2008年5月 3日 9日 12日 18日 22日 25日 26日 29日
●5月3日(土)
憲法記念日。
昨日は久々のライブ。新アルバムのお披露目ツアーだから、ライブで聴いたことのない曲が多く、うれしい。どうしたってレコードは缶詰というか、一つの見本、演奏例でしかない。ライブでなきゃ、真価は分からない。
渋谷公会堂は名まえを売ってC.C.レモンホールとなりはて、巨大なレモンがシュールだ。でも、わたしにとってはやはり渋公だし、ミヤジも渋公と言っていた。
ライブはすばらしかった。宮本の声がよく出ていて終始上機嫌だし、トミの迫力に圧倒され、みんなも始めっからガンガンで、幸せだった。
帰りのバスで不思議なことが二つあった。
バスはほぼ満席で、夫について後ろのほうに行くと、二人掛けの席に老婦人が一人で座っていた。立っていようかと思ったが、夫は座れと言うかと思い訊こうとすると、おばあさんが立ってしまった。お年寄りに席を譲られるなんてとんでもない。うろたえていると、「すぐ降りますから」とおっしゃって、さっさとドアのほうへ行ってしまった。後で降りて歩いて行かれる姿を見たら、背筋をしゃんと伸ばして早足でさっさと歩いていらっしゃったので、お元気な方なのだろう。硬質な気をもった方だった。
さて、譲られてしまって仕方なく座ったけれど、動揺したままおばあさんを見ていたら、手のひらに何かが乗った。
紺色の手ぬぐい。「後ろの人にいただいた」と夫が言う。宮本の描く「富士に太陽」の、2002年版のものだ。「よろしければどうぞ」って言われたとのこと。
何が何だかわからない。バス停で前の方に並んでいた初老のご夫婦と分かったが、会場で近くにいたらしい。
わたしたちのほうが先に降りたので、降り際に夫があいさつに行った。なんでも、正月のZEPPでも近くにいたそうだ。夫が大声を出すので目立っていたのだろう。実際、この人はいつも会場の誰よりも大きな声を出すから、東京では「とっても有名な声」らしい。
「宮本も喜んでいると思いますよ」と言ってくださった。夫は「敢闘賞」だと解釈し、恐縮しながらもありがたくいただいた。
バスを降りてから二人で最敬礼。あちらは手を振ってくださった。不思議な、楽しい邂逅だ。この分だと、野音でもお会いするかもしれない。
何だか分からないけれど、幸せな夜だった。
●5月9日(金)
敗北と死に至る道が生活ならば
あなたのやさしさをオレは何に例えよう (宮本浩次)
発表当時にもささやかれたけれど、この部分、詞と曲調のあまりの乖離に、宮本の情緒は大丈夫なのかと心配になる。
なにしろライブでは一級の拳振り上げ箇所だから。
それも、どす黒い怒りや、やけくその戦闘態勢の拳ではなく、あっけらかんと明るい元気な大合唱。どうなっているんだ?
蝉が鳴き、蛾やヘリコプターが飛ぶ野音で、土曜の夜なのに灯りのこうこうとついた旧長銀やら官庁ビルやらに見下ろされ、わたしたちはどんな気持ちで拳を振ればよいのか。
でも好き。この曲を聴くと野音が見える。今年の野音でもやってほしい。
あー。なんか分かった。
はーいぼくと死に至る道が 生活ならばー
と、のどを全開にして歌いながら三千人で拳を突き上げるとき、「死ぬまで生きてやるぞー」という意欲というか覚悟のようなものが湧き出てくるんだね。
ミヤジ、ありがとう。
●5月12日(月)
潅仏会。釈尊の誕生日ということになっている日。
人類史上、孔子やナーガールジュナ、ヴァスバンドゥ、ジャン・ジャックなどなど、すごい人は何人か出ていて、この人たちはわたしなんかの理解を遥かに超えている。ヴァスバンドゥなんか、頭の中がどうなっているのか割って見てみたいくらいだ(夫はもっと極端で、「あるとかないとか言っている奴は殴ってやる。ほら、痛いか、痛くないか、あるのか、ないのか」と常々言っている。西洋の主観的観念論と唯識とは、似ているけど全然違うものだと思うのだけれど。ちなみに、深層心理学とも似ているけど違うと思う)。
けれど、釈尊は彼らとも別格だ。本当に人類なのかどうか、疑われるくらい。
それでも釈尊在世中に生まれ合わせて、直接教えを受けることのできた人たちの多くは、ちゃんと彼岸へ渡れて、二度と生まれ変わってこないようだ。
やはり謦咳に接するというのは大きいのだろう。書物を通して私淑するしかない後世の人間には、及びもつかないところがありそうだ。
原始涅槃経にうかがわれる釈尊像は、とってもお優しい方に思える。悟りを得ていないアーナンダが、釈尊の死に臨んでわんわん泣くと、釈尊は無常を説いて慰め、側に侍した25年間の労をねぎらい、じきに悟れるからと励ましてくださった。
わたしもぼろぼろ泣いたけれど、こちらはアーナンダとは違う凡婦の身。悟りは遥か遠くだわ。
●5月18日(日)
異常な頭脳といえば、ツルゲーネフは脳が並外れて大きかったそうだ。とういうことは、解剖したのか。
ヴァスバンドゥやナーガールジュナも、開いてみれば尋常な脳ではなかったのではないかと思うけれど、釈尊は、ああ釈尊は、決して開いてはいけないと思う。
だって、人間じゃなかったら、恐いから。
●5月22日(木)
いつも同じ道を散歩するのもつまらないので、江戸城を目指してみた。徒歩圏なのが分かっているのに今まで行かなかったのは、印象が悪かったからだ。内堀通りは車が多くて空気が悪く、緑は多いようで実は少なく、炎天下を歩かされる。
久しぶりに歩いてみると、やはり空気は悪い。いつ来ても大勢の人が走っているが、みな呼吸器が丈夫なのだろうか。
日陰が少なく感じるのは、いつも歩く道よりも建物の陰が少ないからだと気がついた。大樹が枝を広げてくれているところも、ないではない。木陰には、お濠に向かってベンチにかけ、お弁当を食べる人々がいる。
半裸で走る、青年、おじさん、老人たちを避けながら、お濠に沿って歩く。コブハクチョウが悠然と泳いでいく。水中には巨大鯉と巨大亀。亀が多い。鼻だけ出して泳いでいる。カルガモが二羽、所在なげにたたずんでいた。
石垣をよく見ると、大きな石の間に小さい石がたくさん入っている。大きな石だけで組んであると思い込んでいたので、興深かった。
大好きな近代美術館を横目に竹橋から九段方面へ折れ、九段会館の前から神保町方面へ帰ってきた。
この道だと時間ぎりぎりだ。少し検討し直したほうがよい。
赤十字社を通し、ビルマと中国のために些少ながら義捐金を。
ビルマに対しては迷った。悪の軍事政権を利することになりはしないか。
けれど、現に苦しんでいる人は苦しんでいて、援助を切望している。その人たちを放ってはおけない。
赤十字を通すのだから悪いことにはならないだろうし、よしんば横流し等があったり、軍事政権の危機の緩和に結びつくことになっても、それはそれで仕方ない。
それに、悪は広がるだけ広がれば滅びるといわれる。あるはずの援助が届かなければ、軍事政権に対する怨嗟は広がり、不満が高まり、悪の打倒につながるかもしれない。
そんなことを考えた。
●5月25日(日)
千歳村脱出を企てていて、住みたい町を探し始めている。稲城市、多摩市、八王子市の、いわゆる多摩ニュータウンを歩きまわっている。URが需要も考えずにどんどん建てたとかで、空きは結構あるようなので、町を決めてから条件の合う物件を探してもよいようだ。
ということで、気の合う土地を探している。
多摩の新開地というと、十年くらい前に日野市で見た、丘陵地を段々畑状に刻んで戸建てをびっちり並べた印象が強かったが、いま見ているのは全く違う。ひたすらマンション。はやりの長い積み木を立てたようなタワーマンションは民間の分譲だろうけれど、URの団地も昔の団地のイメージとは違って、しゃれたマンション風になっている。
それがあっちにもこっちにも建っている。全部もとは丘陵だったはず。だから団地と団地とを結ぶのは坂ばかりで、町を見下ろす丘も随所にある。
丘陵を全部ひらいてしまうのは気がひけたらしく、緑地もそこここに残してあり、気持ちのよい公園になっている。その公園も、開けた芝生の原もあれば、丘陵をそのままにした「マムシに注意」の魅力的な小山もある。
昨日、ウグイスがさかんに鳴く公園で、知らない鳥を見た。大きさはムクドリと同じか、やや大きいくらい。全身が赤茶色で、嘴が黄色い。小流れで水浴びしているところに、そっと近づいたが逃げないので、じっくり見せてもらった。全然見たことのない鳥だ。
帰って図鑑を調べたら、どうやらアカハラというらしい。鳥好きのつもりだが、所詮は都市鳥しか知らないのだ。多摩に住めば、あんな鳥たちとも親しくなれるのか。
虫も多いしタランチュラみたいな巨大蜘蛛がいるはずだと、田舎育ちの夫は言う。足も含めて手のひら大のなら見たことあるけど、と言うと、そんなものではないと。体が手のひら大で、それに脚がついているのだと。
それはちょっと恐いかな。
●5月26日(月)
昨日は野音の一般発売日だった。当然の即完、それも即日完売どころか即刻完売とでもいうのか、四、五分の勝負だったそうだ。
野音はお祭だから全国から集まるとはいえ、今年は大阪城野音もあるのだから、これはすごい。動員が増えているという実感はあったけれど、本当だったようだ。
この分なら来年は二日間でもできるだろう。二日間でのべ六千人。二日とも参戦する人が多いから、実質は四、五千人とったところか。そのくらいは楽勝だろう。
渋公もそうだったように、今度も「チケット求む!」の悲鳴がネット上にあふれそうだ。すでにあふれ始めている。みんな、FCに入ればいいのに。たかだか四千円の年会費で、ほぼ確実にとれるのだから。少なくともわたしはとり損なったことはない。くじ運には泣かされているけれど。
グッズを使うことにした。押入れを整理したら大量に出てきて呆れたので。タオルやTシャツが山ほどある。もったいなくて、あるいは恥ずかしくて、使えないまま保存してきたものだ。
グッズはできるだけ買うようにしてきた。十余年前、TVで大槻ケンヂ氏が「物販買わずして何の客ぞ」とのたまうのを聞いたからだ。なんでも、コンサートの経費は物販によりまかなわれるとか。聞き手の八熊慎一氏も「あ、そうですね」と肯定した。ヤックがそう言うのだから、そのとおりなのだろう(オーケンを疑うわけじゃなくて、ヤックを信用しているの)。
別の情報によると、コンサートというのはプロモーションの一環で、赤字は当たり前。それを少しでも補うために物販があるのだと。
なるほど、北島三郎のコンサートなどは億単位の経費で、そのかわりおばちゃんたちが大量にグッズを買っていくわけだ。
以来、メンバーのためにと買い続けてきた。けれど、はじめのうちは簡単に買えたが、最近は困難になっている。
この前の渋公もそうだった。開場ちょっと前にバスを降りると、広場には長蛇の列。ライヴハウスと違って席が決まっているのに、どうして並ぶのか不思議だった。が、入ってみて納得。物販の列が階段を上ってどこまでも続いている。これが目当てで、皆さん並んでいたのだ。
何を買うか事前に決めていたのだが、並ぶのが嫌いなわたしはこの日は諦めて、あとで通販で買った。会場の熱気の割には売れ残りが多く、通販で結構買えるのだ。
かくてグッズは増え続けるので、これからは使うことにする。デザインによって、普通に表に来て行けるもの、エレカシのライヴになら着て行けるもの、ねまきにしかならないものの三つに分け、少しずつ消費しよう。
まずは来月の野音だ。少し古いものを着て行こうかな。新しいファンが羨むようなものを。
エレカシもだけれど、物販はカスタネッツにとっては、より重要だ。バイトで食いつなぐ彼らのために、自宅に運び込まれた大量のグッズを手ずから袋詰めし、一つ一つ宛名書きして発送している彼らのために、グッズは買わなければ。
カスタのTシャツはかわいいから、普通に着て歩けるし。