千歳村から 〜日記のようなもの      

●7月7日(金)

 エレカシで頭がいっぱいになっていたら、いつの間にか月が替わっていた。今日は七月七日、戦争の始まった日。

 始まった? 自然現象じゃないんだから、「始めた」というべきか。

 先生、どうして首都の近くに外国の軍隊がいて、演習なんてしていたんですか?

 それは辛丑の年に八カ国連合軍に負けたからです。

 今の日本だって、首都の近くに外国の軍隊がいるでしょう。住宅地に墜落するという、悲惨この上ない恐ろしい事故も起しています。この国は独立国じゃないんですね。

 

 

「原始儒教の『禮』は古代における社会契約だ」というのが、夫がかねてから唱えている仮説だ。彼は論語や左伝からこれを導きだした。そしてここ数ヵ月、彼は礼記を熱心に読んでいたのだが、先週末書斎から飛び出してきて言うには、康有為を知らないかと。

礼記の礼運篇は社会契約説であり、となれば礼運篇から大同書を書いた康有為が社会契約説を正しく理解していた可能性がある。

それは大変、ということで探したのだが、家には大同書と礼運注のいずれも抄訳しかなかった。それを見た限りでは後者のほうが意味がありそうなので、とりあえず図書館で礼運注をもらってきた。もちろん訳はない。ばりばりの漢文。わたしに読めるかなぁとも思うが、ざっと見て勘どころらしき箇所も見つけたし、なによりたいへん興深いテーマなので、ぼちぼち奮闘してみようかと。

 

後代の人食い礼教はともかく、原始儒教の徹底した徳治主義は、アナキズムにも通じると、前々から思っていた。儒者たる兆民がジャン・ジャックを紹介し、その高弟の幸徳がクロポトキンと出会ったのは、偶然ではなかろうと。

 

 

7月18日(火)

 わけのわからぬ十日間。

 夫が腸炎で、救急車だの入院だの。

 一旦よくなった後で急変し、入院するはめになったのだが、同じ病気ではないらしい。はじめに救急車で行ったときにもらった薬が、合わなかった疑いがあるとか。

 病院でもらった薬で病気になるというのも妙な話なので、かけ合って、昨日逃げるように退院してきた。病院にいても点滴打って寝ているだけで、治療するわけではないから。

 

 救急車で行った日、帰るときに年輩の看護師さんに言われた。痛みというのは主観的なものなので、ちょっとのことでも痛がる人もいるが、我慢しすぎて大事になる人もいるから、あまり我慢しないで、何かあったらすぐ電話してきてくださいと。

 

 入院した翌日にCTを撮ったのだが、夫によれば、それ以来医師の態度が変わったと。そうとうひどい状態だったらしい。それまでは、下痢は痛いものよ、などという感じをにじませていたのに、と。

 

 そういえば、『Bridge』によれば、トミの頭痛は原因がなかなか分からず、別の病院に移るために参考にと撮ったCTで血腫が判明し、即日入院、手術したとか。

 

 医者はアーチストだという意味のことを、さる老医師が言っていた。想像力が必要なんだと。

 誰でも同じ手順を踏めば大体同じことができるのが科学技術というもので、特殊な修業をした人のコツだのカンだの霊力だのが重要なのが、職人だの芸術家だの魔術だのの世界かな。

 CTだのレントゲンだのなんだのは科学技術だけれど、医療はそれだけではたりないということか。

 

 ともあれ、無事に生還。まずはよかった。

 

 

7月21日(金)

昨日のこと。

 予後の報告に病院へ。いつものことながら大変な人でごった返し、予約を入れてあるものの、どれだけ待つかわからない。とりあえず、夫を残して入院の支払をしに行く。

 すませて戻ると、夫は手にしていた文庫本を置いて席を立った。見ると、ゴーリキーの『幼年時代』だ。でたらめに開いて読もうとしたけれど、すぐに涙がにじんできたので、慌てて閉じる。戻ってきた夫と少し話すが、手持ち無沙汰なので、「読んでもいいですよ」と言うと、「あなたがいるのに」と。そして「それに、これはここで読むのはきつい。やっぱり、うっとくるから」と。

 

 夫はゴーリキーは自分の燃料だと言う。この三部作などは、何回読んだかわからないだろう。

 「ゴーリキーは大きいよ」と。「身体も二メートル以上あるけど、悲しみも怒りも愛情も、みんな強いし大きい。私自身はむしろチェーホフに近いけれど、ゴーリキーは読まなきゃならない燃料だ」と。

 ゴーリキーはたくましい大男で、ボルゾイを殴り殺したことがあるとか。もちろんけしかけた奴が悪いので、犬にとってもゴーリキーにとっても不幸な事件でしかない。そういう強い悲しみが、彼の場合は強い祈りに結びついているように思う。

幼時から辛酸をなめて育ち、人間の醜い部分をいやというほど思い知らされてきてもなお、彼は人々の中に美しいものを探そうとする。

それは祈りだ。かくあれかしという祈りであり、そしてそれは確かにある。嘘でもごまかしでもなく確かに咲いている、泥中の蓮だ。彼はそれを見つめている。泥から目を背けることなく、けれどもその目は清らかな蓮を確かにとらえている。

 ゴーリキーを読むとそんな感じがする。

 ……なんて言っていると、情に溺れた浅薄な解釈だと言われてしまうのだろうけれども。

 

 病院関係は全て終了。結局、抗生物質起因性の出血性腸炎か? 先生方は誠実に対応してくれたし、看護師さんたちもよくしてくれたけれど、この病院には二度と行かないだろうと思う。

 

 

●7月23日(日)

 「やさしい日本の四季」はどこへ行ってしまったのか。暑いか寒いかどっちか、豪雨か旱天かどっちか。程というものが失われている。わたしは四十余年しか生きていないが、そんな地球史上からいえば無に等しい時間しか知らないのに、確かに言える、かつてはこんなじゃなかった。

 

 今日、TVで恐ろしい発言を聞いた。「小泉は、人は人と言うが、天皇は人じゃない」と。驚きのあまり、とっさにチャンネルを変えてしまった。絶対にあってはならないこんなことばが、戦後生まれの人間の口から出てくるとは。この国の歴史はどうなっているのか。

 

 もしも江戸城に住む御仁が、本当に人ではなく天子なのならば、四時の巡りの乱れに責任を持ち、自焚くらいすべきだ。

 もちろんそんな本来の「天子」など、周代には既に時代遅れで、天子のかわりに巫覡や不具者が犠牲にされていたようだ。それが政教分離ということなので、祭政一致ならば、やはり天子を焚かねば。

 それとも、こんな粟散辺土の区々たる島国には関係ないか?

 

 

7月28日(金)

 「礼はギリシャの憲法である」と、康有為先生は言っている。どういうことだろうか。

 

 まず、「憲法」とは何か。聖徳太子の十七条の憲法などというのがあるから、古い語だ。調べたら『国語』の「晋語」にあった。ということは、戦国時代までには既にあった、古い古いことばだ。

 けれども1884年に康有為が使う「憲法」は、2000年前のそれとは同じではないだろう。おそらく、現代のわたしたちが使う意味での「憲法」だと思われる。たぶん、「共和」や「革命」同様、幕末から明治の日本人が、東洋の古典語に西洋の語の訳語として新たな意味を与えた、近代和製漢語の一つだろう。

 と思って調べたら、やはり明治6年(1873年)に箕作麟祥がナポレオン法典を訳すときに使ったのが早い例らしい。

 ではその「憲法」とは。英語の辞書を引くと、人間なら骨格や性格、建物なら屋台組みのことだとか。つまり最も全体的で基本的で且つ重要な枠組みということか。

 なお、古典語の「憲法」は、「憲」が目の上に入れ墨をするということで刑罰の意であり、要するに決まり、掟、といった意味らしい(白川静『字通』)。「晋語」の例も、「善人を褒賞し悪人を罰するのは国の憲法である(賞善罰姦國之憲法也)」ということ。

ちなみに、聖徳太子の憲法は、儒教的な徳目を並べた貴族に対する訓戒のようなもので、今の憲法とは全く異なることは晋語以上だ。

 

 さて、次に「ギリシャ」とは。これは当時のギリシャ、トルコからの独立を果たしたもの大国の間でもみくちゃになっている19世紀末のギリシャをさすとは思えない。やはり古代だろう。ジャン・ジャックが下敷きにしているのが、古代ギリシャ・ローマであるように。

 ということで、無学なわたしにはいかんともし難く、プラトン『国家』を読まねばならなくなってしまった。全くの泥縄。神保町を走り回ったけれど見つからなかったので(新刊書店にはあったが、定価で買うのはいやだ)、とりあえず図書館へ。ところが『国家』は下巻ばかり3冊もあって、上巻は全部貸し出し中だった。とりあえず『法律』を借りてきたけれど、これをわたしが読むのか。この頭で理解できるのか、はなはだ心もとない。

それでも読み始めてみると、ジャン・ジャックと同じにおいがする。当然のことだけれど、改めて歴史というものを思う。人類史は積み重ねだなあ。先人に学ばねば、何も出てこないのだ。

 

 昨日、神田明神、湯島天神、湯島聖堂と、駆けまわった。お礼参りのつもり。酷暑の坂道を時速6キロで歩くのは、さすがにきつかった。

 不忍池の蓮は、だいぶ咲いてきたが、まだつぼみのほうが多い。しばらく楽しめそうだ。

 

 

7月29日(土)

 今日は二人で明神さまへ。短い時間に結婚式が二組もあった。暦を見たら大安。なるほど。

 

 礼記礼運篇は孔子が蜡という祭を見たのち、弟子の子游に説くという形になっている。この祭については、同じ礼記の郊特牲篇に詳しく出ている。それによれば、これは農業祭で、そこには猫や虎がまねかれるとか。猫には穀物を食い荒らす鼠を捕ってねと。虎には畑を荒らす猪を狩ってねと。

 これを見た日本人のほとんどが、あれっと思うだろう。日本ではそれは、狐と狼さんの役目だ。すなわち、米を食べる鼠を好物にする狐は、お稲荷さんとして田の~に。山の畑を荒らす猪や鹿の天敵である狼は、秩父・三峯神社に代表される狼信仰に。

 中国ではいずれも猫科、日本では犬科なのがおもしろい。昨日の新聞に、猫は奈良時代に仏典とともに日本に渡ってきたとあった。猫も虎も日本にはいなかったということか。

 

 

 

 

日記表紙へ