千歳村から〜日記のようなもの      

 

2005年2月9日〜

 

 20日

 

2月9日(水)

 春節。陰暦正月一日。まずはめでたい。ということで、復活することにした。

 

わたしのような素人が近代史を見るのは難しいし、といって古代や古典はどうしたって付け焼き刃、道聴塗説を免れない。

それでこの一カ月半ほど、別のことをしていた。平家物語や今昔物語集を、左伝や史記を読んだ目で読み直したら、おもしろいのではないかと。

もともと日本古典文学は好きで、あんな家に生まれていなければ国文科に行っていたかもしれないとも思っている。平家にせよ、蜻蛉日記にせよ、生涯かけて読んでいけたら楽しいだろうと、今も思う。

ということで、とりあえず今昔を読み始めた。思ったとおりおもしろい。あまりにとんでもない世界がくり広げられ、そんなばかなと言いながら、ずんずん読み進めている。

 

 でも、やはり未練たらたらなのだ。わたしの日々の散歩道には、清国留学生会館もあれば、陳星台の住んだ東新訳社もある。中国書店も何軒もあって、ふらっと入れば立つのは近代史の棚だ。

 どうしてもわたしは彼らから離れられないようだ。彼ら、楊篤生、陳星台、宋遯初、寧仙霞、禹之謨、楊昌済……こう列挙していると、何とも言えぬうれしさのようなものが、じわじわと込み上げてくる。我ながらばかみたいだが、好きなのだからしかたない。

 

 諦めて再開することにしたが、それにあたって改めて心に決めたところもある。まず、ミーハーは排すること。浮ついた態度は彼らに対して失礼だ。

 また、生かじりの古典や古代史、漢詩は恥さらしだからやめる。

 要するに、中国近代思想史に絞って、ちまちまとやっていこうかと。

 

 

2月20日(日)

 昨日は雨。今日は晴れるはずだったので山ほど洗濯したのに、干そうと思ったら降っていた。10時過ぎにやんで日が射してきたので外に出したが、昼過ぎからまた雨。お天道様のなさることだから文句は言えないけれど、気象庁には文句いいたい。

 

「匹夫有責説」というのが気になっている。

 

辛亥前夜、まだ十代の毛沢東は、革命派の小冊子をひそかに読み、「国家の興亡、匹夫も責あり」と知った。これが彼の出発点だったといわれる。

 

「匹夫」とは「匹夫匹婦」=「一夫一婦」、つまり一夫多妻の貴族に対して一夫一妻の貧乏人、要するに庶民のことをいう。王侯貴族ではなく何の地位もない一介の庶民であっても、国家の興亡に責任があるということ。

 

これは、今の日本なら、「わたしたちみんな主権者なのだから、政治家や官僚やえらい先生たちにまかせっきりにしていてはいかんよ、ちゃんと投票権を行使するのはもちろん、何かあったらもの言わなくちゃ」といった意味になるだろう。

 

けれども、どうだろう。「国家興亡、匹夫有責」といったとき、何か士大夫意識のようなにおいがするように思う。一介の貧士であっても、科挙なり何なりによって中央政界に打って出るとか、あるいは逆に政情を痛憤して隠棲するとか、高位高官ならともかく君が隠棲したところで何も変わらんよと言ってあげたくなるような、そういうしょったところが、あの国の士の歴史にはあるように思える。

そこで出典を調べてみた。すると、どうも清末以降によく使われているようで、章太炎の文章などにも見えるようだ。それなら、はじめっから「主権在民」的な意味なのか? と一瞬思ったが、違った。

貧士の自負とも違う。ことはもっと重大深刻だった。

 

最初に言い出したのは、明末清初の思想家である顧炎武だそうだ。その著『日知録』に、「保天下者、匹夫之賤、與有責焉耳矣」と。

彼は亡国と亡天下とを区別する。亡国は王朝交代で、君主や何か偉い人たちの話。それに対し亡天下とは、獣が人を食い人が相食むような、世も末の状態をいい、そうならないためには、地位の上下は関係なく全ての人が責任があるのだと。

これが何を言っているのか。これはつまり、満洲による征服だ。けだもの同然の夷狄である満洲族が中華を蹂躙し、天子として君臨して、弁髪をはじめとする蛮族の風俗を強制する。これは彼にとってはまさに世も末だったのだろう。

 

なんだ、華夷思想か。と思うと、東夷であるわたしはいささか鼻白む。民族防衛戦争といわれれば、それまでだが。

 

 「匹夫有責」というのは、主権在民を指すならよいけれど、人権意識の弱い国では徴税や徴兵を意味しかねない危なっかしいところがあると思っていたが、やはりそもそもの意味は主権在民とはほど遠いものだった。

 

 

 

 

 

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