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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2007年10月 7日 9日 10日 13日 25日 30日

 

10月2日(火)

 『朝日新聞』の東アジア近代史の企画記事、今月は昨日と今日とで「辛亥革命と民衆運動」とのことだった。

 辛亥についての昨日の記事は、期待していただけに少々拍子抜けした。宮崎寅蔵と宇都宮太郎と、その2件だけ。

宮崎については特になんということもないが、宇都宮の陰謀はおもしろかった。中国は満人の国と漢人の国とに分裂するであろうから、その上で両方いただいてしまおうと。そのため、分裂を促進するために革命軍に人を送り込んでいる。宇都宮の一存でとのこと。

 それはいいのだけれど、もっと辛亥革命自体の意義(アジア初の共和国)を強調してほしかった。何より、中国自身のことが薄い。日本から見るのだというにしても、これではちょっと弱すぎないか。中国人が中国で起した中国の革命なのだから。

 そして今日は、三・一と五四と吉野作造。

三・一の前、二月八日に東京で留学生たちが行動を起こしているとか。三・一はそれを受けての運動だそうだ。その二月八日の記念碑が水道橋の韓国YMCAにあるとのこと。

 水道橋といわれては黙っていられない。そんなものあったっけと地図を開いて、ああ、そういえば女坂の下にハングルの書かれたYMCAがあったなと思い出す。そこなら時々前を通る。昼の散歩で力が余っているとき、無意味に女坂を下りて男坂を上る。その女坂の下を男坂に向けて曲がったところにYMCAはあるが、碑など全く気づかなかった。

 で、お昼に行ってみた。今日はいつもと逆に、男坂を下りて行った(これで分かったが、男坂73段の一気上りは息が切れて楽しいけれど、下りるのはかなり恐い)。

 碑はすぐに分かった。通りから引っ込んではいるが、大きくでんとそびえているので、今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。その大きさに、韓国の人たちの思い入れの強さを見た気がする。

 記事によれば、二月八日の集会の会場は「神田」にあったが、震災で焼けたために今の場所に再建されたとのこと。「神田」といっても広い。今の猿楽町も神田の内だ。記者さんのいうのは神田駅に近い辺りのことなのか。よく分からない。

 ともかく、残念ながら今のこの場所ではないにせよ、神田であることには違いないようだ。

 清国留学生会館からも星台先生の東新訳社も、ここからはほんの目と鼻の先だ。こんなところに韓国の留学生運動の記念碑があるとは興深い。

たぶんただの偶然ではなく、神田が学生街だからなのだけど。

 

 

10月7日(日)

 今朝は冷えた。電線にふくら雀がいた。


 そういえば、星台先生ん家からすぐそこ、100メートルくらい先に、「周恩来ここに学ぶ」という碑がある。わたしがうろつく昼休みには、決まって人がうじゃうじゃいるので、近寄れないでいるけれど。

 周恩来なら碑が建つのか。東新訳社も留学生会館も、まったく何にもないのに。


 どんなもんだろう。

のど自慢で鐘が一つしかもらえないとして、ほんの一声発しただけでカーンとくるのと、「東京の空」や「遁生」のような十数分にもなる大曲を精一杯歌い終わったところでカーンというのと、どっちがこたえるだろうか。 


 ニルヴァーナのあのアンプラグドのDVDが発売されるとのこと。11月21日って、エレカシの新曲と同じ日ではないか。いっぺんに済むのはありがたい。

 

 ことばが好きなので洋楽は聴かないのだが、ニルヴァーナは例外だ。文句なしにかっこいい。詞を見ると厳しいけれど、それも含めてのものだから。

 でなきゃ意味ない。カートは意味があって歌っているのだ。

難儀な生を送った人。音はむちゃくちゃかっこいいけど、声は切ない。汚く歌っても、やっぱり切ない。


 ここのところずっとの体調不良と、一昨日始まった金木犀の香りと、さっき食べたアイスクリームのラムレーズンがきつかったのと、三つ合わさって頭が細切れになっている……。

 

 

 

10月9日(火)

 何だか知らないが、昨日のお昼ごろから、左目の下まぶたがぴくぴくする。昼寝すれば治るかと思ったが、変わらず。夜寝て朝起きても、依然としてぴくぴく。ずっとじゃないけど、ときどきぴくぴく。気になってならない。

 夫は「ただの霊障だから気にするな」と言うが、そんなこと言われるとなおのこと気になる。


 木曜日だったか、昼休み、いつものとおり暢気に外堀通りを歩いていると、小石川橋の交差点附近にペカペカと警察車輌が何台も停まっているのが見えた。近づいて行くと、交差点の道端にバイク便のバイクが横倒しになっていて、ハンドルが片一方なかった。その先には警官が数人いて、前がへこんだ乗用車があった。たぶんけが人は運ばれた後で、後片付けをしているところだったのだろう。

 都会人の常で、ちょろっと横目に見る程度で、さほど歩調も緩めずに通り過ぎたが、それから気になって道々見ていると、わずか10分ほどの間に同じ会社のバイク便を2台も見た。それぞれ全然違う車だ。彼らはバイク便の社員ではなく個人事業者だと聞くから、車も自分の物なのだろう。

 となると、事故に遭った人はどうなるのだろう。どんな事故だったのか分からないが、ハンドルがもげているのだから、人も無傷ではすまないだろう。乗用車とどちらが悪いのか知らないけれど、乗用車とバイクとの間だけで話はすまされるのだろうか。仕事ができなくなってしまったら、誰か補償してくれるのだろうか。バイク便の会社は、全然関係ないなんてことがあるのか。

 

 考えてみると、オートバイというのはおっかない乗り物だ。生身のままで、自動車と交じって、あんな速さで走っているのだから。

 保護しなければ。戦隊もののように謎の強化服を着るか、仮面ライダーみたいに人間自体を改造するか。

 要するに鎧兜で武装する。今は兜はかぶっているけれど、鎧はつけていないもの。

 

 

 

10月10日(水)

 古田は最後のウィニングボールもスタンドに放ってしまった。そういう人なんだ。

 「また会いましょう」と言ってくれた。わたしは神宮に行ったことのない薄いファンだけど、信じて待っていましょう。


双十節。すなわち、辛亥革命勃発から今日で96年ということ。

 もちろん96年前の今日は、まだこれが何なんだか、革命何だか、ただの局所的な叛乱なんだか、訳がわからなかったはず。

 まさに宮本が歌うとおり、「革命も一瞬の積み重ね」であって、一瞬一瞬の判断や選択や逡巡や行動や、何やかやが積み重なって、だんだん「革命」になっていったわけです。そうですよね、遯初君。

 その、ぐちゃぐちゃに絡まった一瞬一瞬を解きほぐして意味を解いていくのが研究者のお仕事なのでしょう。

 

けれど、わたしは一介のおばさんだ。頭悪いのだから大概にしろと常々戒められているし、おとなしくしています。

 

 なにより、今は眠い。ただただ眠い。寝てないんだ。眠らせて。

 

 

 

●10月13日(土)

 楊コ鄰先生、没後94年。

 1913年の今日、楊性恂先生が銃殺された。この日、長沙は豪雨だった。

 

 篤生と最後に会ったのはいつだったのだろう。立場を異にしていたとはいえ、別に仲が悪かった様子は見られない。篤生の渡英の際には頭痛薬を持たせているし、その後も文通していた。

 お薬は、直接会って渡したのだろうか。それとも送るか誰かに託すかしたのだろうか。いずれにせよ、病気のことは知っていたわけで、まめに連絡はとっていたのだろう。

 立憲派の楊コ鄰と。 


 ヤクルトの監督、高田さんなら大歓迎だ。この人なら若い子たちも抑えられるだろうし、何より「V9戦士」だから、古田が言っても戦力補強してくれなかったオーナーも、ちゃんと動いてくれるだろう。

 

 

 

10月25日(木)

 かぐやに続いて嫦娥が月へ向かったとか。かぐやは月へ帰ったのだけれど、嫦娥はこれから月へ行くわけだ。いずれももう地球とはさよならで、月で寿命を終えるそうだ。月面に落ちるか、永遠に月の周りを回り続けるか、どちらか分からないけれど。


久しぶりに神保町へ行くと、通りに棚を組んでいた。古本まつりが近いのかなと思ったら、明日からだった。明日はちょっと来られないと残念に思ったけれど、明日は雨が降るのではないか。気の毒な。

 古本まつりは混雑するからあまり行かないのだけれど、去年は意外な掘り出し物を得た。

 でもやっぱり明日は行かない。明後日も雨だし、たぶん行かない。来週なら行けるかな。

 

 いつものぞく店を一通りのぞいた。遯初君の日記がずっと店晒しにされている店へ行くと、店内は何かさっぱりしていて、遯初君の日記はなくなっていた。売れたのか。あるいは古本まつり用に持ち出されたのか。

 どちらでもよいから、誰か買ってあげて。でないと、かわいそうだ。

 

マル・エン全集がバラで出ていた。1冊500円。揃いならともかく、バラで買う人いるのかしら。めぼしいところだけというなら、文庫を探したほうがいいだろうに。

そしてやっぱり、わたしの探す「この1冊」はない。山本に上巻だけあったけれど、恐くて値段は見なかった。定価だとばか高いので古書で探しているのだが、なかなか出ない。未だ、見たことがない。

その代わりに、「ずうっと探していたけれど、事情が変わって買うのをやめた本」が、ひょっこり現れたりする。探しているときには、全然なかったのに。嫌がらせか? 気になったけれど、ひとまず見送る。積ん読になる公算が大だから。

 

 

10月30日(火)

 昨日、市ヶ谷のお濠にキンクロがたくさんいるのを電車から見た。こりゃいかんと思ったが、昨日は障りがあって不忍池には行けなかった。

 で、今日行ってきた。

 もちろんその前に天神様へ。もうすぐ菊まつりで、すでに飾られていた。そろそろシーズンなので、お詣りするのに少し待った。夫の調子がひどく悪いので、念入りにお詣りする。

 

 池はにぎやかだった。オナガの奥さんだかお嬢さんだかがたくさん歩いている。餌を撒く「カモおじさん」の周りはえらい騒ぎだ。雄が少ないと思ったら、雄に似ているが色の今ひとつはっきりしないのが幾羽もいる。若い雄なのかもしれない。そうなると、色のはっきりとした雄が「よか男ぶり」に見えてくる。わたしは鴨ではないのだけれど。

 

 あとはキンクロとホシハジロ。ハシビロらしいのも数羽いたが、これも色が今ひとつはっきりしない。

 ユリカモメも来ていた。ドバトとユリカモメとオナガガモとが入り乱れて、「カモおじさん」の周りに群がっている。

 

 いい季節になってきた。

 なのにわたしはまだ、ブラウス一枚で汗だくになって歩いている。ツイードのコートを着て、もこもこのショールにくるまっている人もいるのに。

 

 

 

 

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