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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2008年2月  3日 5日 6日

 

 

2月2日(土)

 友人の助言もあって、グーグルの地図で遊んでみた。

 新化県を見たら、天華中路という大通りがあったのでうれしかった。天華広場もあると聞いていたが、それは分からなかった。

 そして長沙県。高橋鎮を発見。これはうれしい。本気でうれしい。涙ぐんでしまい、時分でもあほらしくなったが、でもうれしいものはうれしい。どうせ何もありはしないのだけれど。茶畑が広がっているだけなのだろうけど。でもまだ一族の人が住んでいたりするのだろうか。

 そこから北西へ転ずると、板倉ではなく開慧郷が。名まえをとってくれるのは、いいようでよくない。やはり板倉でないと、感じが出ない。関係ないけど、ゴーリキーの故郷がソ連崩壊によってゴーリキー市からニジニノヴゴロド市に戻ったのはよかった。ゴーリキーの作品には当然ニジニノヴゴロドで出てくるのだもの。本人だってそう思っているに相違ない。そういう人だ。

 それはともかく。地図には楊昌済先生の家も載っていた。もちろん、昌済先生ではなく「楊開慧故居」としてだけれども。

 

 明日は本格的な雪とのこと。東京で雪が降るのは、冬型が崩れて、でもまだ寒いというときだ。週間予報を見ると雨や雪が多くなっている。春が近いということ。梅も咲いている。

 

ところで、華中華南で大雪との話。どうなっているんだろう。たいへんだろうな。

 

 

2月3日(日)

 寝た〜。

 昨夜は12時前に寝て、今朝は普通に4時半過ぎに起きた。既に地面や車の屋根が真っ白になっていた。久々の大雪になる模様。

 あまり積もる前にと思い10時前に買い物をすませ、家の中でごそごそと雑務を。そろそろご飯かなと思った頃、一仕事終えた夫が部屋から出てきて、おまえは体が冷え切っているから眠れと、厳命される。

 言われるままに湯たんぽを二つつくり、お腹に小さなカイロを貼って、首にタオルを巻いて蒲団に入ったけれど、こんな時間に眠れるものかと、こっそり本を読むつもりだった。

 のに、気がついたら4時半。昼寝の最長記録をつくってしまった。ここのところ、休日の午後は眠り虫になっているが、1、2時間で起きていたのに。こんなに眠れるものとは思わなかった。

 眠りというのは、借金の解消はできるが、貯金はできないそうだ。寝不足を補うことはある程度できるが、今日いっぱい寝たから明日は寝なくて大丈夫、というのはないとか。

 週日の寝不足を週末でごまかす感じが、ずっと続いている。あまりよいことではないだろう。朝寝ができればよいのだが。

 

 異常暑がりで、冷え性ということばとは無縁だと思っていた。けれども、ここにきて「冷えのぼせ」疑惑が浮上。確かに、顔がほてって全身むかーっとして汗をかくけれど、足先や手は尋常ならざる冷たさになる。特に足はひどい。

 要するに、巡りが悪くて全部上に集まってしまうらしい。

 

 とりあえず足を温めること。ということで、流行りの湯たんぽを買ってきて愛用している。もともと冷え性の夫の分と二つ。なかなか具合がいい。もっと早く導入すべきだった。

 

 さてさて。雪はもう終わるようだが、明日の朝が恐い。踏み固められた雪が、かちこちに凍るはず。

 

 

2月5日(火

 朝、金星と木星とが仲よく並んでいるのを、やっと見ることができた。ずっと気になっていたのに、なかなか見られなかった。この接近、星占い的にはどうなのだろう。手元に漢書がないので調べられない。全部揃える気はないが、天文志のある冊だけは買おうかな。

 

 一昨日の雪はほとんど消えたが、まだあちこちの駐車場には雪だるま、道端には犬小屋ほどのかまくらが残っている。やはり子どもは雪を放っておけないらしい。

 昨日の朝は市ヶ谷のお濠の一部に薄氷がはっていたが、今日はそれもなくなっていた。いつものキンクロハジロに交じって、見慣れぬ鴨がいたが、何だろう。

 見慣れぬといえば、飯田橋と小石川橋との間の神田川に、ユリカモメに交じって背の黒いのがいたのだけれど、ひょっとしてウミネコだろうか。どこから来たの?

 

 ふと思ったのだが、「楊開慧故居」には楊篤生の遺品が保存してあったりするのだろうか。

『楊毓麟集』の口絵にある彼の書には、「再侄守仁敬呈」と附されている。「再侄」=おい×2。つまり二世代上の叔祖(大叔父)である楊昌済先生に贈られたものだ。書かれているのは英国で読まれた詩。昌済先生は、大事に持って帰って来てくれたのね。

それは今、どこにあるのでしょう。昌済先生の家にあるのではないかしら。

 

行ってみたい? 行けっこないけど。

 

 

2月6日(水)

 今日は陰暦の大晦日。ということで、愛用の陰暦カレンダーが明日から新年のものに変わる。

 このカレンダーのよいのは、陽暦に陰暦が附されているのではなく、全く陰暦で作られていること。だから、毎月の陰暦十八日がいつか、すぐ分かる。

 普通のお店では売っていないそうだが、なぜか神保町の東方書店に置いているので、使い始めてもう四、五年になるか。便利です。

 

 今日はあられや雪やみぞれや雨やと、忙しい日だった。昼、何も降っていなかったので、久しぶりに湯島へ。梅はまだ開きかけもないではない、程度。明後日から梅まつりとのことだが、間に合うかしら。

 受験期真っ只中だけれど、天気ゆえか思ったほど混んでいなかった。

 

 不忍池は鴨が少なかった。オナガガモばかりで、あれほどいたキンクロハジロの姿が見えない。オナガも少ない。ドバトが寒そうにまん丸く膨らんでいるばかり。餌を撒くカモおじさんたちもいない。天気のためか、餌づけしないようとの貼り紙のためか。

 ボート池にはユリカモメばかりなので、蓮池にまわると、キンクロがいた。ホシハジロも。枯れ蓮の茂みの奥に浮かんでいる。数は少ない。餌づけされなくなったからだろうか。わたしは餌づけに反対なのでそれはいいが、数が少ないのは寂しい。このごろ後楽橋や小石川橋あたりの神田川でも見かけるが、上野から移動した組なのかもしれない。

 蓮の間に知らない鴨が二羽いた。見たことのない白い鴨。家に帰って図鑑を見たが載っていない。なんだろう。

 

 鴨さんたち、ダウンを着た体はともかく、むき出しの足は水の中で冷たくないのか。でもこの人たちは、日本は暖かいねと言ってシベリアから来ているのだから、寒くないのだろうな。