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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2008年6月 10日 12日 15日 22日 27日 29日 30日

 

6月1日(日)

 久々の晴天。木・金・土と室内に洗濯物を干して、そろそろ夫にアレルギーの発疹が出てきていたので、助かった。全部開け放って風を通し、夜具もみんな干した。湿度が低いからか、予想したほど暑くなく、快適な日。

 

友人が宋教仁が出てくるからと貸してくれた中国の大河ドラマのDVDを見ている。なかなかに凝った丁寧なつくりで滅法おもしろいけれど、時間が取れなくてなかなか進まない。やっと馬関条約が締結され、これから変法運動へ向かうところ。

 つらつら思うに。

 こんな言い方をときどき聞く。「日清戦争まではよかったけれど、日露はまずかった」。あるいは、「日露まではよかったけど、十五年戦争はいかん」、「米国と始めるまではよかったのだけど」云々。

 でも、日清戦争も十分むちゃくちゃだ。訳の分からぬ口実で戦さをふっかけておいて、勝ちを収めて、城下の盟だからと法外に分捕る。ごろつきのやり口ではないの?

 

 ところで、ずっと前から知りたいと思っているのだが、人類史上最も恥ずかしい(恥知らずの)戦争であるアヘン戦争は、英国では子どもたちにどう教えているのだろう。戦争の大義なんてこじつけばかりだが、それにしたってあの戦争ばかりは大義の立てようがないと思うのだけれど。

 

 

 

6月10日(火)

 昨日6月9日はロックの日なので、久しぶりにニルヴァーナを聴いた。やっぱりかっこいい。

 

 神保町の巨大書店では東京堂が好きだ。とはいえ、書籍を定価で買わない(高いか安いかどっちか)ので、新刊書店に行くのは、雑誌や地図の類を買うときくらいだ。でも今日は探しものがあったので、久しぶりに行ってみた。

 それで驚いたのは、売り場がだいぶ変わっていたこと。変わったなと思いながらうろうろして、地方・小出版のコーナーを見つけたこと。昨秋、地方・小出版専門書店の書肆アクセスが閉店して嘆いていたのだけれど、そこにあったものがそっくり(量的には全然だけれど)ここにあった。まさかと思った黒色戦線社の本まで、ずらりと並んでいる。

 こんな本、売っていいの? と思うがうれしい。

 

 もう一つ、収穫。小宮山書店で『ベルタ・ガルラン夫人』を発見。わたしが持っているのは煮染めたように汚いので、夫のためにきれいな本を探していた。ずーっと探していて得られなかった物が、たったの600円で買えてしまった。毎週のように通っているのに無かったのだから、出てすぐ見つけたのかな。だとすれば、なんたる幸運。

 やはり諦めずに根気よく通えということか。

 

 某古書店の店頭で、迷彩柄のだぼだぼのズボンのポケットに両手をつっこんだ、いかにもとっぽい青年が、岩波文庫の箱ばかりをのぞいていた。

 

 

 

6月12日(火)

宮本浩次の誕生日。42歳。

 今日は朝から東京新聞のCMを見ることができた。しかも長いヴァージョン。何をしていても、ミヤジの「あー」という声が聞こえると、ぱっとTVを振り向く。ウコンの力の「さあ」でも同じだけれど。

 「明日輝くために 息も切らさず走り抜けた 過去を未来を自分を 遠回りしてた昨日を越えて さく」で切れるので、「らのーはーなー まいあがるみーちをー」と補っている。

 桜の部分を使わなかったため、季節を問わず長く使えるんだね。新聞社のキャンペーンが7月20日までだから、それまで使ってもらえるのだろうか。だとしたらうれしい。

 ミヤジの声は美しい。

 

 

家の近所で踏み切り待ちをしながら、脇にあるアジサイを眺めていた。そろそろ盛りでだいぶ色づいてきた。と、後ろに自転車が止まった。前につけた補助椅子に小さな女の子が乗っている。母親が何か話しかけたが女の子は答えず、ややあって、「きれい」と回らぬ口で言った。おかあさんは「きれいね。アジサイよ」と優しい声で応じた。

 おそらくまだ幼稚園にも上がっていない、ほんの小さな子だ。そんな子でも、きれいなものをきれいと感じるのだ。

 それに対し「きれい」という語を教えるのは母親だし、あるいは「きれいなのはこういうものだ」と、母親が自分の感性を教え込むこともままあるだろう。

 けれども、そんなふうに教え込まれる前に、おそらく「きれい」ということばも知らないうちから、たぶん人はきれいなものをきれいと感じる力をもっているのだ。

 善悪もそう。孟子じゃないけれど、基本的な善し悪しの感覚は、たぶん天与のものだ。それを否定するのは後知恵だ。

 困っている人を見て、まず「気の毒に」と思う。でも、恥ずかしいし、面倒だし、わたしも手一杯だし、とか何とか「でも」「だって」を連ねて結局動かないとしても、最初に「あ」と思うことは思うのだ。

 わたしの夫ははっきりした人で、まったく自然に電車で老人に席を譲ることができるのだが、自分が疲れていたり、機嫌が悪かったり、相手が偉そうなジジイで反感を持ったりしたときには譲らないそうだ。

 わたしはもっとぐずぐずで、自然に立つこともあるし、階段で難儀するおばあさんの荷物を持つこともあるけれど、間が悪かったり億劫だったりすると、「でも」をかき集めて見ぬふりをする。わたしだけの義務じゃないやと。

 

 

 子どもがきれいな物を見て「きれい」と言ったとき、周りの大人、特に親が、「そうね、きれいね」と受け止めずに、「あんなもの」と嘲笑ったり否定したりすると、子どもは自分の感じ方が「間違っている」と思い込む。けれども確かにその子はそれをきれいだと感じたのだ。

 そうやって、自分の感じ方を「間違っている」と否定することが度重なると、自分が何をどう感じているのか分からなくなる。きれいか否かならまだしも、おいしいかまずいか、暑いか寒いかまで、親の求める「正解」を探すようになり、そのうち自分が空腹なのかどうかさえ分からなくなる。

 そして、痛い痛くないなどという生存にかかわる感覚まで分からなくなり、「痛くないと思えば痛くない」なんて言って、いよいよどうにもならなくなってから病院へ行くから、いきなり大手術だ。

 

「痛い!」と言うと「居たかったら居なさい」と返すような母親に育てられてしまったものなあ。その後で手当してくれはするが、第一声がそれでは、そして叱ったり呆れたりしながらの手当では、優しい人間になど育ちようがない。

結婚したばかりの頃、けがをしたら、夫が「かわいそうに」と言いながら手当してくれたので、驚いて泣いてしまったことがある。かわいそうだなんて言ってもらったことはなかったから。すると夫も驚いて、「かわいそうな人をかわいそうだと思うのは、人間としてごくごく当たり前のことだ」と言い、「なんてかわいそうな子だ」と憐れんでくれた。

 

わたしは観音様のような人になりたい。人の痛みを自分の痛みと感じて、人にも自分にも優しくありたい。「そうね」と柔らかく受け止めたい。

なのに実際は人を呪ってばかりいる。

 

修行せにゃ。

 なんか、いいなあ。

 

 

 

6月15日(日)

 地震こわい。宮城県に友人がいるので、心配だ。

 

 6月15日。学生のとき、この日に学校へ行くと、階段教室の全部の机にビラが置いてあった。先生がそれを見て、昔話をしてくれた。

 この大学でもあったことだと言われても、わたしたちの生まれる前のことだ。なんのことやら。むかしむかしあるところに、というのとあまり変わりない。

 

 そんなビラが撒かれたのも、すでに昔話だ。今はそんなこともないだろう。

 

 

 

6月22日(日)

 毎年のことなのだが、野音の天気が気になる。週間予報の一番端に出た日からずっと、一喜一憂する日を送ることになる。週間予報というのも当てにならなくて、半日で変わったりするから、そんなものに振り回されなくてもよいのだが、それでも気にせずにはいられない。

 今年はまず、曇りがともった。前日は雲に小さい傘。これからどう推移するやら。

 夫などは、6月28日という日付を見たときから、雨と決めてしまったようだ。伝説を作るぞと、妙に意気込んでいる。

 わたしの野音も今年で12回目。降りそうで降らなかったこともあるし、素晴らしい豪雨も経験している。腹はすわっています。何でも来い!

 

 と、午前中に書いたのだけれど、さきほど最新の予報を見たら、前日が曇り、当日は雲に小さいお日様がついている。

 なんの、こんなことではまだまだ喜ばない。ぬか喜びはしたくない。最悪を想定しておいたほうがいい。既に合羽も用意済みだ。

 

 でも本当は好天がいいな。余計な困難はやっぱり余計だ。全力で楽しみたい。日が長くてはじめは恥ずかしいと思うけどね。

 

 

 

6月27日(金)

 夫は歌うのが好きだが、規格外のばか声でカラオケボックスが使えないので、ときどき多摩川の川原で歌ってくる。最近はさすがにあまりやらないが、数年前までは、季節がよければ週に一度くらいは行っていたようだ。

 何年か前のこと、そうしてエレカシを絶唱していて、声をかけられたことがあるという。88年3月発表のデビュー曲、「デーデ」を歌ったときのことだそうだ。

 知らないおじさんが寄ってきて、今の歌に感心したと言い、問わず語りに自らの来し方を話してくれたとか。

 その人は肉屋で、今はもう引退したが、現役時代は非常に羽振りがよかったと。なんでも、戦後の混乱に乗じて、悪い肉、混ぜ物をした肉、要するにインチキの肉で大儲けをしたのだと。

 

  「デーデ」宮本浩次

  溜め息ばかりついてたら 何もできないさ

  こんなにつまらん世の中も 金がかたづける

 

  世の中まるく治めるなら 頭脳はいらないさ

  少しばかりの悪知恵と 金があればいい

 

  悲しい事あっても 1人きりになっても

  金があるじゃないか 金があればいい

  もしも君に友達が 1人もいないなら

  ふぬけたドタマ フル回転 金が友達さ

 

  悲しい事あっても 1人きりになっても

  金があるじゃないか 金があればいい

 

  金持ち とりもち 力持ち もちにもいろいろあるけれど

  金持ち1番強いのは 誰でもしってるさ

  友達なんかいらないさ 金があればいい

 

  ララララララ

  心も身体も売り渡せ 金があればいい

 

 21歳の小生意気な学生が創ったこの皮肉な歌が、海千山千の食えない肉屋のオヤジの心に、何か作用を及ぼしたのだと思うと、改めて歌の力のすごさを感じさせられる。

 

 それにしても、そのときは本当にそんな肉屋がいるのかと、そんな不正ができるのかと驚いたが、去年の北海道の会社や、いま騒がれている岐阜県の会社など見ると、この国にはそんな肉屋さんがたくさんあるのかなと思う。

 自分が食べるお肉をひと様に殺してもらっているのだから、あんまり言いたくないけれど、不衛生なものは食べたくないな。

 

 ♪♪♪♯♪♪♪♭♪♪♪

 

 いよいよ明日、野音。年に一度のお祭で、毎年びっくりするような曲を演ってくれるので

楽しみだ。

 エレカシデータベースで「野音でやってほしい曲」のアンケートをしていたので、答えてみた。

 

基本的には5枚目であれば何でも大歓迎ですが。

 

「good−bye−mama」はずいぶん前に野音で聴かせてもらい、エレカシがこれからどうなってしまうのか不安でならない時期だっただけに、かっこよさに狂喜した思い出があります。久しぶりにまた聴けたらと思います。

 

野音に似合う曲というと7枚目の「極楽大将生活賛歌」「男餓鬼道空っ風」「星の降るような夜に」あたりですが、雨季ですから、「季節はずれの男」「かけ出す男」といった、ずぶぬれの曲もいいですね。

「月の夜」も野音にふさわしい名曲ですが、今年は月齢24くらいだから月はなく、ちょっと残念。

 

去年の「偶成」、石神井川と言われて驚喜。わたしの人生で最初に意識にのぼった川ですから、感慨深いです。今は知りませんが、昔はきっちゃないドブ川でした。これもまた聴きたい。

 

そして何より、新曲です。制作中の仮歌でもOKです。今の、これからの、エレカシを見せてもらいたいものです。

 

 今のところ、天気は何とかもちそうだ。きのう消えてしまったお日様印も、ここにきて再点灯。20時まででいい、降らないでくれ。

 

 

 

6月29日(日)

 昨日の野音はすごかった。とにかくすごかった。

 ライヴは普通2時間くらいだが、エレカシの場合もう少し短めのことが多く、1時間半くらいで終わってしまうこともある。でも野音は特別で、「長丁場ですから」と断って2時間半もしてくれたこともあった。

 今回も、はじめのほうで長丁場宣言があり、おおっと思ったのだが、まさかここまでとは。

 本編が終わってアンコールで出てきた宮本、開口一番「2時間超しちゃったんだって?」

 それからアンコール4曲で終了。いつもなら2回目のアンコールをねだる拍手がやまないところだが、今回はさすがにみなおとなしく帰り支度を。時計を見たら8時28分。出てきたのが5時40分だから、2時間50分。

 さすがにこちらもへろへろ。夫は心臓が苦しいと訴え、係の人に逐われるまでへたり込んでいた。

 

 幸せだ。よろよろと帰り着いたら10時半近かったけれど、なんやかやで1時半になってやっと床に就いても興奮してなかなか寝つけなかったけれど、3時間のスクワットで今日はふくらはぎがパンパンにはっているけれど、幸せだ。

 

 一年の最大の祭が終わってしまった。これからどうやって生きていこう。

 

 一つだけ。「月と歩いた」のとき、曲が生まれたときのことを話してくれた。3枚目だから22か23歳のころだろう。

夜、後楽園から赤羽まで歩いて帰ったとき、月が右に左に見えていたと。ポケットには荷風の『珊瑚集』。「かたつむりはいまわるぬかるみに〜」と。

 

 で、帰ってから珊瑚集を繙いた。

 

死のよろこび  シヤアル・ボオドレヱル

蝸牛匍ひまはる泥土(ぬかるみ)に、

われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。

安らかにやがてわれ老いさらぼひし骨を埋め、

水底に鱶の沈む如(ごと)忘却(わすれ)の淵に眠るべし。

(後略)

とな。ミヤジ、諳んじているんだね。本当に荷風が好きなんだね。

 

 そうそう。「デーデ」をやってくれた。ライブで盛り上がる定番曲で、珍しくはないけれど、そんなにいつもやるという曲でもない。昨日の今日だけに驚いた。

 

 

 

6月30日(月)

ここひと月ほどか、水道橋駅の近くで警察が検問をしている。と思ったら、今日は錦町でもやっていた。そればかりでなく、江戸城付近はあっちにもこっちにも警官の姿が。

あのころを思い出した。88年。お濠端にぐるりと、3メートルおきくらいに、長い棒を持った警官が立っていた。警視庁だけでは足りずに全国から動員されて、楯にそれぞれの県警のマークがついていた。

友人と一緒に見物に出かけ、人々が記帳をしているところにも行ってみた。じろじろと見回しただけで、もちろん何も書かずに出てきたが、「この行動が怪しまれてカバンを開けられたらどうしようか。何かまずいものは持ってないかな。島尾敏雄は大丈夫だよね。上野英信は? 高群逸枝は? 黒色戦線社はだめでしょう」とかなんとか……要するに状況を楽しんで遊んでいたのだ。友人が光景を写真を撮るときは、念のためにわたしがばかっぽいポーズをとって立ってみたりした。(一部虚構あり)

 

帰りの新宿駅で放送していた。「サミットに向けての警備のため、うろんな風体の奴は誰何されたりカバンを開けさせられたりするから、そのつもりで」という意味のことを、婉曲な表現で。

そういうことらしい。

 

♪♪♪♯♪♪♪♭♪♪♪

 

 ライブ後はいつものことだけれど、ふくらはぎと腕とがひどく痛む。日ごろの鍛錬が足りん、少なくとも一週間前から(拳の)素振りとスクワットをして備えねば、と笑う夫も、もちろん腕の痛みに苦しんでいる。

 冗談は抜きにしても、たとえ普段から鍛えている人であっても、スクワット3時間はきついだろう。

 最後までド迫力で叩き通したトミはすごい。さほど大きな身体でもないのに、たいへんな力だ。いつも去り際にわたしたちに手を振ってくれるトミは、最高にかっこいい。

 

 スクワット3時間というけれど、もちろんずっと踊っていたわけではない。例えば「遁生」は、直立不動で息を詰めての十数分間だった。赤羽台団地の2DKでこつこつ鳴っている火鉢の音を、あのときあの場にいた3000人が聞いたに違いない。

「おまえは何故に引き籠る」

あの時分(89年ごろ)は、引き籠るという語は、今ほど人の口の端に上ることばではなかった。現象自体はあったのに。

 全員が我が身のこととして聴ける歌ではないかもしれない。でも、あの場にいた人たちは、イッちゃってる奇矯なカルトソングとして聴いてはいなかったと思う。そう信じたい。

 胸苦しいような3000人の沈黙が、その証だと思う。

 

それにしても、6月28日に野音というのは、あまりに日が悪い。後で知ったが、東京の雨の特異日だとか。それでも降らせなかったのはさすがだが、不都合は梅雨の最中というだけではない。夏至後一週間というのはいかがなものか。日没は19時1分。1年で最も遅い時期だ。いつまで経っても明るくて、今ひとつのりにくい。照明が功を奏し始めたのは月の夜のころだから15曲目だ。前に立つ人の姿が黒くなったのは、もっと後。

 

では、いつがいい?

夏の野音というのだから8月か9月がよいのだろうけれど、9月は台風の心配があるので(雨天決行だが台風だと中止になる)、案外10月が最適かもしれない。ちょっと寒いが、虫の音が加わって、得も言われぬ効果が出る。

(日比谷野外大音楽堂でコンサートができるのは、5月から10月までの土曜日曜だけだそうだ。なるほど、平日だと近所迷惑だろう。一昨日も、土曜だというのに、長銀もその隣のビルも、もう一つ隣のビルも、明かりのついている窓があった。右手の官庁にも。気の毒に)