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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2007年9月  12日 14日 16日 18日 20日 30日

 

●9月7日(金)

 宮本、かっこいいよ。

 5月の野音の映像を昨夜TVKでやっとやってくれた。当日カメラがちょろちょろしていて、ライヴの直後に音楽番組のトピックのコーナーで一瞬だけ、ガストの「ポンニチ人は平安時代から外国が大好きなんだよ!」とわめいた箇所が流れたので、TVKが持っているのかと思い、いつ放映されるのかと待ち続けていた。まさかこんなに待つとは思わなかったが、遅くてもいいさ、見せてくれさえすれば。

 昨夜は3曲。「俺たちの明日」「悲しみの果て」「愛の日々」。会場でも感じたが、改めて宮本の声の美しさに驚いた。たばこを控えているとのことで、それもよいのだろう。

 かっこいいよ。たまらんわ。キューキュー鳴いていたら、隣で夫もうなっている。

 

 あの「悲しみの果て」は絶品だ。96年のチッタに次ぐか。

 そして「愛の日々」。「俺はまるで何もわかっちゃないだろう 明日のこともてんで知りゃしないだろう」の箇所、大好きなんだ。たまらんわ。

 それにしても、改めて思う。石くん変だ。なぜ山蟻になってしまったのか。あのスキンヘッド、サングラス、がに股の姿は、どうしても内田百閨u山東京伝」の山蟻を思わせる。どうして? と言われると説明できぬが、連想されてならない。丸薬を盗みに来たの?

 

昨夜の放送は左辺と下辺が台風情報にとられていて、画面が小さかった。文字が流れるから気も散るし。2時間ほど後に小田原に上陸したとのことだから、しかたないけれど。

放送はあと2回。ということは全部で9曲くらいか。11月に出るシングルの初回限定おまけDVDに3曲。全部で12曲? でもダブる可能性もあるし。

 ケチなこと言わずに、売ってほしいわ。CDでもDVDでもいいから。

 エレカシは絶対ライヴのほうがいいのだから。

 

 

 

9月12日(水)

先週、二人で神保町へ行き、夫の欲しがっていた新書版の谷崎潤一郎全集を購入。二人がかりで提げて帰ってきた。電車の中で一冊手にとると「玄奘三蔵」があったので、冒頭の数ページを読んでみた。わたしが谷崎を読むのは、初めてに近い。

 描かれていたのは、一人で異郷を歩く玄奘の姿。わたしは『大唐西域記』をまだ読んでいない(数年前に立てた遠大な読書計画には入っているが、計画自体が頓挫したまま)が、こんな感じだったのかもしれないなと思った。それがどうして、犬猿雉を連れていったことになったのやら。

 そう思ってから驚いた。玄奘のお供は犬猿雉ではない。でも一たびそう思ってしまうと、本当にそうだったような気がして、鉢巻を締めた玄奘の姿まで浮かんで、ちょっと困った。

 夫に言うと、ただ呆れられただけだったが。

 

 昨夜、TVのニュースを背中で聞いていて、「社保庁」が一瞬「さごじょう」と聞こえた。

 そこから連想して、「沙悟浄はきびだんごをもらったのかなぁ」と言ったら、お茶を飲んでいた夫をえらく苦しめてしまった。ばかなイメージを定着させてはいけないと。

 

三蔵法師は天竺へお経をとりに行きました。

 天竺がインドを指すのはわかるが、「お経」とは何か、「とりに」とはどういうことか。わたしはぼんやりした子どもだったので、そんなことは疑問に思わなかった。西遊記の勘どころは石猿の天界での大暴れと、その後の長い旅路とにあるのであって、天竺に着いてしまえばめでたしめでたし。その後のことなどどうでもよかった。確かお釈迦様にうんとほめられて、ごほうびか何かもらって、おしまいではなかっただろうか。

 現実の玄奘三蔵は、もちろんそうではない。彼は唯識を学びにインドへ渡り、ナーランダ僧院で学び、お経を山ほど持って唐へ帰り、中国法相宗を立てるとともに、持ち帰ったお経の漢訳に努めた。

 唯識は中国へは6世紀くらいには伝わっていた。けれども唯識はヴァスバンドゥの後にいくつかの系統に分かれていて、その対立が中国にも持ち込まれてしまい混乱していた。その混乱に決着をつけたのが、インド帰りの玄奘だそうだ。

 つまり玄奘は、本当の唯識を知りたいと思い立ったのか。とにかく自分で現地に行ってみて、本場で学んでみたいと願ったのだろう。それであんなとんでもなく困難な大旅行を企てたのか。

 ちなみに、玄奘は山ほどお経を訳しているが、中国仏教の世界では、玄奘以前の漢訳経典を「旧訳くやく」、玄奘以後を「新訳」というそうだ。ということは、玄奘は漢訳で読んでいたお経を変だと思い、自分で訳し直したということだ。

 

やっぱりすごい人だと思う。それが何故、西遊記のあんな姿になったのやら。わたしの三蔵像で最も強いのは、困ったことに手塚治虫の「悟空の大冒険」だ。岩波少年文庫版も全部読んだが、やはりTVアニメのほうが印象が強い。今の若い人だと、三蔵は女だと思っているかも。

 とんでもない。彼は並外れて精力的で意欲にあふれた青年だ。

 

 それが何ゆえ、犬猿雉をお供にしたことになったのやら。

 

 

 

9月14日(金)

 月探査衛星かぐや、打ち上げ成功! 本当は先月のはずだったのに、延期になったので心配していたが、順調のようでよかった。

 去年、天文部の同期が集まったとき、A君が「こんどのロケットを使う」というようなことを言ったので、ロケットには造って飛ばす人だけでなく、それを使う人もいるのかと驚いた。

 彼はずっと月の研究をしている。月の地震についてやっている、月にも地震があるんだ、と聞いたのは、学生のときだったのじゃないかな。日本が月探査機を打ち上げるときには、それに関わるという話も、ずいぶん前に聞いた。そのときは、日本が月探査機なんて、そんなことあるのだろうかと、失礼ながら半信半疑だった。

 でも本当に実現したんだね。

 もちろん、まだ、言ってみれば犬猿雉を天竺に派遣した段階であって、かぐや姫がもたらすデータを読む?のが彼の仕事なのだから、これからが大変なのだろうけれど。

 いいな、意味のある仕事で。

 

 月探査はUSAのアポロ計画以来だそうだけれど、この後、中国が「嫦娥」を打ち上げるとか。

 「かぐや」に「嫦娥」か。すごい名まえだ。

 

 

 

●9月16日(日)

 暑い。空が真夏だ。さすがに日が落ちれば風が涼しいが、日中は夏だ。厳しい。

 けれども今日はセミが鳴かない。昨日はツクツクがツクツクしていたと思うけれど。

 

 9月16日はいわゆる甘粕事件の起きた日。9月は1日に震災。直後から虐殺事件で、千歳村でも3人殺してしまい、蘆花徳冨健次郎を悲憤させている。4日に亀戸事件。そして16日に甘粕事件と。人がいっぱい死んでいる。殺されている。

 

 震災後、これは欧州大戦後の大正モダニズムの浮薄な社会に対する天罰だという論があったそうで、柳田国男がこれに猛烈に反論している。亡くなった人たちの大半はつましく暮らす勤労者たちであり、浮薄な成金連中ではない。なぜ、金持ちに教訓を与えるために、真面目な貧者が命を落とさねばならないのか。貧者の命は金持ちのためにあるのではない……という主旨だったと思う。

 至極もっともなことで、柳田が健全な精神の持ち主だったことを示していると思う。

 

 明後日は九・一八。戦争の始まった日。

 この日は蘆花さんの命日でもある。千歳村では墓前祭があるはず。毎年ファンが集まるそうだが、わたしは行ったことがない。

 

 

 一昨日、AXのチケットが来た。200番台後半。スタンディングのときは、番号に関係なく遅く行って、後ろでおとなしくすることにしているから、どうでもいいのだけれど、この番号というのはクジ運はいいのか悪いのか。決してよくはないけれど、大きなハコだから、まずまずというところか。

 遅く行って後ろでおとなしく、と思っても、きっとまた、後ろのほうで暴れることになるのだろうな。

 2週間切った。早く会いたい。

 

 

9月18日(火)

九・一八だからって、九・一八のことばかり書かなくてはいけないということもないでしょう。

今朝、虹を見た。5時半ごろ人声がしたので外を見ると、二重の虹が出ていた。雨が降ったとも思えないので、不思議なことだ。虹を見たのは何年ぶりだろう。

 吉兆か、凶兆か。政治が乱れているから凶兆だと夫は言う。こんなにきれいなのに、不吉なことなどあるのだろうか。と思ってTVをつけると、東北の水害のニュース。そしてまた巨大台風も。天地の乱れと政治の乱れとは直結していて、ひっくるめて天子の責任なのだけれど、さてさて。

 

 東京MXという謎のローカル局で放映していた『あしたのジョー2』が昨日で終った。毎週見ていたのだけれど、終わりが近づくにつれて胸苦しくなっていた。ホセとの試合が始まってからは、目をむいて見入っている夫を横目に、立ったり座ったり、隣の部屋まで逃げてまた戻ってみたり。幼児が恐い番組を見ているようだった。そういえば小さいとき、『ウルトラQ』を柱の陰から見ていたが、それと大差ない。

 昨日の最終回はさすがに逃げずに見ようと思ったが、やはり恐くて見ていられない。夫は相変わらず、K1を見るときと同じ、異常な目をして歯を食いしばっている。タイ映画の『マッハ』も同じ目をしていた。わたしはだめだ。格闘技で見られるのはお相撲だけ。恐いのはいや。アニメーションでもだめ。

 

 それでもがんばって座っていたけれど、途中から涙でどうしようもなくなった。わかりきっていることなのに、衝撃が思いのほか深く入ってしまい、一夜経った今もまだ動揺している。涙がこぼれそうになる。

 

 ジョーについては何万人もの人が語っているだろうから、わたしは何も言わない。ただ、彼は与えられた条件の中で最も美しく最も貴い生き方をしたのだから、宮本が歌う如く「男の生涯にとつて、死に様こそが生き様」なのであれば、あれはあれで幸せだったのだろうなと、それだけ。

 

 ところで、ちょっと気がついたのだが。

 ジョーは英語風に書くとJoe。これはJosephで、すなわちヨセフであり、スペイン語ではホセになる。

 わあ、おんなじ名まえだ。

 ホセはジョーを「ジョー・ヤブキ」と呼んでいたけれど、メキシコの人はホセ対ホセと言ったのではないかしら。

 これは梶原一騎が仕組んだことなのか。それとも単なる偶然か。偶然だとちょっと恐い。

 わたしが知らなかっただけで、ファンの人たちなら誰でも知っていることなのかな。

 どんなものでしょう。ちょっと気になる。

 

二重の虹(撮影:晴海景介)

 

 

 

9月20日(木)〜ニルヴァーナのベスト盤を聴きながら

岩波文庫版の『左伝』が出ていたので購入。これで何組目だろう。とにかく買えるときに買っておけとの指令が出ている。分解して組み直せば、各国史が編めるから。ということは、12組要るのか?

 

 ついでに『聊斎志異』も買った。篤生に笑われた気がしたが、なんの、彼だって受験勉強の合間にこっそり読んでいたのではないかしら。

 これを読むと、「秀才」には枕詞みたいに「貧乏」がつく。もちろん、それでなければ物語にならないからで、実際には何不自由ない御大尽の子弟も多かっただろう。けれども家がそんなに豊かでない場合、秀才というだけでは官途に就けぬから、家庭教師や塾教師で糊口を凌ぐこととなる。星台先生の父の宝卿公や、楊昌済先生がそうだったように。

そういう「貧乏秀才」は少なくなかったのだろう。義和団に参じた「下等社会」民には、塾教師のような下層の読書人もまじっている。その中には魯迅の描く孔乙己のように秀才にすらなれなかった者だけでなく、いつまで経ってもうだつのあがらぬ落第秀才もあっただろう。

そういう貧乏秀才のもとに謎の美女が通ってきて、彼女のおかげやすったもんだがあって、やがて彼は郷試に受かり、さらに進士になって成功する。裸にするとそんな話が多い。このときの美女の正体は、幽霊か狐と決まっている。

さて、幽霊や狐とは何でしょう。死霊や畜生なのでしょうか。それにしてはいやに生々しい。肉体を得て蘇ってしまう幽霊さえ、幾人もいる。

定石どおりに見ると、いわゆる埒外の存在だろう。女は科挙体制から弾かれているから、それだけで埒外ともいえる。そういう埒外の人間が、落第秀才という半ば埒の外に出かかった人に助力しての成功譚。それでめでたく出世した男の奥様にでも納まれればよいけれど、悲しいかな、姿を消してしまう人も多いようで、ままにならぬものだ。

蒲松齢自身が落第秀才だった。十代で首席で秀才になったものの、それから三十年にわたって郷試を受け続けたが、どうしても受からなかった。おまけに、おとなしい人だったために兄弟に財産を奪われたとか。家塾教師などで生活を立てながら、受験勉強の合間に書き綴ったのが『聊斎志異』だそうだ。採集した民譚だが、文章化する過程で蒲自身のものとなっているはずだから、半ばは創作といってもよいのかもしれない。

 落第秀才の夢と怨念の書か? 当時の読書人には、おもしろいお話、格好の暇つぶしの書として歓迎されたそうだけれど。

 

 

 古田の会見は涙ものだった。あれほどの人が、下らぬ連中に泣かされてしまうとは。

 選手たちとうまくいっていないという噂は、前々から聞いていた。彼の全盛期のすごさを知らぬ若い連中が、なめてしまって言うことを聞かないとか。

 正直いって、監督になるのが早すぎた。若すぎた。どこかでコーチの経験でも積んでからのほうがよかった。

 でも辞め時を誤らなかったのはさすがだ。惜しまれるくらいで辞めておけば、次がある。フロントとの確執も噂されるが、オーナーから「またスワローズのユニフォームを着てほしい」とのことばを引き出せた。ぼろぼろになってから馘首されたのでは、次はなかっただろう。

 どこか他球団で、できれば楽天の野村さんの下で、コーチとして修業してから帰ってきてほしい。待っています。

 ところで、次は荒木大輔との噂が。来ましたね。彼はわたしの高校の同級生の、中学時代の同級生だそうだ。同い年の活躍は、訳もなくうれしい。

 

安倍君もねえ、さっさと辞めておけば次もあったでしょうに。こうなってしまっては、もう引退するしかないのでは?

 

 

 

9月30日(日)

 一昨日の酷暑はなんだったんだという、きのう今日の寒さ。それでも昨夜は汗だくになり、七分袖のTシャツ一枚で暴れていた。帰りもそのまま、風に吹かれて帰ってきてしまったが、風邪もひかず未だに興奮している。

 そのエレファントカシマシ渋谷AX。エレカシデータベースへの投稿文をそのまま転載します。いいライヴだった。すごかった。

 

バスで来たので旧渋公の前を通ってきた。変わり果てた紫色の姿に悲しみを覚えた。初めてライヴで「覚醒」を聴いたのは、たぶん渋公だった。「覚醒」は痛みを伴う曲だ。わたし自身、「理解を超えた本」にぴぃぴぃ言っている日々。そしてわたしの大好きな人は留学先で、中年を過ぎて学ぶことの困難を嘆いていたが、38歳で命を絶ってしまった(96年前の事件だけど)。その人を思って涙ぐんでいたら、歌い終わって宮本は、「35から7くらいまではこう思っていたけれど、それを過ぎると、やっていけるような気がしてくる」という意味のことを言ってくれた。それでまた、そこを乗り越えられなかった彼のために泣いてしまった。

この曲の途中と後と、たぶん2回、宮本は「聞いてくれてありがとう」と言ってくれた。曲中では石くんに対して言ったのかと思ったが、2回目でわたしたちに向けて言ってくれたのだと確信した。

 

「笑顔の未来へ」はラブソングは仮の姿なんだと思った。宮本が愛しているのは特定の一人の女性ではなく、わたしたち全員なんだと勝手に思った。こういう妄想はファンの特権ですね。

 

アンコールの「傷だらけの夜明け」では、宮本ひとりだけが現れて、エレキギターの弾き語りだった。正直わたしはこの曲は気恥ずかしくて、あまり聴いていなかった。今回はじめてじっくり聴き、曲の美しさに感じ入るとともに、なにより歌詞に驚いた。「多分幾世代にも亘る長い人の歴史の そのまた果てに佇むぼくら」。個人を歴史的存在として捉える視野の広大さに、改めて宮本の非凡さを思い知った。

曲が終わってメンバーが出てきたとき、宮本は「一人ぐらい手を振って出てくればいいのに。それもまたいいのかな。無骨なバンドです」というようなことを言っていた。その無骨さが好きです。

桜の新曲。桜の花が「舞い落ちる」ではなく「舞い上がる」と歌うところ、イメージが鮮明で、さすがに詩人だなと改めて思った。

最後の曲、「俺たちの明日」を聴きながら思った。これは十余年後の「星の降るような夜に」なのだ。若い頃は毎日のようにつるんでいたのが、それぞれ就職し家庭を持って、今では年に1、2回会うかどうか、ひょっとしたら年賀状つきあいになってしまっているかもしれない。わたし自身がそうであるように。それでも宮本がこの歌を歌い、かつての仲間がそれを聴くことで、確かに「俺たち」でいられるのだろう。

 

もう若くないのだから今回はおとなしく。と思いながら、やっぱり最初っからとばして汗だくになってしまった。きっと正月にも同じことを言っているのでしょうね。

 

以上。

「覚醒(オマエに言った)」宮本浩次

(略)

三十七なり。オレの青春は終わったけれど

明日もあさってもオレはやって行くから

 

ひとりでいるときには様々なことを考えようとしている

偉大な人たちの考えを辿った気になって

 

オレの部屋には理解を超えた本と

むなしい気分がつきまとってる

感じろ 思え おのれ自身のココロで そんなことをオマエに話した

 

タバコをふかしながら町を歩いた

失われてく情熱をオレは歩きながら感じた

(略)

汗さえ流れぬ町を行くオレ

天国でも地獄でもなき今を

三十七のオレが歩いていた そんなことをオマエに言った

 

 

 

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