千歳村から 〜日記のようなもの      

6月1日(木)

 1910年の夏休み、楊篤生は楊昌済とともに旅行をしている。そのとき彼は、スコットランドの貧富の差――宏大な領地を持ち広壮な館や城に住む地主貴族と、地を這うように厳しい生活を送る農民と――に目を留めている。ちなみに孫逸仙は英国社会の観察から、民族、民主の二主義だけではだめで民生主義が必要だと悟ったとか。

 

 二人の紳士(挙人と秀才と)はこの旅行中、異国の風景に感じて山ほど詩を詠んだという。篤生は荒涼とした景色を見て、杜工部の同谷歌みたいだと言っている。

 スコットランドくんだりまで来て、杜甫ですか。

 同谷歌は、苦難続きの杜甫の生涯のうちでも、最も厳しいときの作品だそうだ。官職を解かれ、妻子を連れて各地を転々とする杜甫は、同谷の地でいよいよ窮する。猿回しの後をついて歩き、どんぐりを拾って食べると、杜甫は歌っている。

 長いし、とにかく気の滅入る詩なので、わたしはこれを訳したいとは思わない。 

 

 異郷をさまよいながら、篤生はどんな思いでこの詩を口ずさんだのだろうか。

 

 

6月3日(土)

 勝手に呉樾の歌と呼んでいる「so many people」。先日のリキッドで宮本は、「矛盾するようだが 激烈な変化を求めるあまり そうさ 自ら命を捨ててしまう人がいる/慌てなくていいから 大丈夫だから」という感じで歌ってくれた。

 

慌てなくていいから。大丈夫だから。

 

 篤生も、あと二カ月我慢できれば武昌起義だったのに。……そう言いたくなるけれど、そうでもない気もする。

 清朝が倒れても、全然めでたくない。

お兄ちゃんのコ鄰も、宋教仁も、殺されている。篤生は寧仙霞とも親しかったと思うが、彼も殺されている。みんな袁世凱だ。

 

 黄興さんは胃病だけどね。

 

 

6月5日(月)

ここ二、三日、胸苦しくてならない。この感じはよく知っている。

 先日リキッドルームで開演前に感じたのとは、似ているけれど異質なもの。あれはカスタではおよそなく、エレカシでもたまにしかない、緊張感だ。武者震いというか、噴火寸前の火山のようなもので、あの日も客電が消えたとたんに爆裂してしまった。

 ここ数日のはそれではなく、要するに恋わずらいだ。振り切ったつもりだったのに、よもや再発しようとは。

 

 ミーハーは厳に禁ずるべし。浮ついた姿勢は、なにより先方に失礼だから。

 なのに、もともと安普請の人間なので、油断するとたちまち出てくる。例えば平家を読んでみても、すぐに維盛さま〜などと言い出す。で、富士川の合戦での彼の冤を雪ぎたくなり、何かの作戦失敗だったのではないかとか、小松家に対する陰謀でもあったのではないかとか、妄想を並べ出す。これじゃいかんでしょ。

 

 維盛様はともかく。

 

 やっぱりかっこいいんだ、楊篤生は。頭脳明晰、眉目秀麗。そして湘人らしい熱情。黄興さんに言わせれば、思想が緻密で遺漏がなく、非常にねばり強く努力をする性質で、人品文采またかくのごとし、美材也(すぐれた人材だ!)と。

 その緻密でねばり強いところが家族に向けられると、少なからず厄介なことにもなる。けれど、彼は彼なりに子どもたちを大事にしていたし、何より10年ほっぽらかしの儷鴻夫人を大好きだったと信じられることが、わたしにはたまらない。

 

 もちろん思想家としてすばらしいというのが第一だ。

彼の思想は特異なものだと思う。彼が結局アナキズムに与しなかったのは残念でならない。とっても近いところにいたのに。

 

 ということで、ミーハーはいかんよ。厳に慎むべし。

 

 おかしなことに、宮本浩次に対しては、そういう浮ついた気持ちはほとんどない。ライヴなり新曲なり、彼が呈するものに対し、常に、勝負! と、対峙している感じがする。

 

 

 

6月8日(木)

一昨日だったか、お昼に明神様にお参りに行くと、結婚式をしていた。明神会館から出てくるところだったので、急いでお参りを済ませ、ちょっとの間、行列を見させてもらった。綿帽子をかぶった花嫁は、顔は見えなかったけれどきれいだった。平日には珍しいから大安かなと思ったが、後で見たら先負だった。

 

わたしたちは先週、結婚記念日を迎えた。夫の郷里のお寺で阿弥陀様に誓った日から、もう16年。あのときお坊さんは、結婚式をするのは初めてだとおっしゃり、感激して涙してくださった……などと甘いことを言っていられはしなかった。その日は、この15年余りでわたしが犯した悪行の数々を、容赦なく糾弾する日となった。自業自得だ。

 

翌日、百貨店でお菓子を買ってきて、ささやかにお祝い。夫の内臓脂肪が気になるので、ケーキではなく麩饅頭と葛桜。本物の紫陽花や笹の葉でくるんである。夫はおいしいと言ってくれたが、上品過ぎるから大福のほうがよかったとも。どこまでも実質本位の人だ。

 

こないだ図書館でぱらぱらした鈴木大拙著の入門書の、何ごとも因があるから果があるという縁起説を説くくだりに、こうあった。

今のことは過去の因縁による(から仕方ない)が、未来の因縁を作っているのは今であると。

仏法は科学だなあ。

せめて未来が明るくなるように、今をしっかりせねば。

 

 なお、わたしたちの結婚式は友引の日だった。お葬式が入らないようにとの配慮で。

 

 

●6月9日(金)

 6月9日はロックの日!

 NIRVANAを浴びるほど聴きたいと思ったけれど、時間もないし、音量も出せないし。で、ベスト盤だけ聴いた。やっぱりかっこいいわ。

 

 ほとんど呪いみたいな叫びだけどね。

 

 

6月12日(月)

祝!宮本浩次生誕40年。

この稀有な魂がこの世に生まれ、赤羽台中学でイシくんやトミと出会ってくれたこと、そして彼らと同時代に生れ彼らの音楽に出会えたことを、感謝したい。誰に感謝すればいいのかわからないけど。

 宮本は「なぜだか、俺は祷ってゐた。」ができたとき、無性に祈りたくなったけれども何に祈ればよいのかわからず、とりあえず自室に貼ってある荷風の写真に祈ったそうな。荷風もさぞかし驚いたことだろう。

 

 そしていよいよ始まった、全国ツアー。三十代最後の日の昨日の福岡から。今日は休みで明日広島。今日はわざと避けたのかな。あの人たちのことだから、また古墳だの城だの博物館だのをまわって、あとは静かに食事会だろうか。

 わたしは27日のAXに行く。そろそろチケットも来る頃だ。リキッドとはまた別のものを見せてくれるのだろうな。ミヤジは地方をまわってくると、東京大好き感が高まるようだから。

 もっとも、彼の好きな東京は現在のというより、荷風が歩いていた頃か、あるいはもっと前、馬琴が暮らし北斎が描いた江戸かもしれない。

 

 

●6月24日(土)

 昨夜のニュースは衝撃だった。新聞を読んでもまだぴんとこない。何だかわからない。信じられない。

 北天佑死去。こうして書いていても涙ぐんでしまう。倒れたと聞いて心配していたけれど、まさか。早すぎる。癌だったということだけど。

 

 わたしは二十代にどっぷり相撲漬けになっていた時期があって、そのきっかけが北天佑だった。

 強かった。かっこよかった。勝つときは、「力強くて豪快」。負けるときは「力まかせで大雑把」。そういう取り口だから、安定した星は残せなかった。そういう意味では、勝つ相撲より負けない相撲のほうがいいのだろう。でも、強いお相撲さんはやっぱり魅力だ。やっぱりかっこいい。

わたしは彼に投げられた大錦が放物線を描いて飛んでいったのを覚えている。

 彼の横綱土俵入りを見たかった。夢見ていた。きれいだったろうな。

 

 最後の場所を見た。初日に行って、これなら大丈夫だと思って帰ってきたのに、その数日後に引退してしまった。以来、国技館には行っていない。

 

 

●6月26日(月)

 二十山部屋の人たちは、古巣の三保ではなく北の湖に移籍した。大関が病床で横綱に頼んだのだそうだ。なお、わたしは未だに、大関といえば北天佑、横綱といえば北の湖を指す。

 

 やっぱり横綱かと思うと、うれしい。

 お相撲さんが辞めるときのお決まりの質問、「いちばん思い出に残っている取組は何ですか」で、普通は初めて横綱や大関に勝った一番とか、初優勝を決めた一番と答えるものなのに、この大関はちょっと違っていた。

 自分が勝ったことで横綱の優勝が決まった一番。1984年五月場所十三日目。横綱を追走する隆の里を北天佑が破り、その瞬間、北の湖の24回目の優勝が決定した。このとき大関は控えにいる横綱と目を見合わせてふっと笑んだ。

 結局この場所は横綱の全勝優勝。これが北の湖の最後の優勝となった。

 この場面は何度かTVで放映してくれたし、今は協会の公式HPでも見ることができる。

 

 わたしはこういう、誰かが誰かを大好き! というのに弱いんだ。

 

 

6月28日(水)

昨日のAXは大変なことになっていた。以下に夫の感想を。

 

当日券は出ていたけれども会場はほぼ満員。後ろの方に立っていたけれども、ほとんど空いている空間はなかった。客電が落ちると同時に歓声が上がる。異常な期待感が場内に満ちている。

1曲目「地元のダンナ」。客席に向かって、地元のダンナ、地元の坊主、地元のおばさん、と指さしながら絶叫連呼。聴き手に強く訴えかけてくる。

2曲目「悲しみの果て」3曲目「so many people」恵比寿のときと違って歌詞もしっかり入っていた。非常に切れがよかったとしか言いようがない。

「デーデ」

「甘き絶望」前回よりテンポが早くてとてもよかった。

「男は行く」負けるなよと言われて負けるもんかと思った。

これはこの曲に限らないのだけれども、今日のミヤジはものすごく歌がうまかった。この人に歌がうまいとか言うのはあほくさい話なのだけれども、例えば日本刀で物を切るとき、身体を預けて思い切り叩きつけるよりも、わずかに引きを加えることで斬撃力が増すという。今日のミヤジは一分の冷静さを保つことで、歌の凄みが増していたように思う。

「理想の朝」これはハードな曲なんだよね、なぜだか。ライブでやると。また何かアジっていたように思う。

ここで少しMCがあったように思う。内容は全く憶えていない。今回はあまりにすごすぎて、正直記憶が飛んでいる。

「すまねえ魂」これも本当にすごかった。ばかみたいだけど、それしか書けない。

「おまえはどこだ」絶品。少し解釈が違っていたか。もともと皮肉な歌だと思うが、この曲だけでなく、聴き手を励ますような色彩が濃かったように思う。

「ああ流浪の民よ」2番で、、生まれついた己自身の血は、のような感じに変えて歌っていた。自分らしく生きよという強いメッセージが全曲に通じていたと思う。

「人生の午後に」歌詞がびんびんと入ってきて、とても実感があってよかった。

「シグナル」途中で音を上げてたり、ちょっとアレンジして絶唱してくれました。

「今をかきならせ」この曲はライブだと最高かもしれない。終わってからMCがあって、素直に生きるのが大切、でも17歳くらいだと素直って分からないんだよね、と。でもまあいいか、がんばって生きていこう、という感じ。

「たゆまずに」これもなぜかハードなんだ。曲の前に、不満があるだろ、上等じゃねえか、でもおれたちはどうすればいいか知っているんだ、というようなことを言って歌い始めた。

「なぜだか、俺は祷ってゐた」曲の前に、こどものときヒーローになりたいと思っていた、男ってのはそういうもんなんですよ、彼氏に訊いてみな、と。それからいよいよ始まる。声ののびといい、情感といい、恵比寿以上。途中少しアレンジして高音を歌ったりもする。終わった後の余韻も深かった。拍手もためらうほど。

「はじまりは今」久しぶりに聴いたけどよかった。

「ガストロンジャー」ぶっとびました。ことばは絶しています。

「ファイティングマン」この曲の前にメンバー紹介をしただろうか。トミの病気にふれて、休んでいる間に三キロ体重が増えて目つきが変になったと言ったのは、ここだったか?

本編終わり。退場時にトミが会場に向けておじぎしてくれたのを憶えている。もしかしたらアンコールの終了時だったかもしれないけど。

アンコールの拍手も壮絶。みごとにそろって、それ自体が一つの演奏のようだった。

再び登場すると、「ゴクロウサン」はじめちょっと違うイントロを始めて、やめて「ゴクロウサン」に。ダウンダウンダウン、燃えました。

「雨の日に……」お散歩の曲、と言って始めました。

「今宵の月」よかったよ。なんというか、新たな地平に向かうための確認のように感じた。

ここでMC。何やろうかとメンバーの方を向いて言う。ガストロンジャーもファイティングマンもやっちまったしな、やる曲ねえんだよ。じゃあ、しんみり(しっとり? 地味?)な曲だけど。と言って始めたのが「武蔵野」2番の始めから歌詞間違えて、途中から即興の歌詞を叫んであーだのうーだの歌ってたのは、決して歌を粗末に扱ったからではない。あまりに込み上げてくる新しい思い、今の感情を、何とか古い曲に乗せようとして、そういう形に壊してしまうのだと思う。歌詞の中に「渋谷」を織り込んだので、終わった後、独歩を引き合いに出して、渋谷も昔は独歩の描く武蔵野だったと。知らないでしょうけど、知識を披露してしまいました、御退屈様、と。知ってらい、ばか。

でもこれでは終われないなと思っていると、やってくれました、「てって」。ライブでは初めてだったと思う。好きな曲なのでうれしかった。終わった後、俺にもそういう時期がありました、みたいなことを言っていた。

たぶんここで、トミの手を引いて舞台正面に出して、みごと復活してきました、どうしても言いたかったんだ、というようなことを言ったように思う。もしかすると、2回目のアンコールの後かもしれないが。

これでもう終わりかと思ったのだけど、どうしてももう一度聴きたくて休むことなく手拍子と声援を送っていると、本当に出てきてくれました。みんな愛してる、みたいなことを言ってくれたと思う。ここじゃなかったかもしれないけれど。

「流れ星のやうな人生」は本当の意味で圧巻でした。高緑さんにおんぶしていたのはこの曲だっただろうか。それこそ流れ星のように歌い上げて去っていきました。

全24曲、2時間15分くらいか。久々に命の危険を覚えたライブでした。

 

以上。

 

夫はこれだけ書きながらなお、トミがすごかったのを書き漏らしたと騒いでいる。

 実際、昨日のトミはすごかった。いつも宮本のみを見ているわたしも、びっくりしてトミだけを見つめていた曲もあった。

 そのほかに補足することは、

 「デーデ」の終わり、「金があればいいー!」と歌い終わった後、腰に手を当てて傲然と客を見下ろすさまがよかった。

 「習字ができない、難しい漢字が読めない」と言っていた。わたしも最近手習いを始めかけているので、うれしい。難しい漢字といっても、明治文学マニアの宮本のことだから、そんじょそこらのとはレベルが違うだろう。でも本当に漢字って難しい。ここのところ妙な本を読んでいるので、なおのことそう思う。

 「so many people」で泣いたのは初めて。こんな曲で泣く人はいないと思い、必死で我慢した。激烈な変化を求めるあまり死んでしまう人がいる、無駄死にさ止めたほうがいい、生きようぜー!

 「ガスト」、論語も聖書も出てこなかったけど、これはこれでよし。生き物だなあ。常に新しくなっていくのだなあ。高度経済成長についてなんて言っていたか、忘れてしまったのが残念。

 二度目のアンコールに出てきたとき、「みんな元気ですね。気持ちの悪い人がいたら、おじさんに言いなさい」と、ミヤジらしい意味不明の発言。確かに40歳はおじさんだけど、おじさんに見えないよ。

 今回強く感じたのは、宮本はわたしたちを信じてくれているということ。わたしたちを、ミヤジと同じく、高みをのぞんでは敗れゆき、思い描いた日々と今の自分を重ねたり偉大な人たちを思って歯噛みしながら、それでもたゆまず努力し続けて、いつの間にかずいぶん遠くまで来てしまう、そういう「男」だと(実際は半数以上は女なのだけど)。何しろ、「努力を忘れた男の涙は汚い」って言う人だから。

 ことばの一つ一つがうれしかった。夫も書いているが、みなを励ますような感じが強かったように思う。

 

 肉体的には厳しかった。帰途は腰が痛かったし、今日は脚が筋肉痛。明らかに脱水症状になっていたし。

 でもまた行くんだ。次は10月の野音。10月なら秋霖も台風も終っている。7月だと開演時は明るくて恥ずかしいから、秋のほうがいい。今から楽しみだ。

 

 

 

日記表紙へ