。

もちろん政治革命である以上、革命家は何らかの意味で政治家なのだけれど。そして、中国は共和国として歩き始めたばかりで、まだまだ革命の途上であるという認識は正しいのだけれど。

でも、彼は既に「権力」を手中にしたところだ。だから既に彼は、実質はともかく形の上では反体制ではなく、反対者から見れば打倒すべき「権力者」に違いない。

……そんなこと、彼だって分かっていたはずなのに。

 

 

 

3月21日(土)

 今日一日、遯初君は苦しみ続けた。意識はずっとあったようだし、いたましくてならない。どうしてこんな目に遭うのか。彼にどんな不徳があったというのか。

 

 話は逸れるが、善業善果悪業悪果の業報思想は、本来は「来世をよくするために今生を正しく生きよう」ということのはずだが、日本では悪状況に生まれた者に対して「前世の報いだから諦めろ」と、悪状況を本人の責に帰して、世直し世均しの動きの芽を摘むこと、つまり体制を肯定し強化するのに使われてきた歴史がある。もちろん、そんなことで納得し引き下がる人ばかりでなかったから、現状は打破され続けて、歴史は動いてきたわけだけれど。

「仏教思想」が体制強化に使われてきたのは残念なことだ。

 

 久しぶりに近所の公園へ。染井吉野がほころびかけ、違う品種だと思うがかなり咲いている桜樹も多数あった。

 辛夷や日向ミズキは今が盛り。レンギョウも咲き始めていた。

 

 

 

3月22日(日)

 宋遯初君没後96年。

 今日未明、彼はみまかった。

 毎年同じことを書いているけれど、新しい材料がないのだから仕方ない。

 既に口もきけなくなり、周りを囲む友人たちを見やるだけだった彼を見かねて、黄興さんが引導を渡した。「安心して逝っていいよ」と。

 と、当時の新聞報道にあるそうだ。

 

 新しい材料はないのだけれど、いま現在、彼の評価がどうなっているのかは知りたいところだ。いつだったか、神保町の東方書店の書架に突然、陳独秀関係の書籍が何種類もずらっと並んだことがあった。あんなふうに、宋教仁関係の書籍があふれる日が来ないだろうか。

 

 彼があのとき殺されなければ、歴史が別の歩みを見せていたのは、確かなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

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