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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2007年12月 6日 7日 8日 9日 10日 12日  13日 28日

 

12月3日(月)

 どうしよう。今年の12月8日は土曜日だ。勤めは休みだ。

 どうする。そのためだけに行く?

そろそろゲリラ的に暮れ仕事を始めねばならない12月の週末に、半端者とはいえ一家の家事担当者が、わざわざ往復2時間かけて、追悼のためだけに出かけるか?

そこまで酔狂な挙に出る根性はあるか?

でもでも、わたしが行かなければ誰がこの日に東新訳社に立つだろう。誰がその地で彼を偲んでくれるだろう。

誰か奇特な人はいないだろうか。東新訳社でなくてもいい。大森海岸なら、なおいい。誰か行ってくれないかな。行って、彼のために泣いてくれないかな。

 

 さて、どうしましょう。

 

 

12月6日(木)

 左手首を痛めた。何をした覚えもないのに、散歩から帰ったら痛くなっていた。

 何をすると痛いのか、まだつかめていない。曲げたりひねったり、重い物を持ったりで、痛いときと大丈夫なときとがある。

 吊り革につかまって全体重を支えても平気なのに、急須が持てなかったり、じゃが芋を切っただけで激痛が走ったり。

 これはちょっと由々しき事態だ。なにしろわたしの右手は無能で、お箸を持つくらいしか用をなさない。

 『礼記』の「内則篇」には「子能食食、教以右手〜子どもが自分で物を食べられるようになったら、何かするときには右手を使うように教える」とあるが、蛮夷たる母がそんなことを知るわけもなく、「鉛筆なんかどうだっていいが、食事はマナーだから」という単純な了見で、お箸だけ仕込まれた。

 それでもこの右手社会で生きていくために、わたしの右手は右利きの人の左手よりは有能だと思う。はさみだって使えるし。

 と思ったが、考えてみると、右を使うよりも、右用の道具を無理して左で使うことのほうが、圧倒的に多い。結婚当初、わたしが缶切りを使うのを見て、夫は「かわいそうだ」と代わってしてくれていた。わたしは慣れているから何とも思わないが、手前でなく奥へ向かって進むのは、異様に見えるようだ。

 知ってるかい? 鉛筆やボールペンの軸にある「Tombow」などの文字、あれは逆さに書いてあるものだと、物心ついたときからずっと思っていた。三十過ぎて、あるときふと右手で持ってみて驚いた。逆さじゃない! あまり驚いたので、妹に会ったときに右で持たせると、やはり「オオーッ」と驚いていた。

 今年の春、パスモができたとき、初日に入手した。その日は日曜だったので、翌朝はじめて使った。そのときの快感! 体をひねってあの小さい口に定期を入れるのは、やっぱり辛かったのだなと、改めて思った。

 

 わたしのパソコン、家でも職場でもマウスは左に置いてある。設定は右用のままだけど。

 これは実は便利だ。テンキーとマウスと一緒に使えるから。数字屋にはお勧めの方法なのだけれど、一般化はしないかな。

 

 でも、パスモも体をひねって左手で使うから、ときどき「もういちどタッチしてください」が出てしまう……。

 

 

12月7日(金)

 「清国人同盟休校   

東京市内各学校に在学する清国留学生八千六百余名の同盟休校は大学教授連盟辞職に次ぐ教育界刻下の大問題なり右は去月二日発布の文部省令清国留学生に対する規程に不満の念を懐きたるものにして該省令は広狭何れにも解釈し得るより清国学生は該省令を余り狭義に解釈したる結果の不満と清国人の特有性なる放縦卑劣の意志より出で団結も亦頗る薄弱のものなる由なるが清国公使は事態甚容易ならずとし兎に角留学生一同の請ひを容れて之を我文部省に交渉するに至りしが有力なる某子爵は両者の中間に於て大に斡旋中にして右の結果両三日中には本問題も無事落着すべしといふ」

  『東京朝日新聞』1905年12月7日 文中強調はゆり子

 

 1905年の今日、陳星台は遅くまでかかって絶命書と父・宝卿公の伝記とを書く。

 

 今日はたてこんでいて東新訳社に行けなかった。明日も行けないかも。申し訳ないけれど、なかなか自由に動きがとれない。

 

 朝、細い月がきれいだった。日中は暑いくらい。外堀通りのカエデは、赤くなりきらずに黄色いまま散り始めている。真っ赤だった桜も、そろそろ終わり。

 もっともっと、寒くなれ。

 

 

12月8日(土)

 陳星台先生没後102年。

 「十二日あさ起きて食事をすませ、友人の某君に二円借りて外出した。同宿者は、文章を印刷にまわしにゆくのだろうと思って気にもとめなかった。夜に入っても帰ってこないので、はじめて疑をいだいたのである。しばらくすると、留学生会館の受附がやって来て言うには、公使館から電話があって、大森の警察官からの電話によるとひとりの支那男子が海で死んでいた、姓は陳、名は天華、住所は神田の東新社とのこと。かくて君の死を知ったのである。ああ、痛ましきか哉。

 夜もあけやらぬころ、わたしは友人某氏某氏たちと大森へしらべに行った。大森町長は、昨日六時、当地の海岸の東浜六十間ばかりのところに、ひとつの屍体を発見、すぐさま引きあげ、九時に体を検査したが、銅貨数枚と書留証のみで、ほかに何ひとつ無かった、今はもう納棺してある、と語り、われわれを案内してくれた。日本風に、うら淋しく棺のみがぽつりとおかれ、そのなかに君は居た。」宋教仁が「陳天華絶命書」に附した跋文より。訳は島田虔次『中国革命の先駆者たち』(筑摩叢書)所収の「ある革命家の遺書」を使用した。

 

 到底行けまいと諦めていたが、思いがけず夫が外出してくれたので、こそこそっと超特急で行ってきた。

 土曜の11時前の公園は、平日の昼休みとは全く違った。人は、あっちに一人、こっちに一人。あとは小さな女の子を連れた男性が一人。

 その誰からも離れたところに立って、まず星台先生の「大地沈淪……」を日本語読みで唱える。そして御心経。恥ずかしながら諳んじていないので、本を見て読んだ。処々つっかえたので、もう一度読む。続いていつもの普門品偈を。そしてもう一度「大地沈淪幾百秋……」と。

 滞在時間五分ほど。寂しかった。本当はここで集会でも開きたいところだ。

 足音がすぐ近くに迫ってきたので、ずいぶん不躾な人がいるなと思って目を開けると、いたのはドバトだった。

 

 あとはとっとと帰り、何もなかったように取り繕う。夫は異族の鬼神とかかわることを忌む。論語にもあるし、そうでなくても当然のことなので、わたしとしても逆らう気はない。陳氏には養子がいるようだから、祀りが絶えて飢えることもないだろうし。

 それでも、今日くらいは彼のために泣いてあげたいじゃないか。だから、祀るんでなしに、供物もなしに、ちょこっとお経だけあげたいのさ。

 

 

12月9日(日)

 今日は千歳村から全く出なかった。午前中、近所で買い出しし、昼前から公園へ。

 

 紅葉は今が盛りだった。モミジが不思議なほど赤い。空の濃い青にイチョウの黄色が映えていた。落ち葉を踏む音が楽しかった。

 

 にっこにこで帰宅し、遅い昼食をとってから窓外を見ると、なんだか暗くなっている。曇ったのかと思ってベランダに出ると、雲はひとつもない。

日が没したのだ。まだ3時半にもならないのに。

 

 去年の冬は、このベランダから富士が見えた。隣の団地の建て替えで、更地になった短期間限定の眺望と、分かってはいた。けれど、4階建てを壊して新たに建った7階建てで、富士どころかお日様まで奪われるとは。

 築30年を越すこの共同住宅は、日当たりだけが取り柄だ。晴れればサンルームのようで、暖房なしでも暑いくらいになる。なのにね。

 事前の説明会で闘ってくれた人がいて、いくらか削らせたそうだが、それでも3時までの陽か。冬至まで十日あまりあるから、もう少し悪くなるだろう。

 所詮ここは仮の住まい。すぐ出るつもりで17年になってしまったが、そろそろ本当に転居したい。

 

 建て替えの相談も全然進まないしね。

 

 

12月10日(月)

 昼、いつものように留学生会館の前を通る。102年前の今日は、まだここに留学生たちがぎっしりと詰めかけていただろう。

 2007年の今日は、近隣の勤め人が五、六人、寒そうに腕組みして、お弁当売りの車に並んでいるだけだ。

 5分ほど歩いて東新訳社へ。公園はいつもの昼休み。鳩が歩き、隅のベンチでは制服を着た若い女性が一人でお弁当を食べている。

 本当にこの辺に彼が住んでいたのかと思うと、不思議な気がした。

 

 

12月12日(水)

 昔の人は科学的な知識がなく、なんでも狐狸妖怪や神霊に関連づけたりして、おとぎ話の世界に生きている……なんて、ゆめゆめ考えてはいけないと、この頃つくづく思う。

 あからさまに言うと不都合なことを伝承する際に、本質だけ抽出して外形は変形して、寓意というよりは暗号に近い形、分かる人にだけ分かればいいという形で、保存することが多いのではないか。

 例えば、不幸なかたちで受胎した子を「神の子」にするというのは、どこぞの大工の息子さんに限らず、広く世界中でされてきたこと。

 

 今、隋代に書かれた本を読んでいるのだが、ここで睡眠について説明して、「睡」は心がねむっている状態、「眠」は四肢がだらりとする状態だとしている。これって、レム睡眠とかノンレム睡眠とかという話ではないのか? そんなことを6世紀に気づいていたのか?

 

 もう一つ。

 古代インドの世界観というか宇宙観の話。この世界は地理的にどういう構造になっているか。いかにもインド的に途方もない規模の話なので、ごく簡単にかいつまんでみる。

 まず、真ん中に須弥山というとんでもなく巨大な山がある。その周り、東西南北に一つずつ、大陸がある。それぞれ名前があるが、面倒なので省く。

 我々人間の住んでいるのはそのうちの南の大陸で、南えんぶだい(漢字は面倒なので失礼)といい、三角形で周りは海で、北に雪の山がある……って、それはインド亜大陸そのものではないか。

 天体は須弥山の周りを回っていて、太陽が須弥山の北にあるときは北の大陸が昼で南えんぶだいは夜、東の大陸は夜明けで、西の大陸は夕方。

 ということは、東の大陸は東アジアで、西の大陸は西アジアや欧州、北は中央アジアやロシアかと思ったが昼夜が逆ということは地球の裏側、アメリカ大陸かもしれない?

 インド以外に世界があることはもちろん、地球が丸くて裏側にも世界があるということも、知っていたのではないだろうか。何千年も前から、陸路海路で交易は行われていた。物を運ぶのは人だから、当然いろいろな情報も入っていたはず。

 水平線や地平線を見れば、地球が丸いっていうのも分かるはずだし。

 

 日本でも人の世のことを「えんぶだい」というけれど、本当は日本はえんぶだいではないのかもね。

 

 

12月13日(木)

 南京事件70年。

 

秋葉原にプリンターのインクを買いに行った。

 隣のカウンターでは、おじいさんが三十くらいの店員となにやらかけあっていた。どうやら、プリンターを買ったものの、うまく印刷できないらしい。「年賀状だから急ぐんだよ」と、苛立った様子だ。「○○はやってみましたか」「それは何だ」「説明書はご覧になりましたか」「それが無いんだよ。持ってきた人が、箱と一緒に持って行ってしまったらしくて」

 聞くともなく聞きながら、カードを出してお金払っておつりを受け取る。隣ではまだ続いている。「お教えすることはできます。お教えしますが……お客様のOSは何ですか」「オーエス?」「ウィンドウズのXPとか」「そういう詳しいことは分からない」

 こりゃ大変だと思いながら店を出ようとすると、店員に呼び止められた。隣の会話と、おつりを財布にしまうのとで頭がいっぱいで、買った品物を受け取っていなかった。

 恥かいた……。間抜けの実在は家庭内では証明済みで、お咎めなしとなっているが、外でよそ様に対してやらかすと恥ずかしい。

 

 それにしても大変だ。あのおじいさんが今後もあの店で買い物するかどうかは、店員氏の対応如何にかかっている。がんばれよ。

だいたい、売るほうも悪いのだ。広告宣伝では、誰でも簡単! みたいに謳っているが、本当のところ、そうでもないでしょう。

わたしだって、使えているのかいないのか。コンピューター関係だけでなく、簡単な家電だって、触ったことのないボタンや、使ったことのない機能は、結構ある。

かつてトモフスキーこと大木知之氏が切々と歌っていたな。宅録用のすごい機械を新調したときだったと思うけど、「トリセツが もう少し 薄くなったらー」と。

相当苦労したみたい。でも、それだけで1曲できたのだから、よしとするか?

 

 

12月28日(金)

 エレカシの新曲、「涙のテロリスト」改メ「笑顔の未来へ」入手!

 よい意味でポップだ。TVで流れているのは、あまりにもちょこっとなので、まるで変な人みたいでいやだけれど、曲自体がいいから、売れないかしら。

 「涙のテロリストは 手に負えないね」……意味が違うと分かっていても、反応してしまう。「テロリスト」の語には弱い。

 

 だけど、チケットが来ない。年明け6日のZEPP。いつものとおりファンクラブで買ったもの。ほかの人には21日は届いたそうだが、まだ来ない。

 連休中我慢して、25日にFCに電話。「先週末に発送したので、今日明日には。もし28日までに届かなかったら、また連絡ください」とのことだが、電話は通じなくなるのでメールでと。一応興行元にも確認すると言ってくれたし、興行元の電話番号も教えてくれた。

 でも、26日にも来ない。で、27日夜にディスクガレージに電話すると、20日に発送済みで、ヤマト運輸で持っているとのこと。至急送るように、ヤマトに手配しくれると。

 あぶないところだった。ディスクガレージは28日19時に業務終了とのことで、28日まで待ったら厄介だった。

 この電話の切り際になって、住所が違っていたと言われた。番地の数字がちょっと違っていたらしい。なるほどそれが原因か。

 だとしたら、アホだ。こちらの電話は分かっているのだから、ヤマトから家に確認してくれればいいし、電話して留守だったらディスクガレージに確認するべきだし、ディスクガレージからFCに訊けば正しい住所にたどり着けたはず。

 だいたい、わたしが書き間違うわけはないから、ディスクガレージのミスだろう。

 

 しっかりしてください。行けなかったら泣いちゃうよ。

 ともあれ、本日なんとか手に入った。これですごい番号だったら笑ってしまうが、500番台という半端な番号。そんなものか。

 スタンディングの場合は番号にかかわらずゆっくり行って後ろに陣取ることにしているので、どうでもいいのだけれど。

 

 今日、千葉のかつぎ屋のおばちゃんを見た。何年ぶりだろう。かつてはよく見かけたし、数年前まで水道橋の駅前でお店を開いていた。

 でもずっと見なかったから、もう絶滅したのかと思っていた。

 それが今日は二人も見た。それも二人連れではなく、二人がばったり会ったもの。一人がもう一人を見つけてつっついて、「あっらー」と笑って、それから車中でずっと喋っていた。元気なおばあさんたち。いつも思うのだけど、あの荷物は何キロぐらいあるのだろう。わたしなんかでは、持てないのではなかろうか。