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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2009年1月 4日 19日 25日 26日

 

1月3日(土)

 暮れからずっと、乾燥した晴天続き。家並みの際まで雲ひとつない。

本当はこの箇所は、「山際まで」と言いたいところだが、しかたない。かつては「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出て草にこそ入れ」と歌われたそうだけれど、今は「家並みより出て家並みにこそ入れ」だ。初日の出は十余分おそかった。

それはともかく、ここまで晴れると気持ちがよい。六畳の寝室は閉めきるとサンルーム化して、むしろ暑いくらい。換気のために窓を開けたり、居間や台所に移動すると思いのほか冷えていて、やっぱり冬だったかと思い直す。

そのぬくぬくの部屋で、寝正月。昨日と今日は運動のために近所へ買い物に出たけれど、元日は郵便受けまでしか行かなかった。夫にいたっては、この三日間玄関から一歩も出ていない。初参りの話もあったが、夫の体調不良でとりやめになった。31日にがんばりすぎたらしく、日中は眠ってばかり。

その間、わたしはTVで古典落語を見たりして自堕落に過ごしていたら、夫に発破かけられた。ばかはばかなりに努力せよと。粘り強くちびちびやっていれば、何かにはなるだろうと。どうせ本を読まねば生きていけぬのだから、無駄に読むなと。

 

そう言われても……とぶちぶち言いつつ、久しぶりに漢籍と向き合ってみたりしている。

 

 

 

1月4日(日)

 1月4日といえば、1906年のこの日の遯初君の日記を引くのが恒例なのだけれど、今年はほかに書きたいことがある。

 

 いやなニュースは見なくていい、いたずらに心を痛めることはない……と夫が常々言っているので、ガザのニュースにチャンネルを変えようとしたら、止められた。

 何が行われているのか見ろ。見なくてはいけない。

 

 そんなこと言われても、わたしには泣くしかできない。あんなことをする権利が誰にある? あるわけない。でもどうして誰も止められないんだ? こんな遠く離れた安全な部屋の中で、泣いていたって何も変わらない。でも何ができる? どうしたらいい? 

 イスラエルもUSAも、世界最大最凶のテロ国家だ。

 

 と書いたところで疑問が生じた。「テロ」って何だ? あそこで行われているのは戦争ではないのか?

 

 ところで、本当の話、テロルって何だろう。

 元はロベスピエールあたりだろうけれど、わたしが思い浮かべるのは清末の志士たちと帝政ロシア末期のナロードニキたちだ。

 

 昨日の朝日新聞に気になる論説文?があった。マンガ原作のTVドラマを紹介し、腐りきった世界を再生するためにリセットする必要があるという、高校生のテロリストのセリフを引いている。世界を閉塞感が覆っていて、それに対して全てをぶっ壊してしまいたいという感覚?感情? が見られるということらしい。識者のみなさんは、この先に繁栄を予想できないからとか、競争を排した優しい環境で育った子たちが学校を出て格差社会に直面したのだなどと言っておられる。

そういう分析の当否は知らない。気になったのは、それがテロリズムに結びつけられていることだ。

わたしの知っているテロリストたちは革命家だ。革命とは言うまでもなく、旧社会旧政治旧体制を壊して、新社会新政治新体制を造ることだ。破壊と建設。それが革命だと理解している。

再生のためにぶっ壊してしまえ! というのでは、破壊しかない。あとはどうなる? 

世直し世均しのための打ち壊しや騒動というのは、伝統的にある。破壊だけに見えるそれらの行動も、現状とは違うあるべき世を想起してのことだろう。だから世直しであり世均しなのだ。

 

テロリスト=超凶悪犯罪者、破壊者 というイメージがあるようで、それが気持ち悪い。

呉樾が友人との会話で、破壊と創造とでは前者の方が簡単だということになり、僕がそちらをやるから君は困難な方をやってくれと言ったとか。

笑顔の未来を造るために我が身を犠牲にするのがテロリストだと思っていた。もちろん、そのテロルは要人暗殺であって、無差別テロなど発想自体がないだろうけれど。

 

 この話を夫にしたら、――それ(「閉塞感→ぶっ壊せ」がテロリズムと結びつけられること)には、報道にも関係があるのではないか。世界各地で行われているテロルは、当然ながら思想や政治なり宗教なりの主張があってのことなのに、流れるのは衝撃的な破壊の映像ばかり。背景の解説がなされても、映像が強すぎて入っていかない。だから、テロ=破壊になってしまうのではないか――とのこと。

 

 

 

1月19日(月)

しつこいようだが、裁判員制度に関して再び『朝日新聞』に手紙を出してみた。特集記事の末尾に「ご意見や情報をお待ちしています」とあり、宛先が書いてあったから。

宛先は「『裁判員制度』係」。本当にそんな「係」があるとは驚いた。この新聞、早い段階から旗振り役を務めているように見えるので、上のほう(社主とか社長とか)の意向で方針が決まっていたのではないかと勘ぐっていたのだけれど、あんがい的外れではないかもしれない。

それでも、ここにきてさすがに問題点にも触れるようになってきたので、もう一押しと、微力ながら吠えてみた。こんなばかげた制度、絶対に葬り去りたいから。

その文章を以下に掲げる。以前ここに書いたものと重複するが、言いたいことが変わっていないので仕方ない。

 

 

私は44歳の主婦です。以下の2つの理由で、裁判員制度に反対します。

 

*司法に市民感覚を、というのならば、それは司法ではなく立法ですべきです。

*人を裁くという重い行為を、何の覚悟もない一般人に強いるのは、人権蹂躙です。

 

私の祖父は地裁の判事でしたが、敗戦までは朝鮮の法院にいました。抗日運動の闘士に死刑判決を出したこともあるようです。

司法官の仕事は法の適用について判断することで、法自体の善し悪しを問うものではありません。祖父としては、法がそうなっているから、そういう判決を出しただけなのでしょう。そうであったとしても、良心に痛みを全く覚えないとしたら、人間としてのあり方に疑問をもたざるを得ません。やむを得ぬこととはいえ、やはりそれは祖父の罪だと思います。

祖父の人間性は措くとしても、私自身はそんな罪を負いたくはありません。司法のプロの方々はそういう覚悟の上に志を持って仕事をなさっているものと信じますが、普通の市民にはそんな覚悟があるはずありません。

「人を裁きたくない」という当然の感覚を認めないのは、明らかに人権蹂躙です。普通の市民に殺人を強いる徴兵制と変わりません。

 

また、法自体が市民の感覚からずれている場合、それは裁判の場でどうにかなるものではありません。NHKのTVで模擬裁判をしていましたが、司法の用語と日常の用語とでは意味が違うとプロの裁判官に説明されたとき、素人たる市民は、なるほどそういうものかと、従うほかないようです。それでは、市民を参加させることで判決に「市民感覚」のお墨付きを与え、プロの責任を軽くするだけです。

市民感覚をというのなら、正しい主権行使の場である立法ですべきです。輿論による最近の交通事故関係の厳罰化がその例です。

法自体をいじらぬまま「市民感覚」で裁こうとしても、「だって法がそうなっているから」といわれればそれまでです。また、「市民感覚」で法を恣意的に使うのなら、それは大岡越前守の世界であって、近代国家ではありません。

 

そもそも、この制度が決まるとき、国会でどんな議論がどの程度なされたのでしょうか。そしてそれはどのくらい報道されたでしょう。国民の一人ひとりが、自分に関係のある重大事として議論を見守ったでしょうか。国民が自分の意見を表明する場が、広く持たれたでしょうか。

そんなことは一切なかったと思います。大部分の人にとっては、知らないところで決まって、いきなり天から降ってきた制度であるはずです。

それのどこが、主権の行使なのでしょうか。少なくとも、国民投票にかけるくらいはしてしかるべきだと思います。

 

なお、1月15日の模擬裁判の記事を読みました(注:実際の模擬裁判の紹介記事。目撃者のいない傷害致死事件で、被告は「やっていない」と主張。22回の模擬裁判で有罪11回、無罪11回と結果が分かれている)。「疑わしきは被告人の利益に」というのが現在の裁判での常識だと思いますが、「市民感覚」(というより市民感情)が持ち込まれたとき、それは「だって遺族が泣いているから」「とにかく早く裁判を終わらせたいから」などという律によって踏みにじられかねません。そうなると、「とにかく誰かを犯人にせねば」ということで、冤罪を生むことになります。これは恐ろしいことです。単なる理不尽なリンチです。

 

以上の理由から、私は裁判員制度に反対します。即刻廃止すべきだと思います。

 

2009年1月16日

 

 

 

1月25日(日)

 以前、楊篤生が留学中に読んだ本を探していた。そして、彼が読んだ河津祐之『法蘭西革命史』というのがミニエ著・河津訳の『仏国革命史』ではないかと思い、『仏国革命史』を図書館で探し出して読んでみた。1878年刊のこの本は、当時かなり読まれたらしい。秩父事件で豪家からの資金の借用証に「革命本部」と書いて、ただの百姓一揆だと思っていた東京の官憲を震撼させたという井出為吉君(25歳)の土蔵からも、この本が発見されている。彼は信州・佐久の豪農で、たまたま秩父に自由党のオルグに来ていて事件に際会し、ど真ん中に飛び込んだわけだが、「わあ、革命だ」と思ったのだろうな。

 話が逸れた。

 そうして文献を探していたとき、ほかにも明治期刊のフランス革命本を見つけ、そこで思った。

 近代日本でフランス革命がどのように紹介されていたのか。これは非常に意味深いテーマではないか。日本近代思想史の分野だろうけれど、そういう研究をしている人はいないのだろうか。

 

 それを、つい最近になって見つけた。井上清にそのものずばりの論考があった。こんな大家が! 恐れ入りました。

 

 そう長い論文でもないので、実は既に読み終えている。滅法おもしろく、刺激的だった。メモもとり、頭の中でうごめくものを感じているのだけれど、まだうまくまとまらない。

 まとまったら、何らかの形にしてみようと思っている。

 

 一つだけ。井上先生、「革命」の語で孟子の易姓革命は思っても、「共和」の語の原義については認識しておられぬようだ。『易経』の「革命」と「revolution」と。『史記』の「共和」と「republic」等と。どこが重なり、どこが違うのか。

 それを考えるだけでも、色々なことが出てきて、たまらなくおもしろい。

 

 もう一つ。篤生がアメリカ独立革命を紹介した文章のネタ本の一つである久松義典『革命史鑑』が、むしろ反革命的な立場の本とされている!!

 さすが。何からだって、読み取りたいものを読み取るんだ。

 

 

 

1月26日(月)

 陰暦一月一日。お正月。ということで、今朝、お月様カレンダーをかけかえた。

 

 天の海に雲の波立ち月の船 星の林にこぎ隠る見ゆ(柿本人麻呂)

 

 ところで、そろそろ雑柑が出てきました。おいしい雑柑を食べたい方は、こちらへどうぞ。掛け値なしに本当においしいです。ただし、一度これを食べると、その辺のお店で買えなくなります。

 伊予柑、不知火(でこぽん)もすばらしくおいしいですが、甘夏は何カ月ももつので便利です。低農薬栽培なので皮も使えます。

 

 

 

 

 

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