千歳村から〜日記のようなもの      

 

2005年5月1日〜

  

11日

 

5月1日(日)

 ここ半年ばかり、仏教説話を浴びるように読んでいる。すると妙なことに、そんなにいいことがあるのならわたしも法華経を写してみようか、などという気になってくる(法華経は簡単に写せる分量ではない)。もちろんこういう説話の目的はそこにあるのだから、これらの説話が教化の具としていかに有効だったか、その威力のほどをわたしは身をもって思い知らされているわけだ。

 

ところで、こんな議論がひと昔前にはやったという。

「法隆寺を建てたのは誰か。聖徳太子か、大工か」

英雄史観だ人民史観だと面倒くさいことは措いておいて、そのままを素直に考えればこうなる。すなわち、聖徳太子の命で大工が建てたと。そしてその資金はどこから出たか。太子が手ずから織ったり耕したりして稼いだのか? 山から木を切り出して曳いてきたのか? もちろんそんなことはなく、収奪されたものだ。

 

話を元に戻す。

仏教説話には貧者の一灯的な話も多い。例えばこんな話。

貧しい夫婦がいて、二人で一枚の着物しか持っていなかった。だから夫が外出するときは妻は裸で家にいて、妻が出かけるときには夫は家に、という具合だった。ところが彼らは、たまたま訪れた僧にその着物を差し出してしまう。するとその話を聞いた国王が感心して、たくさんの錦を彼らに賜い、めでたしめでたしと。

こういう話を聞かされて、人々は乏しい中からなけなしの物を僧侶や寺院に布施してきた。本当はどれだけ出したところで錦なんぞもらえはしない。それは分かっている。分かっていても、今生を既に諦めて、せめて後生は恵まれた生であればと願い、忍従してきたのだろう。

そうやってむしり取ったもので建てられた大伽藍を見て、ありがたいと手を合わせ後生を願う心情を、奴隷根性と切り捨てるのはあまりに酷だ。わたしも仏徒として、祈る気持ちに嘘がないのはよくわかる。でも、だからこそ、釈然としない。

 

仏教には、そうやって使われてきた歴史がある。日本仏教は権力者のための鎮護国家の具として始まっているし、前世の報いとして今生を諦めさせ後生を願わせることで、現体制に対する憤りを起こさせないという要素もあった。

でもそれは仏教の本当のあり方だろうか。釈尊はなんとおっしゃるだろう。あの方は受けた施物を私せずに教団のみんなに分配し、橋や病院の建設などの社会事業を何よりの功徳と説かれたのではないのだろうか。

 

仏様を拝むということは、自分も仏様のようになりたいと志すことだ。だとしたら、お経を読んだり写したりするだけでなく、ほかにもすべきことがあるだろう。

それは貧者からむしり取るのではなく、貧者に与え、状況を改善する方策を考えること。

わあ、社会変革だ。

やっぱり仏教は支配階級の道具なんかではなく、変革の思想だったんだ……よね?

 

 

5月11日(水)

今週末は神田神社のお祭りだ。わたしは氏子でもなんでもないけれど、七五三をしていただいた縁もあるし、なにより将門公のファンなので、毎回楽しみにしている。といっても、お神輿の出る日は混雑が怖いし、体力がないので、前日の神幸祭の行列について数時間歩くだけなのだが、それだけでも楽しい。なんともなごやかで、みんなにこにこしていて、幸せな気分になれる。

 明神様へは普段からちょくちょくお参りしているが、いつ行っても境内はかーんと明るく冴えわたっていて気持ちがいい。正月は例年元日の朝早く行くのだけれど、あれだけの人出にもかかわらず少しも殺伐とした気がないばかりか、みんな笑顔でにこにこの気が満ちあふれている。これも御祭神・平将門公の徳ゆえだろう。

 

「義によって死んだヒーロー」

 と言われてまっさきに浮かぶのは譚嗣同で、日本史上ではどう考えても浮かばないと思っていたけれど、将門公ならぴったりだ。公が敗れたのは、農繁期になったので軍を解いて兵を帰らせてしまったところを急襲されたためだという。農繁期に兵を起こすなんて道に外れたことで、『春秋』だったらびしっと難じる所業だ。そんなことをされてはしかたない。悔しいし残念だけれど、公らしい最期だと思う。まさに「義によって死んだヒーロー」だ。

 日本史上、天皇になりたがったのは何人もいるだろうが、新皇になったのは公だけだ。こんなかたちで天皇を相対化するなんて、将門公よりほかにいない。

 公とすれば、「いいじゃん。京からは遠いんだから、そっちはそっちでやってよ。こっちはこっちで好きにやるから」くらいのものだったのかもしれず、それがまた痛快だ。

 おおらかでいい。けちくさい陰謀は将門公には似合わない。

 

 わたしの父の実家は農家だ。先祖代々由緒正しき武蔵の土百姓で、父祖の地の豪族は熊谷次郎直実と一緒に『平家物語』に出てくる。たぶん将門公の昔からずっと、地べたを掘ってもぐらと話して一生を過ごしていたのだろう。それでも将門公の活躍を伝え聞いて胸を躍らせたこともあったかもしれない。ひょっとしたら雑兵として軍に加わっていたかも。

 などと妄想して楽しんでいる。

 

 

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