春三月は、いきなりのバタバタした日。昨日、一昨日と薬なしで過ごせたのに、今日は起きたときからひどい状態。これでは電車に乗れないので、やむを得ず薬を飲んでしまった。
空は真暗だが、予報では降水確率0%だの10%だのと言っている。だから傘は持たぬつもりだったが、靴を履いてから気になって、一番小さい折りたたみを取りに戻る。表に出たら、しっかり降っているではないか!
雨はその後本降りになり、昼には雪混じりに。何なんだ、これは?! と言いつつ、わざわざ散歩に出かけた。神田川の水面からもやが立ち上っていた。大声で「冬のうた」を歌いながら歩いた。
今月は記念日好きのわたしの心騒ぐ月。6日、陳星台先生生誕129年。9日(10日未明)東京大空襲。10日、エレカシのシングル発売。20日、宋教仁事件発生。22日、宋遯初君没後91年。26日、下北沢でカスタネッツのライヴ。31日、エレカシのアルバム発売。
●3月6日(土)
陳星台先生生誕129年。
彼は光緒元年正月二十九日、西暦1875年3月6日に生まれた。その故郷、新化県下楽村をわたしは未だに見つけられない。
新化の県城は梅城と呼ばれるとか。梅は今、盛りだ。
●3月13日(土)
10日、11日と、空襲について何か書こうと思い、書いては消し、書いては消しして、結局あきらめた。夫が関係者なので、軽々しくは書けない。
だから、ひとことだけ。殺すな!
白木蓮がきれいだ。白いともしびのよう。生家の庭に紫木蓮があったので、白木蓮にはなじみがなかったのだが、今は白い方がきれいなような気がする。
王維の「辛夷塢」の「辛夷」は、こぶしではなく同じモクレン科の木蓮らしい(岩波文庫『王維詩集』の註)。「こずえの芙蓉花、山中、紅萼を発す」というのだから、紫木蓮のようなものではないかな。手もとの図鑑によれば、木蓮の類は中国原産が多そうだ。
『唐詩植物図鑑』も買おうかな。まだ内山にあるかな。
●3月14日(日)
今年は症状か軽いので油断して昨日布団を干したためか、今日は朝から鼻が悪い。脂汗はかくし、どうにもならないので、とうとう薬を飲んでしまった。
そういう状態でありながら、マスクをかけてわざわざ公園へ。どうしても日向水木が見たかったから。
十年くらい前まで、大きな繁みがあった。蛍光色の花の中を小さな男の子が駆けまわる、夢幻の光景を見せてくれた。
それが、思いっきりきつい剪定をされてしまい、見るも無惨なありさまに変わり果ててしまった。都は何かこの木に恨みでもあるのか。
もうだめになってしまったのではないかと思われたが、それでも毎年ぽちぽちと花をつけてくれた。本当に少しずつだけれど、それでも精一杯なのだろうと思って見ていた。それで、今年はどうかなと、気になっていたのだ。
よかった。遠目でもわかるくらい、たくさんの花をつけてくれた。まだまだ以前のようにはならないが、それでもほとんどの枝に花が並んでいる。これでもっと枝が伸びて、どの枝にもいっぱいに花がつくようになるまで、あと何年かかるのだろう。お願いだから、それまでは枝を切らないで欲しい。
今日はそのほかに、レンギョウが咲き始めていた。ハクモクレンの大木を遠くから拝んだ。コブシも咲いていたし、ボケもだいぶ。地にはオオイヌノフグリが光っているし。
モズがいた。ときどき何かを狙って地に急降下していたが、何も獲れた様子はなかった。
●3月16日(火)
昨日、湯島聖堂で杏の花を見た。無知なわたしは、梅かな桃かな、などと間抜けなことを思って、名札を見たら杏だった。
そういえば杏壇ていうなあと、帰ってから辞書を引いたら、孔子の家にこの木があったとか。そんなことも知らないんだ。
まさかこのわたしが、孔子廟に通うようになるとは。儒教を奴隷道徳の最たるものとして忌み嫌っていたのに。
勉強していると、どうも様子が違うようなのだ。儒教は二千年来、上位者に都合のいい奴隷道徳として使われてきたけれど、原始儒教はちょっと違いそうだ。上にも下にも枠をはめるので、社会契約のようなものではないかと。
子から親への「孝」は、親から子への「慈」と対になっている。君臣関係なども同様。親が慈でなくても子は孝でなければならなくなったのは、戦国時代くらいに始まり、秦漢帝国以降、中央集権の専制国家になってかららしい。
春秋期は君主専制とは思えないものね。
●3月20日(土)
91年前の今夜、上海駅11時発の特急列車に乗ろうとした宋教仁は、10時45分に背後から狙撃された。
彼のことを、若さゆえの情熱で理想主義に突っ走ったという人がある。これがわたしにはちょっと不満だ。
確かに彼は満でいえば30歳だったが、そんなことはどうでもいい。実現不可能な理想にと言うけれど、彼はちゃんと成算があってやっていたことだ。だからこそ袁世凱は彼を殺さねばならなかった。彼の策が袁にとって致命的であったから。彼が有能で、買収もうけつけなかったから。彼の誤算といえるのは、自分が殺されることを考えていなかったことだ。
どうして彼ひとりの死によって、彼の構想までがつぶされてしまったのか、わたしは知らない。まだまだそこまで届かない。ごめんね、遯初君。
●3月22日(月)
宋教仁没後91年。
氷雨の中を歩いて西小川町の星台先生の家に行き、今日は遯初君の命日なんですよと話してきた。星台先生から見たら、ちょっと生意気な青年だったかもしれないけれど、先生を大森警察まで迎えに行き、先生のために絶命書の跋文と伝記とを書いてくれた遯初君の。
台湾ではたいへんな騒動になっていて、驚くばかりなのだけれど、今日が国民党を作った(と言っていいよね?)宋教仁の命日だなんて知っている人は、あの群集の中にはいないのだろうな……などとも思う。孫文と対立した彼は、どうも評判が芳しくないようだから。
独裁的な孫文よりも、議会制民主主義の実現のために命を落とした宋教仁を、もっともっと評価して欲しい。
●3月27日(土)
昨日のカスタ!
すごかった。元ちゃん、爆裂!!
「遠い光」で叫んでいたもの。
間抜けだと思っていた「ワンピース」も、久しぶりに聴いたらよかったし。
圧巻はやはり「Through」か。ぐっときて、まずいと思ったが、後ろで夫は涙ぐんでいたらしい。
本気で思う。これは全世界に誇れる名曲ではないか。キャラメルボックスが芝居で使ったそうだが、何も知らない人に聴かせたら、かなりの人がやられると思う。わたしも初めて聴いたとき、ぼろぼろ泣いてしまった。
シングルで何十枚も買って、駅前で配ったらおもしろいだろう。
夫の身体がもたなくて、対バンのセロファンには失礼ながら、カスタだけで帰ってしまった。ちょっと残念。
五月のライヴも行こう。行きたい。カスタは毎月でも行きたい。
エレカシでそんなことしたら、とても身がもたないけれど。
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