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千歳村から 〜日記のようなもの      

6月1日(金)

 「努力を忘れた男の涙は汚い」

 

 「汚い」だもの。宮本さんはきつい。でも、こんなきついことを言うだけの資格が、宮本にはある。気魄の人だ。

 

 

 白鵬の横綱昇進は、わたしもうれしい。別に白鵬ファンではないけれど、あの竹葉山が横綱を作った! と思うと、うれしくてならない。

 竹葉山、大好きだったんだ。

 横綱吉葉山の弟子で福岡県浮羽町出身だから、師匠の名と出身地から筑葉山と名乗ったが、けがが多かったか何かで、竹葉山と変えたと聞く。

 小さな身体でよくがんばっていたけれど、正直いって十両どまりだと思っていた。でもちゃんと幕に上がってくれた。おみそれしました。

 小兵というと普通は業師だ。鷲羽山や舞の海のように、多彩な技を繰り出して、相手をごまかして勝ちを収める。舛田山が鷲羽は苦手だと言って、こんなことをこぼしていた。「出ればいない、待てば飛びこまれる。足はとばすわ、肩すかしはあるわ」と。同時期に活躍した弟弟子の港龍もそうで、ちょこまかよく動いて勝っていた。

 けれども竹葉山は違った。真っ正面から突っ込んでの、おっつけ、はず押し、これ一本だ。これだけでやっていけたのだから、これはこれで或る意味究極の業師かもしれない。彼は小さい身体で、気魄だけで取っていた。残念ながら見ていないのだが、十両時代の小錦を堂々寄り切ったことがあるそうだ。倍くらいの体格差だろうに。

 NHKが力士たちに「好きな言葉」を訊いたとき、「一生懸命」とか「努力」などと答える人が多い中、竹葉は「気魄」と答えていた。いかにも彼らしい。

 こんなこともあった。例によって突っ込んでいって、相手ともろともに土俵下に落ち、上がってきたら血まみれだった。鼻骨骨折で、その場所はそのまま休場。しかし結婚式があった関係で公傷は申請せず、翌場所も出場した。けれども、あんなけがの後で従前のような突貫相撲がとれるかどうか、危ぶむ声が多かった。ところが竹葉山は、何事もなかったかのように、以前どおりに猛然と突っ込んでいく。この人は人間じゃないと思った。

 しかし後で聞いたところでは、稽古を再開するときはやはり恐く、半べそかきながらだったそうだ。あの竹葉が半べそ? というより、やはり彼は人間だった。動物としての身体が避けたがるのを、意志の力で克服したのだ。

 

 竹葉山は引退後、部屋付きの親方として残った。その後、師匠の宮城野さん(元・広川)が急逝。ほかにいないので、竹葉が部屋を継承する。そして白鵬を見出したわけだ。

 ところが、北の湖の弟子で一門でも何でもない金親君が、亡くなった広川さんの娘と結婚。それで、宮城野の株も部屋も先代の遺族のものと判明。金親君が乗り込んできて宮城野親方となり、竹葉は追い出されそうになるが、手塩にかけた白鵬が順調に出世していたので、名跡をかえて部屋つき親方として残り、現在に至る。だから、白鵬の師匠は形式上は金親だが、実質は竹葉であることを、北の湖理事長も明言している。

 

 ちなみに金親君は北の湖が部屋を興した最初期の弟子だ。わたしは北の湖が大好きだったので、部屋の草創期に注意してみていた。こんな新弟子が入ってくるのか、と。だから金親も、つい「君」づけで呼びたくなる。

 

 竹葉が白鵬を拾ったのは、「若くて背が高かったから」だそうだ。自分が小さかったから、大きな力士を育てたかったのだろう。

 それが横綱にまでなったのだから、わたしも竹葉のためにうれしくてならない。不知火型とは不吉だが、確かに似合ってきれいだ。まだちょっとぎこちないけど、すぐに慣れるさ。

 

 だれかお祓いしてちょうだい。

 

 

6月4日(月)

 昨日の朝、所さんの番組でかたつむりを取り上げていた。サザエと同じ仲間だとかで、エスカルゴをサザエの殻に入れて、壺焼きだと言って通行人に食べさせ、だまして驚かしていた。サザエと同じ味なのだそうだ。

 かたつむりなら礼記に出てくる。塩辛にして、日常のごはんのおかずにするそうな。ただ、ごはんというのは米飯ではなく、「まこもの実」だそうだ。まこもって何? そんな物を食べるの? さすがに漢代の話で、後代には救荒食とされたようだけど。

 

 

 ちょっと探しものがあって、久しぶりに『宋教仁集』を端からめくってみている。インターナショナルのことを書いているものなど、今さらながらおもしろく思う。

 

 どうでもいいようなことだけれど、日本について書かれていると気になる。

 東海に浮かぶ四つの火山島で、とても自弁できないから、昔っから中国の文明や社会、国家制度の恩恵に浴し、中国を天国のように思ってきた。民族性は「島国根性」で、軽薄で利にさとく、武を尊ぶ。神功皇后以来、侵略戦争ばっかりやっている……。

 

 多分に民族的偏見が入ってないかい?

 

 そりゃこの国は、先日の野音で宮本浩次が口走ったように、昔っから外国が大好きさ。何かというとすぐ「外国では」と言い、それはすなわち中国のこと。菅公がハクシに戻す遣唐使、とかいいながら、御自身は文章を能くされて、とても留学経験がないとは思われなかったとか。清少納言が最新流行の白氏文集をこっそり勉強して、中宮に「香鑢峰の雪は」と言われてカラカラとすだれを巻き上げて見せたと、枕草子に誇らしげに書いているとか。平治の乱で殺された信西はたいへんな優れもので、来朝した唐僧(宋代だけど)と訳の分からぬ問答をして感心させたが、実は彼は機会があれば留学したいと望んで、中国語も朝鮮語も天竺語(?)も習得していたとか。そんな話はいっくらでも出てくる。だいたい近代になるまで、「詩」といえば漢詩のことだったのだから(その近代詩は西洋の影響が濃厚だ)。

 

 島国なのも、もちろん事実だ。自ら粟散辺土とも称している。印度から遠く離れた辺境の地で、仏様の縁が薄く、仏法を受け入れる能力も劣悪な人種で、だからこそ、我らを救うために仏様は心を砕いてくださると、まあそういうことなのだけれど。

 

 だけど、いい国だよ。気候が穏やかで海・山・里の作物にも恵まれ歌をはじめ濃やかで優しく繊細な文化を育んできた。支配者が変わっても、長いものにまかれていれば何とかなるところがあって。大飢饉や戦乱もないではないが、規模が違う。降兵40万人生き埋めとか、王朝交代の度に大殺戮、平時にあっても匪賊が来ては大殺戮、などという殺伐とした歴史はもっていない。

 近世まではね。

 

 

6月9日(土)

 ロックの日。夫は昼寝の夢でPANTAのコンサートに行ったそうだ。うらやましい。わたしはエレカシとNIRVANAとを続けて聴いていた。

 

 先週受けた健診の結果が出た。また貧血。学生時代に献血を断られて、役立たずと家族に言われて以来、この二字はつきまとう。赤血球が小さいし数も少ない。白血球まで少なかった年もある。水っぽいのか?

一回、正常値になった年に喜んで献血に行ったが、翌年はまたB所見。どうもいけない。

 微熱が続いて病院に行ったとき、まず結核を疑われて写真を撮ったら、立派な胸郭だと褒められ(?)、しまいに血液検査の結果を見て、若い医師は「なるへそ、なるへそ」と。貧血で血が薄いから、心臓がフル回転し、体温が上がるのだそうだ。

 

 食べ物に気をつけろと言われているけれど、妹も献血断られているし白血球も少ないそうだから、体質なのだろう。

 

 別に倒れたこともないし、今のところ生活に支障はないからいいけどね。

 

 

●6月11日(月)

カスタネッツ牧野元氏の同居猫、マルさんの訃報。急に弱ったとのことで、皆で心配していたのだけれど、こんなに早いとは。もう半月以上前のことだそうだ。

 仔猫のときからおじいさんになるまで、15年間の写真を並べたとか。15年は長い。

マルさんと出会ったとき、元ちゃんは25歳。いつ大学をやめたのか知らないが、日払いのバイトを転々としながら、確たる当てもないままに、それでも下北の雄として評価を高めていた頃だろうか。そして28歳でメジャーデビュー。セールスも動員も着々と増えていたから、ブレークしてチケットが取りにくくなる前にと思って、わたしはファンクラブに入ったのだった。けれどもアルバム4枚出したところで、バンドの内紛からドラマー脱退、無期限の「充電」に突入。約2年間の休止中に当然ながら契約は切れ、FCも解散した。それでもめでたく活動再開し、辛抱強く待ち続けたファンも少なからずいたけれど、その後も新ドラマーが加入したと思ったら結成以来のベーシストが失踪したり、難儀な道をたどっている。

 その間ずっと、マルさんがいたわけだ。ずっと、いたわけだ。「うちの猫が一番かわいい」と、ばか丸出しで笑っていた元ちゃん。何があっても、家に帰ればマルさんがいたんだ、今までは。

 これはきつい。避けられないことで、分かりきったことだけれど、それでもきつい。わたしは犬と別れて10年経つが、未だに新鮮に泣ける。老犬を見ただけでだめだ。

 

 でもね、きちんと送らないといけないよ。忘れろと言うのじゃない。思い出は思い出として抱きしめて、それは一生消えはしない。その上で、不在を受け入れなければ。でないと、あの世にも行けずこの世にもいられず迷ってしまう。きちんと送って、向こうに行ってもらうこと。そしてまた還ってきて、仔猫として誰かにかわいがってもらえるように。

その「誰か」は、元ちゃんかもしれないよ。

 

 

●6月15日(金)

 「6月15日」には今でも国会前に花を手向ける人がいるそうだ。

 遠い昔話、ではないよね。「お前正直な話率直に言って日本の現状をどう思う?」と宮本は問うが、わたしは何と答えよう。

 早い話、今月からの住民税、これは何? 人によっては倍ぐらいになっている。知り合いの会社の経理のおばさんが言っていた。「源泉税が下がるから変わらないっていうけど、絶対ウソ! わたし、変だと思って全員分の計算してみたら、ぜーんぶ上がってるの。失礼しちゃうわよねー」と。12人分全部計算するとは! 国民をなめてはいけません。衆の怒りは犯しがたい。

 

 TVのニュースをぼうっと見ていて、奇声をあげて夫に驚かれてしまった。伴義雄という人が、放火の疑いで逮捕されたとか。

 すごい名まえだ。千年経っても放火しているのか。

 伴大納言こと伴善男の応天門の変は866年のこと。正しくは「とものよしお」と読むのだけれど、普通は「ばん」と読むよね。

 伴大納言は大伴氏の裔らしいが、当時はぱっとしなかったから、彼が大納言にまでなったのは、成り上がりと言えるのか。宇治拾遺には、そんな感じに書いてある。

 で、左大臣の源信と覇を競う(もちろん源信は横川の恵心僧都ではなく、「みなもとのまこと」)。そこに応天門炎上という事件が起き、伴大納言は源信が犯人だと言い立てる。信は逮捕されそうになるが、藤原良房が真犯人は伴大納言だと主張。結局伴が流罪になり、大伴氏は完全に没落。これを機に藤原氏が基盤を強固にした……って、思いっきり生臭い陰謀事件だ。宇治拾遺には見てきたように事細かに書いてあるけれど、本当のところはどうだか。慈円は伴は天皇の信が篤かったからと言っている。でも慈円は藤原氏第一主義で、藤原氏がなければ日本は滅びるくらいに思っている人だから。

 ともかく、絵巻にまでなっているし、慈円も「これは誰でも知っている事件だから詳述しない」と言っているくらいだから、大事件だったのでしょう。

 

 此度の放火は保険金詐欺事件だとか。それにしてもこの人、親の顔が見たい。知っていてつける訳もないだろうから、偶然だろうけれど、ちょっと恐い話だ。

 

 

6月19日(火)

湯島の天神様へ。いつもは夫の代参だが、今日はちょっとだけ自分のこともつけ加えた。茅の輪が出ていたのでくぐらせてもらった。参拝客ではないただの通行人も、説明を読んでくぐっていく。あれは誰でもくぐりたくなるよね。

 不忍池では蓮がいよいよ繁茂していた。冬の間は何もなかったのに、ちゃんとこんなふうに生い茂る。当たり前のことだが、何か不思議な気がする。

 つぼみはまだ見えない。花の季節になる前に、屈子をおさらいせねば。

 池のほとりのそこここで、くちばしの黄色い子雀が、甘ったれた声で羽を震わせて親に追いすがっている。親に飛び去られて置いていかれた子を見ていたら、「エクスキューズミー」と声をかけられた。若い女の子が小さなデジカメをさしだし、シャッターを押してほしいと英語で言う。手にはハングルの書かれたパンフレットを持っている。一人きりだが観光客だろうか。蓮池を背に2枚撮ってあげると、「どうもありがとう」と言われた。朝鮮語で返してあげられればよいのだが、残念ながら日本語しか出ず、あいまいに笑って別れた。

 畳一枚半ほど土がむき出しになったところがあり、雀たちの砂浴び場になっていた。それだけの広さに、20羽ほどがそれぞれ穴を掘って潜り込んでいる。ほとんど背中まで潜っているものの上に、強引に乗り込んでいくものがいて、ひどいケンカになっていた。雀はかわいいなりをして、ケンカは荒っぽい。両足そろえてのチュンチュンキック! や、首筋に食いついてぐるぐる回ったり、取っ組み合いとしか言いようのない乱暴なこともする。雀は渡りをしない分、身体の造りが頑丈なのだと、伊勢市のスーヤン氏に聞いた。

 

 天神様に発破かけられた。計画を立てて励みなさいと。寄り道して応天門の変など調べている場合じゃない。ここのところ眠くて眠くて休日というと眠ってばかりだが、それでも宋教仁集をめくっていれば、おもしろい発見もあるではないか。

 それについてはまた後日。もう少しまとまってから。

 

……カントは定言命令をもって倫理の基礎原理とする。しかし命令は命令者を予想するではないか。したがって、カントの倫理説が自律をば道徳の原理とするは矛盾である。道徳はカントのいうごとくその本性上命令であるが、しかしその必然の結果として他律的でなければならぬ。道徳と自律とは絶対的に相排斥する。これがニーチェのカント説に対する批評であって、彼はこれによってカント説を論破しえたと思惟し、しかして前世紀末期以来の多くの自然主義者はこれに雷同した。しかしこの点に関するニーチェのカントの理解はきわめて浅薄である。彼はショーペンハウエルの手引きを通してカントの道徳哲学を見たために、全カント哲学の核心となっているその最も深邃なる洞見を逸している。道徳の世界の命令者は、われわれみずからの奥底に存するところの立法者そのものである、と見るところにカントの創見は存する。「なんじはなんじみずからになんじの善悪を与え、またなんじの意志を律法のごとくなんじみずからの上に掲げうるか、なんじはなんじ自身に対する法官たり、なんじが律法の復讐者たりうるか」というツァラトゥストラの問いに対しては、カントはこの問いに先んじてすでに明らかに答えている。いわく、「人は、人間はその義務によって律法に拘束さるるということ見た、しかし彼は彼みずからの、しかしながら普遍的なる、律法に服従するものなることに考え及ばなかった」――「おのれみずから与える以外のなんらの律法にも服従せぬ」ということが「理性的生類の品位」の根底であると。意志の自律、われわれの内における実践的理性の自己立法、これがすなわち真正の意味における自由である。真の意味における律法と自由とは、単に相排斥せざるのみならず、互いに相要求する。一なくしては他は完全に実現することはできぬ。いな、その本性上互いに相合致する。無法、無拘束はかえって不自由であり、内的の奴隷状態である。自律の意志、自由意志、道徳法に順依したる意志、この三者はひっきょう同一物である。……

〜朝永三十郎『近世における「我」の自覚史』(角川文庫)〜

 

 あまりおもしろかったので、長々と引用してしまった。

 楊昌済先生は朝永を読んでいたらしい。カントを修めた朱子学者たる彼は、朝永をどういうふうに読んだのか。というより、彼は朝永からカントに至ったのかもしれないが、ともかく、カントと朱熹とは楊昌済の中でどう結びつくのか。

 けれども残念ながらわたしの頭では、「蓄積」も「力量」も全然たりない。乏しい知識と無い智恵とを総動員して、昌済先生がしたかもしれないように、西洋哲学のことばを儒学や仏法のことばに置き換えながら読もうとしたけれど、結果はお寒い限りだ。

 それでもわずかに、引用した部分などは引っかかったてくれた。「天の命を性という」立場からすれば、カントの考え方はとってもよく分かるのではないかしら。そしてそれが、奴隷道徳ではなく人格の尊重に結びつくというのは、ある種新鮮な喜びだったかもしれない。

 それにしても、西洋の哲学者さんたちは、仏法も朱子学も陽明学も知らないらしい。なんて窮屈なのだろう。

 

 

 

6月24日(日)

先日、新宿の地下の特売場で、古本市をやっていた。文庫本を集めた一角で、『赤と黒』の揃いを小脇に抱えたおじいさんが、『ロビンソン・クルーソー』の揃いに手を伸ばしていた。

平日の昼間に楽な服装でこんなところにいるのだから、ご隠居さんだろうか。通りすがりに思い立って、文学作品でも読んでみようということだろうか。せっかく読むのだから長いものがいいと、セット物ばかり手にとって。

おじいさんはジュリアン・ソレルをどんなふうに読むのだろう。わたしはずいぶん前に一回読んだだけだ。ただ、ジュリアン君の「自分は非凡な人物でなければいけない!!」という、じりじりとした強迫的な念に、傷ましく思ったことを憶えている。『父と子』のバザーロフ君にも通じるとも思った。いずれも気の毒な青年だ。

おじいさんが読んでおもしろいだろうか。かったるくて眠くならないかな。それでもいいのだろうな。本をひろげたままうとうとして、おばあさんが「あらあら」と何かかけてくれる。そんな穏やかで幸せな様子を勝手に想像してしまった。

 

前回、朝永三十郎を引用したけれど、実はわたしはこの本を読んだわけではない。ページは全部めくったものの、全くちんぷんかんぷんで、わたしごときのついていける世界ではなかった。

この人は経歴を見るとばりばりの門徒のようだが、この本の中では西洋哲学史の紹介者としての立場を守っている。最後の最後でいきなり華厳が出てきて驚かされるくらい。でも明治の知識人だから、当然のことながら底には仏教思想があるわけで、華厳の二字にもそれが表れている。門徒だからといって、浄土教だけではない。当然の素養として儒仏があって、その上に西洋哲学を学んでいるわけだ。土台わたしらとは教養の桁が違う。年譜を見ると1871年生れだから、楊昌済先生と同年だ。

 

 

 昨日の朝、公園へ行った。植え込みの中でカラスの赤ちゃんが鳴いていた。「かわいい」と「まずい」と同時に思ったら、頭上の電線でカラスがアーアーと。慌てて「何もしないからね。大丈夫だからね」と声をかけて小走りでぬけた。分かったらしく、おとがめなしだった。

 今、あちこちの木の梢でカラスが変な声で鳴いている。子どもの甘え声なのだろう。これは恐い。子どもはいいけど親が恐い。公園内にも、「カラスに注意」の貼り紙があった。

 

 

6月29日(金)

 半月くらい前の話。

 神保町の国語・国文学専門書店でぼうっと書架を眺めていると、店員どうしの会話が耳に入ってきた。声から推すと若い男の人のようだ。息子さんか、アルバイトか。相手は若い女性のようだが、たまに相づちをうつ程度で、専ら男性のほうがしゃべっていた。

 

曰く……半年に一度仙台から来る人が、こないだ来たのだけれど、(長蛇の列で評判の、新宿にあるドーナツ屋さん)の袋を持っていたから、思わず「並んだんですか」って訊いちゃった。そしたら、いや、娘に頼まれちゃって、こんなにかかると思わなかった、3時間待ったって。

気の毒になっちゃった。半年に一度、神保町に行くのを楽しみにしてる堅い人が、東京に行くって言ったばっかりに、じゃあお父さん買ってきてって。3時間も並ばされて。

 

その後はドーナツ屋さんの噂話に移っていき、わたしは目当てのものがなかったので店を出た。

翌日、TVの情報番組でその店を取り上げていたが、最大で2時間待ちとのことだから、3時間は誇張があるかもしれない。でも、そんなことで並ばされたおじさんとしては、何時間にも長く感じられただろう。

待っている間、本でも読めただろうか。

半年に一度、神保町を回る。辞書を集めているとのことだけれど、それは楽しい時間なのだろうな。たとえ収穫がなくても、それはそれで幸せなのだろう。

わたしは週に一度はうろうろしている。勤め先から昼休みの間に行って帰ってこられる。そしてぶつくさ文句を言っている。神保町は高いの、こんなにたくさん本があるのにわたしの探す一冊はなぜないのと。

世界一の書店街にいつでも行ける幸運を、もっとありがたく思ったほうがいいかな。

 

 

 

 

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