千歳村から〜日記のようなもの      

 

2004年1月1日〜

 

 2日 7日 10日 20日 25日

 

月1日(木)

 昨日、近所の公園でろうばいが咲き初めていた。つぼみばかりの中に、気の早いのが数輪ひらいて、甘い香りを放っていた。

 

 そして今日は夫と神田神社へ。日の出前なのに、カーンと明るい境内は和やかな気に満ちて、それだけでにっこにこになってしまう。不思議な空間だ。

 

 昨夕、恩師の訃を聞いた。

 わたしのように非礼で恩知らずの学生を、卒業させてくれただけでなく、評価もしてくださった。大きな先生だった。その温顔に甘えて、自分がどんなにひどいことをしたのか、わかったのはつい最近のことだ。

 本当に大きな先生だった。ご冥福をお祈りします。

 

 

1月2日(金)

 とても1月とは思えぬ暖かさだが、夫が眠ったまま起きる気配がないので、陶淵明をポケットに入れて一人で公園へ行った。

 あてにしていたベンチに先客がいたため、一番好きなポプラに背をあずけて淵明を開く。

 けれども、あまりにもうららかで、穏やかで、なごやかで、目は活字の上をすべって頭に入ってこない。

 そのうち、すぐ後ろの四阿で誰かがサックスの練習を始めた。音階や何かの一節を繰り返すだけで曲になっていないのが、よけいにのどかで平和な気持ちにさせ、とってもだけど淵明先生の感慨についていける状況じゃない。

 しばらくぼうっと空を見ながらサックスの音を聞いていた。

 

 だけど、こんなに暖かくていいのかな。やっぱり地球は滅びるのかな。

 

 

1月7日(水)

 初めて湯島聖堂に行った。ほんのよちよち歩きの頃から聖堂の辺りをうろうろしていたが、門をくぐったことはなかった。勝手に入れるものと思わなかったから。

去年、夫がひとりで行って、「かわいい仲尼の像があるよ」と。それで興味をもったが、そのままになっていた。

元日に明神様に行ったとき、聖堂にも寄りたかったが、時刻が早すぎて閉まっていた。

 

 で、今日、秋葉原に行く用があったので、ついでといっては何だが明神様に寄り、秋葉で用事を済ませた帰り道に聖堂へも行ってみた。

 気に入りました。なんで今まで知らなかったのだろう。

仲尼は確かにかわいかった。巨大だが、どことなく心許なげな様子がいい。

大成殿で初老の婦人が熱心に拝んでいた。その傍らのベンチで、男の人が昼寝していた。

 なんというか、空間の気がいい。明神様の気が明るくからっとしていて好きなのだが、聖堂も明るい。明るいけれど、和やかなようでどこかびしっと硬質な感じがする。

 

 魯迅が、弘文学院(嘉納治五郎が建てた清国人留学生のための予備校)の教師に孔子廟に連れて行かれて、なんで今さら孔子様かとうんざりしたと書いている。

 

 さて、楊篤生はこの孔子廟を訪れただろうか。儒教を激しく攻撃した彼は、しかし自分の息子には、中国民族の精華として四書五経を学ぶよう指示している。

でも、孔子廟には行かないかな、やっぱり。

 

 

1月10日(土)

 昨日も聖堂に行った。孔子廟には学業成就の絵馬がたくさん。わたしは軽く頭を下げただけだけど、仲尼は好きだ。

 

島田虔次氏がどこかでこんな意味のことを書いておられる。

という人物がという書物を読んだことが判っている。

という書物にはという事柄が書いてある。

だからという人物はという事柄を知っている。

という推論は、はなはだ危険である。我が身に照らして切に思う……。

島田氏ほどの碩学でもそんなことをおっしゃるのだ。ましてやわたしのようなザル頭では全くひどいもので、確かに読んだ、しかもノートを取りながらきちんと読んだはずの文献が、時をおいて読み返すと、あれっこんなこと書いてある! というのがぼろぼろ出てくる。情けないことこの上ない。

内田義彦に教わったとおり、みちみちはむはむと自分のものにして読みたいけれど、なかなかできない。その内田先生も、自分は本を読むのが下手くそで、などとしゃあしゃあと書いているし。

読むって難しい。

 

 

1月20日(火)

 晋の世族年表完成。ここ十日ほど、寝る間も惜しんで『左伝』をひっくり返しほっくり返しした成果だ。

 これのために隠公から哀公まで250年を、何往復しただろう。要領が悪く遺漏が多いから、前から全部めくって、次は後ろから全部めくってを、何度もくり返さねばならなかった。それでもまだ、ぬけたところはあるのだろうな。

 そんなことを嬉々としてやっているわたしを、夫は奇異なものを見る目で見ていた。「そんなものを作っていると知ってたら止めたのに」とか、「表作りに淫しているのではないか」と。

 確かにわたしは、インデックスだの表だのを作るのが大好きだ。昔、『SFマガジン』や『ロッキングオンJAPAN』のインデックスを作っていたこともある。

 でも、雑誌のインデックスも今回のも、自分で必要だから作ったまでだ。こんなものがあれば便利なのにと思ったから、作ったというだけのこと。楽しかったけどね。

 

 『左伝』というのはお話の宝庫と言われ、確かにその通りなのだけれど、漫然と読んでもあまり益はなさそうだ。けれども、きちんとした鉤をもって読むと、それによっていろいろなものが出てくる。かっこいい言い方をすれば、鉤の数だけ『左伝』があるということ。

 問題は、どんな鉤をもってくるかということなんだけど。

 

 関係ないけど、横綱強い。強すぎる。ちょっとないタイプの強さに見えるのは、やはり根がボフだからか。

 仕切りのときから体中に力がみなぎり、お相撲をとるのが楽しくてならないように見うけられる。

 

 だけど千代大海、そろそろ横綱になろうよ。

 

 

1月25日(日)

 梅が香っている。桜より梅が好き。香りが好きだし、花期も長いし。もちろん桜は桜でいいし、甲州で桃花に圧倒されたこともある。

 「いわんや是青春、日まさに暮れなんとす。桃花乱れ落ちること紅雨の如し(況是青春日将暮 桃花乱落如紅雨)」

 芥川龍之介が高等学校のノートに長吉さまのこの詩をいたずら書きしていたというけれど、この詩だけでもファンになるには十分だと思う。

 

 桃でなく梅の話だった。小田急の駅に曽我の梅林のポスターが貼ってあった。尾崎一雄があんなに自慢していたその梅を、尾崎ファンの夫と見に行ってみたい。

 わたし自身は小田原といえばマキノなのだけど。

 

 祝!朝青龍全勝!! 完璧だ。強すぎる。

 それにしても大関はみんなひどい。当分は一人横綱かな。

 

 

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