千歳村から 〜日記のようなもの      

 

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●2月3日(金)

  エレカシは来月、久しぶりにアルバムを出す。少々不安だが楽しみだ。

 一方、ザ・カスタネッツはまたしてもバンドの危機。ベースの若ちゃんこと若月健司脱退。メンバーにメール1本送ったきり連絡不能とか。明学のサークルで謎の新入生として加入して以来15年余り。彼も既に37歳。「自分の人生を違う場所でやり直したい」というのなら、ぎりぎりだろう。

 とはいえ、正直な話、ショックだった。最後に見たのは暮れの25日だけれど、そのときの彼の姿がどうしても思い出せない。このまま、これっきりなのか。

 

 夜、豆まき。後で回収してベランダへ。明日からすずめでにぎやかになる。

 

 

2月6日(月)

昼前の気温が3℃ないとのことで、暑がりのわたしにとっては絶好の散歩日和と思い、湯島まで足を伸ばした。

天神様の梅まつりは明後日からだが、この寒さでは無理な話だ。花をつけている木もないではないが、それでもやっと一分くらい。ほとんどの木は、当分咲くつもりはなさそうに見えた。

時節柄いつもより人が多いが、常のとおりにお詣りして、女坂を降りる。ここの梅が満開になるとすばらしいのだけれど、固そうなつぼみばかりだった。

そして不忍池へ。オナガガモとキンクロハジロとユリカモメばかり。鴨おじさんが来ると大勢群がってえらい騒ぎだが、おじさんの手から直接エサをもらっているのはオナガガモで、カモメは周りをホバリングして、カモから奪おうとしている。

今年はコガモを全く見ない。わたしはカモというとオナガとコガモばかりで、キンクロやホシハジロは知らなかったのだけれど、いつの間にかキンクロが増えてコガモが減ってしまった。どういうことなのかわからない。キンクロのような潜水系のカモが増えていると昨年末だったかの新聞にあって、わたしが思っているだけではないことを確認したが、原因は専門家でもはっきりしないとのことだった。

茶色頭で目じりが緑色の愛らしい姿には、これから先も会えないのだろうか。

などと考えながら帰りかけると、見たことのないカモが浮かんでいるのが目に入った。緑のラメラメ頭に黒い幅広の嘴で、お腹は白。運よく近くに案内板があったので見たところ、ハシビロガモと判明。全部で6羽見た。案内板にあるのだから、以前から来ているのだろうけれど、わたしは初めて。ちょっとうれしかった。

 

カスタの若ちゃん脱退について、メンバーがブログに書いてくれた。それを読んで悲しかったけれど、安心もした。この人たちは大丈夫だ。これだけしっかりとした考えをお持ちなら、心配することはない。まさに、「思いがけないほど人は強いから 壊れながらだって進んでい」くんだ。わたしも信じてついて行こう。

 

 

2月7日(火)

 神保町のY書店、店先の特価品の箱に、岩波の『原典中国近代思想史』がバラで出ていた。1冊500円。筑摩の『現代革命の思想3 中国革命』(『猛回頭』の訳文が載っている本)は200円だったか300円だったか。自分がいくらで買ったか、幸いなことに覚えていないが、この値段はちょっとした衝撃だ。辛亥の巻と筑摩のとを買って使い倒し版にし、もう一冊をとっとき版にしようか、とも思わないではないが、真面目な学生さんが探しているかもしれないから遠慮すべきか。

 

 

2月8日(水)

きのう八木書店で見た本のことを夫に話したら、「四の五の言わずに買ってこい。複本は必要だ。がしがし傍線引いて、がんがん書き込め」と。

で、洋務・変法と辛亥と、筑摩のもいれて1300円と思って出かけたが、世の中甘くはなかった。筑摩のも含めて、きれいさっぱり消えていた。

やっぱり破格の値段だったのかと今さら惜しくなったが、きっとまじめな学生さんの手に渡ったのだろうと思うことにした。あれは卒論書くには重宝だ。

かつて、図書館でがんがんコピーとりながら、こんなにとるのならいっそ買ってしまったほうがと思いつき、書店に行ったら辛亥の巻だけがない。で、注文したところ、返ってきたのはお馴染みのあのフレーズ「品切れです。重版の予定はありません」

だから、ひとりで溜め込んで使い切れずにいるより、本当に必要な人に買ってもらったほうがいい。

 

同じ八木に、サヴィンコフ関係の本が何冊もあった。誰がいつ読むんだと自問自答して見送った。こちらはそうそうなくなる本でもないし。

 

 

2月11日(土)

 仏様にお供えするお菓子のために週に一度は百貨店のお菓子売り場をうろうろするのだが、昨日は常になく混雑していて、何かと思ったらチョコレートだった。

 

 昭和21年の2月14日に進駐軍のバレンタイン少佐が子供たちにチョコレートを配ったという故事に由来する……という笑えないギャグを、昔ゆうきまさみが描いておった。

 バレンタイン氏がロッテの監督を務めている今だと、より信憑性が増しているか? 

それとも、今の子たちに「ギブ ミー チョコレート」なんて言ってもぴんとこないかな。わたしは高度経済成長真っ只中の生まれだけれど、小さいころは池袋の駅前に傷痍軍人がずらっと並んで楽器を弾いていたのを憶えている。母親の叱り言葉に「浮浪児みたいな」とか「欠食児童じゃあるまいし」などというのがあったし、まだまだ戦後だった。

 

 今日は昼ごろ公園へ。陽射しがあたたかく、蝋梅が香っていた。空の色が春だった。

 

 

2月20日(月)

 昨日は高校天文部同期の仲間とお昼会。何年も会っていなかった人も多いのに、みな、昨日も会い明日もまた会うような気がしてしまう。全員41歳なのに、男の子、女の子、という言い方をしてしまうのもそのため。女の子の集まりはお昼会ばかりだが、男の子たちはまめに遠征もしているそうで、羨ましい。

 次はホテルでケーキバイキングね。男の子たちも誘いましょうか。

 

 楊篤生のフランス大革命史を訳せないものかと思い、手をつけてみたけれど、やり遂げる自信がない。1ページだけで、早くもばてている。ざっと読むと読めるような気がするが、きちんと訳すとなると、むちゃくちゃ難しい。本人はこれでも平易な文章にしたつもりなのだろうけれど、素養の桁が三つくらい違うから。

 なにしろ駢文が大好きだったという人だ。若いころにそんな評論を書いているし、于右壬も追悼文に書いている。宣伝用の口語文で知られているが、実は見事な駢文を書く人だったと。

 違う時代に生まれていれば、能吏になったはずの人だった。

否。やはりだめかも。あんな爆弾を抱えていては、どのみちどこかで爆発せずにはいないだろう。

爆弾狂のテロリスト。蔡孑民先生の描く篤生像は間違ってはいないのだろう。けれども、それを全うするためには、彼は線が細すぎた。

 

 

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